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大罪都市グラドル 混沌の2か月


 大罪都市グラドルに発生した粘魔災害から2ヶ月が経過した。


 多くの神官や従者が死亡した大事件は、当然ながらグラドルを大きく混乱させた。都市の支配者達が死亡する、というだけでも最悪と言えたのに、その彼等が悍ましい不定形の魔物に変貌を遂げたのだ。特に、その悍ましい光景を直接見た者達の中にはショックで暫く口をきけなくなった者までいた。


 が、2か月だ。2ヶ月という時間は、恐ろしい混乱と向き合うのに十分な時間だった。


 特に、被害が神殿の内部に集中しており、都市民には被害が殆ど無かったこともあって、市井の回復は非常に早かった。勿論、彼らとて、心の拠り所とも言える神殿で事件が起こった事実に心を痛めはした。だが、だからといっていつまでもくよくよと悩んでいるわけにもいかない。嘆き悲しみ絶望しようと明日は来るし、仕事があり、それをこなさなければ生きていくことは出来ないのだ。

 生きていくために、彼等は自然と、以前までの生活と変わりなくなった。


 対して、大きな混乱と、そこからの変化を余儀なくされたのは神殿の方だ。


 何せ、現シンラであるカーラーレイ一族が粘魔に変貌を遂げ、その大半が死亡したのだ。更にカーラーレイ一族に関わり深かった神官、従者に至るまでそうなったのだ。

 しかもその、おぞましい変化を遂げてしまった者達が、単なる被害者ではなく、危険な者達と繋がって、しくじった結果なのも明らかだった。グラドルに不正が横行し、カーラーレイ一族が妖しげな連中と繋がっていたのは、表だって指摘できる者がいなかっただけで、暗黙の了解だったからだ。


 バケモノとなり、死亡した者達は自業自得と、片付けられるのであれば楽だった。


 が、この騒動で、粘魔に成らなかった者達の中にも、自身の無事に確信が持てない者は多かった。慢性的に不正が広まった神殿内で、後ろ暗いものを抱えた者があまりにも多すぎたのだ。

 結果、いつ、自分もあの時のように悍ましい魔物に変化してしまうのではないか。と、恐れ戦き、怯えて引きこもるような者達まで出る始末だ。


 混沌極まった神殿を統制したのは、騒動の直後やってきた七天の【勇者】だった。


 本来、プラウディアの天賢王の下僕と言える勇者に対するグラドルの偏見は重く深かった。彼女の手を借りるくらいならば、汚らわしい名無しの冒険者にでも縋った方がマシ、というのが、以前までのグラドルの多数派の意見だった。が、今となってはそんな思想を振りかざす余裕も全くなく、【天賢王】の代行者としての彼女の指示と管理をグラドルは受け入れた。


 そうしてひと月経ち、ようやく、精霊の力の代行、国の統治組織としての機能が回復し始めた頃、グラドル神殿に新たなるシンラを冠する一族が選出されることとなった。本来、新たなるシンラの拝命は、様々な引き継ぎや、手続き、儀式が必要である筈なのだが、現行のシンラ一族が存在しない状況は問題であると、【勇者】がプラウディアの天賢王に打診し、急遽決まった形だった。


「ラクレツィア・シンラ・ゴライアン。天賢王の命に従い、シンラの地位を拝命致しました。どうぞ皆様、よろしくお願い致しますね」


 神殿内の都市運営会議のただ中、初めにそう宣言したラクレツィア・シンラ・ゴライアンに向けられる視線は歓迎が半分、不承不承と敵意が更に半分半分であった。

 カーラーレイ一族に並ぶ程に古くからグラドルに貢献し、精霊とも高い親和性を持ったゴライアン一族がシンラを拝命すること、それ自体は自然な流れだった。

 また、カーラーレイ一族とは仲が悪く、結果、今回の騒動でもほぼ無傷だったことで、神殿内での影響力を飛躍的に伸ばした。


「まずは今回の件で亡くなった神官や従者の皆様に対して、お悔やみを申し上げます。皆様がどうか健やかに太陽神の御許へと迎えられますよう祈りましょう」


「よく言うのう全く……」

「運ばれるわけないというのに。邪教に手を染めた連中が……」


 ひそひそと交わされる陰口をしれっと無視して、祈りを捧ぐラクレツィア・シンラ・ゴライアンは、ゴライアン一族の女当主であった。只人で年齢は50代半ば、加齢で弛んだ頬から角蛙と呼ぶ陰口もある。だが、その陰口を直接彼女に浴びせられる者はいない。

