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救済②


 大罪都市グラドル、大神殿。


 大罪都市グラドル中央に存在する大神殿は、元々この国にあった王城をそのまま利用したモノだった。太陽神信仰のための儀式準備、純粋な経年により劣化と補修を幾度となく繰り返し、外観も内装も、最早かつてのものとは別物となっている。

 だが、数百年以上手を加えられず維持され続けていたモノもあった。

 太陽神を至上と崇める他の神殿ではあり得ない、(シンラ)を讃える玉座など、その最たるモノだろう。かつては大陸を支配していた王が座っていた豪華絢爛な玉座に、現神殿の長、ガルドウィン・シンラ・カーラーレイは座っていた。


 エイスーラ、そしてエシェルと同じ赤毛の獣人。だが60を越え病み、老いが身体に表れているのか、鮮やかな赤色に白髪が入り交じっていた。その男は、酷く苛立ち、そして焦燥しているように見えた。


「エイスーラからの報告はまだないのか!」

「も、申し訳ありません!現地も混乱しているようで連絡が…」

「だったら誰でも良いから直接向かわせろ!!ッゴホ……!!!ああ、クソ!!」


 ガルドウィンの罵詈雑言が従者達に吐き出される。

 大罪都市グラドルに出現した竜とおぼしき存在の目撃証言を発端とする今回の竜騒動は、神殿内でも多大なる混乱を巻き起こしていた。だが、中でも最も狼狽え、そして怒り狂っていたのは誰であろう、神殿のトップ、ガルドウィンだった。


 狂乱と混乱のただ中、部下に当たり散らす様は酷く滑稽だった。

 何せ、本来彼は、一連の騒動の黒幕と言える立場だったのだから。

 

「何故だ何故だ何をしているあの愚息めが!!」


 実の息子であるエイスーラとの関係は、良好からはほど遠い。構図としては、トップである実の父を差し置き、国内の実権を握るエイスーラと、最後の玉座だけは明け渡すまいと固執し続けるガルドウィンの対立構造である。

 老いて尚、彼は若き英傑たるエイスーラに自身の権力を明け渡すことを厭い、固執し続ける。結果、同じ血族の間に骨肉の争いを産み、神殿内部でも分裂を起こしていた。

 挙げ句の果てが今の騒動だ。憎きプラウディアへの最終兵器を生み出す今回の目論見は、その新兵器の主導権を奪い合う場にもなっていた。


 エイスーラが自ら現場で指揮を執ったのも、実の父に兵器の制御権を簒奪されるのを恐れたためだ。


「クソクソ!ああ、まさか、まさかウーガをグラドルに向けるつもりでは――」


 故に、王は狂乱する。実の息子にいつ殺されてもおかしくないと、彼は思っているし、そしてそれは真実だ。いつどこでそうなるか分からない。彼は精神をすり減らし、疑心暗鬼になっていた。

 そんな彼に近づける従者も神官もおらず、こわごわと遠巻きに眺めるばかりだった……が、そこに真正面から尋ねる空気の読めない男がいた。


「おお!おお!!グラドル王!大丈夫でございましょうか?」


 それは白衣を身に纏った頭を剃り上げた若い男だった。長い耳のそれは森人の特徴……しかし、それが何故か僅かに“短く”見えた。容姿も、際立って優れた者が多い森人達の中では傑出しているようには見えない。どころか逆に、一見した印象は“愚鈍そうな醜男”だ。しかも足が不自由なのか、杖をついて片足を引きずりながら歩いている。

 彼は、その場の重苦しい緊迫した空気を全く読まない、満面の笑みを浮かべていた。当然ながら、ガルドウィン王は激昂した。


「誰の許可を得て此処に入ってきた!!名無しの愚物が!!」

「お許しを、グラドル王。しかし私も“責務”を果たさねば成りませぬ故!」


 責務、と、その言葉に嘘偽りは無い。それこそが彼が名無しでありながら神殿の中に立ち入った理由だ。


 彼こそ、冒険者ギルドの頂点の一人、【黄金級】の冒険者、クラウランである。


 彼が此処に呼び出された理由、グラドルにて発生した竜騒動の護衛だ。尤もソレは、今回グラドル側が引き起こしたマッチポンプであり、グラドルに存在していた黄金級に邪魔をさせないための処置だった。

 クラウランには、来るはずの無い竜を警戒し続けてもらわなければならない。そして不審に思われてもいけない。はずなのだがガルドウィンにはそんなことを考える余裕などなかった。


「黙れ!消えろ!!邪魔をするな!!さもなくば――」

「うむ、うむ、どうか落ち着いて下され王よ!実は危機を確認したのです!正確に言えば私ではなく、私の()()()()がですが」

「だま……なに?危機?」


 愛し子達、という言葉と共に、彼は振り返る。彼に同行していた二人の内一人、クラウランの背後に、ずっと隠れていた少女が姿を現した。

 不思議な少女だった。獣の耳は獣人を表すが、それ以外の皮膚は只人のようだ。髪色は透き通るような蒼色。何より、隣に立つクラウランとは比較にならないほど美しい容姿。

 その彼女は、不遜にも真っ赤な顔をしたガルドウィン王を指さした。


「マスター、あのヒト、もうダメだよ」


 あまりにも無礼な言い方に、空気が凍り付いた。

 従者達や神官らは顔を真っ青にさせ、対照的にガルドウィンは顔を更に赤黒く変色させる。そして彼女の前に立つクラウランはというと「しまった」というように額を叩くと、かがみ込み、少女の視点で両手の指を立てて、唇を尖らせて話し始めた。


「セブン、娘よ。ヒトを指さしてはならないよ!無礼にあたるのだから」

「そうなの?でもダメなのよ、あのヒト」

「うむ、うむむ、確かにそうかもしれないが、本当のことでも、黙っておかないといけないこともあるのだ!お前は美人だから許されることもあるかもしれないが――」

「私可愛い?」

「勿論だとも!全く私のような醜男が製造したとはとても思えない美人っぷりだ!」


 ガルドウィンの激昂などそしらぬ顔で、親子の教育の真似事を始めた二人に、既に限界だったガルドウィンの堪忍袋の緒は盛大にぶち切れた。


「こ、この、この無礼者どもをころ――――」


 勢いよく立ち上がり、錫杖を振り回し、そう叫んで、


「――――がぱ????」


 彼の身体が()()()


「――――は?」

「お、王!?どうなさ――――ぐぱ!?!!」


 そしてそれをきっかけとして、従者や神官達の肉体が次々に()()()いった。割れたと、そう表現せざるを得ない。あえて言うならば蛹が羽化するように、彼らの肉体が弾けて、中から何かが出てきた。


『――――GGGGGGGGGGGGGGGG』


 ぶよぶよで浅黒い、肉の塊。いったいどこにそんなものが詰まっていたのだろう、悪臭漂う醜い歪で巨大な肉の塊が、幾つもその場に現出した。しかもそれらは生きていた。腹底に響くような低いうなり声を上げながら、地面をのたうつ。自分が這い出た神官達を踏みつけながら、王の謁見の間を穢していった。

 玉座に座ったガルドウィンだったものも例外ではなく、長い歴史の中引き継がれていた玉座を穢していた。


「――――【粘魔】ね。よくあんなに詰まっていたわね」


 軽やかな声音のセブンの指摘を聴ける者は殆ど残っていなかった。


「ひ、ひいいいいいいいいいいいいいいい!?!!シンラが!!ガルドウィン王が!!」


 数少ない無事だった従者が悲鳴を上げる。何が起きたのか、全く理解できていないようだった。理解できるはずも無いだろう。国王達が突然、前触れも無く、醜いバケモノになったなどと。


『GUUUUUGGGGGGGGGG!!!』


 粘魔達が、どこから出しているのかは不明だが、咆吼を上げた。そして、蠢きながら一カ所に集まっていく。折り重なるようになったその肉の塊は、しかしそれはただ重なっているのではなかった。生々しい粘膜の音、ぐしゃぐしゃと繰り返されるそれは“咀嚼音”だ。黒の塊は、互いに互いを喰らい一つになろうとしていた。