 混乱の最中、勇者ディズ・グラン・フェネクスの指示をいち早く受け入れ、共にグラドル神殿の混乱をまとめ上げたのは彼女だ。今回の期に神殿のトップに上り詰めた彼女の才覚を疑う者はいないだろう。


「それでは今後の方針を改めて説明致します」


 ひそひそと続いていた陰口を、彼女は鋭い一言で一蹴する。混迷のただ中、重大な損失を幾つも抱えた現在のグラドル神殿において、彼女の指導力が必要なのは誰の目にも明らかだった。


「現在、グラドルが損失した神官の数はあまりに多く、そして失った神官の数は国力低下に直結することは皆様に説明するまでもないことでしょう」


 都市の管理、運営、食料の生産、結界の維持、あらゆる所に精霊の力は活用される。消費も複雑な工程も介さず、行う奇跡の数々。それを執行できる神官とその力を維持する従者や都市民の数こそが、国力と言っても過言ではない。

 グラドルが今回が失った力は大きい。幾ら不正を蔓延させた不良神官であったとしても、神官は神官だ。ただそこにいる、というだけでその影響力は違うものだ。


「損なわれたものはすぐに取り戻す事は出来ません。従者らの神官への昇格試験の推奨など、出来る事はありますが時間は掛かります。現在行なっている事業の幾つかの縮小は余儀なくされます。特に、カーラーレイ一族が主権だった折に繰り返された都市拡張計画については、大幅な縮小が必要です」

「だが既に建築途中となった都市はどうするのだ。既に多大な投資と人材も消費しているのだぞ」

「残念ですが、投資した資金を惜しみ、これ以上の負債を抱えるだけの余裕は今のグラドルにはありません」


 キッパリと告げられた言葉に、神官達は呻き、青ざめる者もいる。彼らの中にはカーラーレイ一族のしてきた衛星都市増設計画に乗って投資した者達も多くいる。中には気が気でない者もいるだろう。しかし、ラクレツィアの指摘に反論する余地もまた、無かった。

 更なる金を注ぎ込んだ先に待ってるのは破産だ。投資というものは、懐にたっぷりの余裕がある者がする事だ。貧しい者が行うギャンブルではない。


 反論が無いことを確認し、ラクレツィアが咳払いする。神官達が顔を上げる。


「そして、それらとは別に、急ぎ我らの間で対応を考えなければならない存在があります」


 此処までの話は、おおよそ既定路線だった。そしてこれからの話が本番であると、暗に告げていた。此処ではなく、遙かに離れた場所を見据えるような鋭い視線で言葉を継げる。


「元衛星都市、現【対巨星級移動要塞都市、竜吞ウーガ】の運用法について」




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 【グラドル神殿】、執政室。


「…………全く、皆能天気なのだから!」

「やあ、お疲れ様」


 豪華絢爛な執行室に戻ったラクレツィアを出迎えたのは、金色の七天、【勇者】ディズ・グラン・フェネクスだ。無意味に宝石などがちりばめられた椅子に座りながら、ひらりと手を振ってラクレツィアを出迎える。

 先の会議で幾らか機嫌を損ねていたラクレツィアは、勇者を見ると、その眉をキリリとつり上げる。


「幾ら【勇者】といえど、勝手にシンラの執務室に立ち入られては困るわ」

「必要書類を届けに来ただけだよ。私が神殿を出歩くと刺激が強すぎるしね」

「その気遣いを私にも向けてはくれないのかしらね」


 ラクレツィアの嫌みを勇者はさらりと受け流す。

 勇者に対する彼女の当たりは強い。そもそも彼女の一族、ゴライアン家はカーラーレイに次ぐ古い神官一族で、ウーガ騒動が起こるより以前はプラウディアに対しても非協力的だった。敵対していたと言っても良い。