 そして更に形が変わる。ちょうど、子供が粘土で遊ぶように、たわみ、弾み、そして徐々に形を成す。もしもこの場に、ウーガでの一連の騒動を知る者がいたならば、黒い巨大なバケモノが形作ろうとしているものがなんなのか、わかっただろう。


 即ち、空を駆る竜の姿であると。


『GUGGGGGGGGGGG!!!!』


 咆吼はここからではない。城の至る所から聞こえてきた。この地獄の有様が、この場所だけで起こっている訳ではない事を示唆していた。至る所から悲鳴が響き、破壊音が響く。そして、目の前の黒い塊もまた、翼を広げる。飛び立とうとしていた。


 その黒い飛竜を前に、セブンという名の少女はもう一度指さした。


「ほら、ダメだった」

「うむ、よく分かったな偉いぞ我が娘!だが、なんてことだ!!」


 クラウランは自分の娘の頭を優しく撫でながら同時に頭を抱えて嘆く。おどけているようで、嘆いているのも本当だった。実際、セブンは彼の頭を慰めるように何度も撫で返していた。

 そして、彼が連れてきたもう一人、セブンと同じ髪色と特徴を持った男が前に出る。背負った槍を構え、自分の主を守るようにしながら、進言した。


「マスター、急ぎ、ここから出ましょう。危険です」


 クラウランをこの場に留めていたグラドルの王は既に死んだ。既に、クラウランが律儀にこの場に留まる理由は無くなったことを考えると、実に真っ当な提案だった。

 が、クラウランは首を横に振った。


「ダメだぞ、ファイブ。無事な神官や従者達がいるだろう?」


 彼が言うように、この場にも()()()()()()従者や神官は確かに存在した。彼らは哀れにも腰を抜かして悲鳴をあげている。ファイブという名の青年は僅かに顔を顰めた。


「助けるのですか?私達を良いように利用して、縛り付けようとしたのに」

「我らの仕事は護衛なのだぞ。それに彼ら以外の無関係な都市の民や、名無し達もいるやもしれない。この混乱は神殿の中だけではあるまいて」

「血のつながりも無い、無関係な者達です」

「だが()()()()()()()()()()?これは我が同胞の言葉だがな」


 クラウランはうんうんと、自分の言葉に頷く。セブンは彼の言葉に彼と同じようにうんうんと、頷くと、彼に向かって拍手をした。


「格好いいわ。マスター」

「娘に褒められるのは格別だ!!」


 クラウランは再びセブンの頭を撫でる。ファイブは深々と溜息をついた。


「……わかりました。他の兄弟達にも伝えます。しかし貴方の無事が最優先です」

「おいおい、私はそう簡単には死なないとも!私よりも他の無力な者たちを優先して――」

「い い で す ね」

「うむ、息子が怖い!ではそれでいこう!!お前も迂闊に怪我をせぬようにな!」


 ファイブはクラウランの言葉に僅かに微笑み、そして槍を強く握る。途端、弾けるような音と共に彼の周りに魔力が漲った。魔術にあらず、達人のみが生み出せる肉体の魔力の奔流が、彼の周囲の空気を歪ませていた。


「心得ていますよ。私は貴方のものですから」

「父親離れ出来ない息子だ!それもまた可愛い!では行こうか!」


 クラウランは自分のついていた杖を叩く。彼の足下から巨大な魔法陣が生み出される。だが、そこから顕れるのは攻撃魔術でも、収納されていた物質でもない。

 セブンやファイブと同じ、男女様々な、蒼の髪色の者達だった。彼らは各々武器を持ち、クラウランを守るようにして立ち上がった。


「【真人創りのクラウラン】!我が同胞、【勇者】に代わって君たちを討とう!」


 暴食の大罪都市の中心で、戦闘が開始された。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 同時刻、【竜吞ウーガ】仮都市。