 カーラーレイとも敵対しており、不仲だったが、敵の敵は味方、とはいかなかった。


 で、あるにもかかわらず、ラクレツィアが彼女を受け入れたのは、天賢王の代理として大きく鉈を振るえる立場である勇者が必要不可欠だと理解していたからだ。混乱を放置しておけば、ひょっとしたら、粘魔の騒動より多い死者が出ていた可能性もある。彼女にとってもそれは苦渋の選択と言えた。

 そして苦渋であっても必要であれば躊躇無くその選択を取るのがラクレツィアだった。


「今後協力していくのであれば、天賢王の権威を傘に、無造作にグラドルの政治に手を突っ込んでいくのは控えてもらえないかしらね。貴方はまだマシだけども……」

「悪いけど、私【七天】じゃ一番下っ端で、言うこと聞いてくれるヒトいないんだよね」

「そういう歪な繋がりの薄さを何とかしなさいって言ってるの」


 笑う勇者をラクレツィアは一喝する。

 その姿は不真面目な生徒と口喧しい教師の構図であった。実際、彼女は神殿内で神官見習い達に精霊の力の扱いを学ばせる指導官としての任に就いていたこともある。厳しく、容赦ない指導で、生徒の殆どからは恐れられていた。

 神殿内の業務という点では政治的に携わる機会が無い閑職だ。カーラーレイ一族と敵対していたが故に彼女はそんな場所に追いやられていたのだ。

 それを考えるととてつもない出世であるが、カーラーレイ一族の集団自殺を歓迎する気にはとてもなれなかった。


「カーラーレイ一族も、かつての王族の血を引く唯一の一族であったというのに、何を無責任に退場してるのかしら」

「生き残りはいるでしょ?」

「今回の怪しげな計画にも噛めなかった末端に、邪霊の愛し子でしょ?どのみち大地の精霊の加護が全く使えないんじゃ生産都市の貢献も不可能」

「オマケに邪霊の愛し子は【ウーガ】の制御印保持者だね」

「頭が痛いわ……」


 心底迷惑だ、というように顔を顰める。「これなら死んでもらっていた方がマシだ」と口憚らず宣ってるグラドルの他神官よりはよっぽど慎み深い態度ではあったが。


「でも、【ウーガ】に直接出向くんでしょ?何とか利用するために」


 問われ、ラクレツィアは渋々と言うように頷く。


「今後のグラドルを思えば、向き合わざるを得ないでしょ?だというのに他の神官達は腰引けてるんだから……」


 都市規模の、戦略的機能も備えた巨星級移動要塞。それが一応形式上、グラドル所属の都市ともなれば、それを無視する訳にはいかない。それがもたらすであろう莫大な富とリスクがある以上は。

 この2ヶ月で、ウーガの取ってる“活動”は間違いなくグラドルにとっては利益となった。が、それでも、グラドル神殿では、ウーガそのものを危険視する意見は多い。前例の無い異物を恐れる声は多いのだ。

 そうなるとやはり、間接的な情報ではなく、直接的に見聞きし、見極めなければならない。

「ごもっともだね……やれやれ、ウルは苦労しそうだ」

「……その“名無し”の話、少し聞かせてもらっても良いかしら?」


 勿論、今回のウーガの騒動の中心となった冒険者達の名前は彼女も把握している。ウーガに出向く以上、彼と直接顔を合わせ、交渉することもあるだろう。相手は名無しで、自分よりも立場上、遙か格下だ。それでも交渉する可能性がある相手に対して、事前に準備を怠るような真似は彼女はしなかった。

 ディズはその問いに、少し楽しそうに応じた。


「基本、誠実な男だよ。欲は小さいが我は強い。彼と向き合うなら、難しく構える必要はない。誠実さには誠実さで返せば拗れはしない」

「誠実に向き合わなかった場合は?」

「察知して、距離を取るだろうね。逆手に取って利用しようとも思わないだろう」

「……名無しらしからぬ、在り方ね。王道とも言える身の守り方だわ」

「……教育を施したヒトは、彼が不器用と知っていたんだろうね」


 語る勇者は、ラクレツィアの称賛を嬉しそうに受け入れた。我が事のように。


 それだけ彼女にとってその名無しというのは“お気に入り”であるらしい。


 名無し相手にそこまで思い入れを強くするのは、ラクレツィアにはあまり理解できない所だった。そもそも彼女は“名無し”の者達と関わったことが殆ど無い。彼女に限らず、神殿から官位を授かる者達の多くは、都市の中で日々を不自由なく暮らしている。わざわざ自ら出向かない限り、都市の外と中を行き来する名無し達と関わる機会などそうそう無いものなのだ。

 だから彼女の話を聞くまで、割と軽視すらしていた所はあった。が、勇者の話を聞く限り、どうもその考え方は不味いらしい。ラクレツィアは勇者の話から名無しのウルという男の評価を少しずつ修正していった。


「あとは……」

「あとは?」

「……いや、貴方なら問題ないとは思うよ。気にしないでいい」

「なんなの?煮え切らないわね」


 追求するが、彼女は笑うばかりだ。

 その態度にラクレツィアは少し苛立ったが、これ以上喋る気はない様子だったので、それ以上の追及は止めた。まずは今聞いた情報だけを頭に入れていった。

 と、そうしているとノックの音がした。入室を許可すると、中から現れたのは、グラドル再建のもう一人の貢献者だった。


「失礼致します。シンラよ」

「……クラウラン様。ご用件があるのでしたら、コチラから出向きましたのに」

「私とは随分応対が違うね。ラクレツィア」

「喧しいわよ」


 【真人創りのクラウラン】、グラドル混迷時、多くの“部下”を指示して沢山の命を救った救世主だ。見た目こそ一見、不細工と言っても過言でないが、口喧しい、汚職神官達ですら、今の彼に向けるのは侮蔑ではなく、敬意と感謝だ。

 ラクレツィアも、自分の夫と、息子達を彼に救われた経緯がある。頭が上がらないのは彼女も一緒だった。


「今日はあなたにではなく、同胞に用件があってね。元気かね勇者よ!」

「昨日もあったばかりだろうクラウラン。用件って事は、アレが出来たんだね?」


 おうとも、と、彼は、自身の部下である蒼の髪の少年に目をやる。彼は布にくるまれているソレを両の手で大事に抱えるようにして運んできた。


「君に調整を任されていたモノがようやく完了したよ」


 彼は、そっとそれを置いて、布を取り払う。中から現れたのは、見る者を感嘆とさせる意匠の施された、白く輝いて見えるほどに美しい、金色の鎧だった。

 武具の類いには全く知識の無いラクレツィアだったが、その鎧が、とても美しく、そして

ただ、美しいだけのものではないというのはすぐにわかった。前にするだけで、自然と居住まいが正されるような力がそこにはあった。


「【陽神の鎧】だ。受け取りたまえ同胞。中々苦労したとも」

「ん。ありがとう同胞。試着してみようか。アカネ」

《んーにゃー》


 勇者が上着を脱ぎさると、彼女の外套から紅色の妖精のような姿をした使い魔が出現し、彼女の身体に纏わり付いた。薄いインナーのようになったのを確認し、勇者は鎧を身につける。

 自分よりも二回り以上若く生意気な少女、という事をラクレツィアは一瞬忘れた。それほど、世にも美しい鎧は在るべき場所収まったかのように、勇者に備わった。


「残るは【星剣】、プラウディアの騒動にはなんとか間に合ったね」


 窓外から遠く、故郷を鋭く見つめるその姿は、確かに【七天】の勇者のソレだった。


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