「なんだありゃ……?」


 ジャインが、そんな声を聞いたのは、天陽騎士を殲滅した森から引き上げる途中だった。部下の一人が眉をひそめながら指を指すのは、まさしく先ほどまでジャイン達が戦っていた森林地帯だ。今も尚、黒煙が燃え続けている方角だったのですぐにわかった。

 部下が指さす何かは、勿論その黒い煙、ではない。


「おい、どうした」

「なんだか……いや、なにか、いねえかあれ?」

「何かって……」


 その煙の中に、何か蠢くような影が見える。ジャインも振り返り、煙の中で蠢く影を見た。仕留め損ねた天陽騎士か?とも一瞬思ったが、魔術で生命反応が失せたのは確認している。

 そもそも、既に森林地帯から大分距離は取っているのだ。視界に映る黒煙の影も随分徒細く見えるが、一帯を燃え上がらせるほどの大炎上。その煙が揺らめくように見えるほどの“何か”、などとそんなものがあるとすれば――――


「…………なんだ?」


 ジャインが眉をひそめる。黒煙の揺らめきが大きくなった。

 否、それは煙の揺らめきではなかった。煙の中に揺らめく影も、影ではない。真っ黒な身体だったため、色が重なり視認しづらくなっていただけだ。

 あれは、竜だった。散々、仮都市で暴れ回った、黒の竜だ。それが、


『『『GGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGG』』』 


 大量に、姿を現した。


「は!!!?」


 驚愕するジャインを嘲笑うように、大量の黒い竜が凄まじい勢いで飛来する。そしてジャインの上空を一瞬で駆けていった。一瞬、太陽が真っ黒な翼に覆い隠され、闇夜がきたかのようだった。そしてジャイン達がロクに反応する暇すらも無く、黒い竜の群れは飛び去っていった。

 だが、それだけではなかった。


「ジャインさん!!」


 部下の一人が叫ぶ。彼等の視線は森林地帯だけではなく、彼方此方の方角から、似たような不気味な咆吼が響いていた。そして少し遅れて黒い竜が飛び立ち始める。あまりの異常な光景に銀級の冒険者ギルドである白の蟒蛇達もたじろぐしかなかった。


 ジャインも勿論同じように混乱していた。が、一方で法則にも気付いた。

 これは、包囲網だ。ウーガを取り囲んでいた天陽騎士達の陣形だ。輪を狭めて迫ってきていた連中から、黒い竜が出現した……!?


「なん、すかあれ!?」

「…………」


 ラビィンの言葉にもジャインは反応しなかった。黒の竜達の向かう先をジャインは知っている。【竜吞ウーガ】西部、【勇者】達が目指した方角だ。ラビィンの【直感】すら必要ない。何かろくでもない事態が起こっている事がすぐにわかった。

 ジャインは自身の備えている冒険者の指輪を口に当て、通話魔術を稼働させる。


「聞こえるか、ウル!そっちに大量の竜が飛んでいった!繰り返す!竜が飛んだ!!」



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 竜吞ウーガ西部


「…………―――――シズク!!!!!!」

「……!!」


 ディズの鋭い指摘と共に反射的にウルは飛び出し。かっ攫うように彼女の身体を抱きその場から離脱した。瞬間、シズクが元いた場所に、“黒い塊”が溢れかえった。


「シズク!無事か!!」

「無事です、が……」


 ウルに抱きかかえられながら、シズクは自身を襲おうとした相手を観察し、眉をひそめる。大地を穢すように蠢く、真っ黒い液体の塊。ウーガの体内で見覚えのあるそれは――


「粘魔、ですね。それもこれは……」


 粘魔はありふれた魔物にすぎない。問題なのはこの黒い粘魔がウーガの体内で出現していたものとまったくの同種であり、そしてその粘魔が事もあろうにエイスーラの遺灰から這い出てきた事だ。


「うふ、ウフフ!死んだフリ!上手いでしょう!その子は特別製だから、火にも氷にも強いのよ!!()()()()()()()みたいだけど」


 ヨーグの子供が自慢するときのような声が響く中。黒い粘魔は更に変化する。元の体積からは比較にならないほど、どんどん大きく膨張していく。あっという間にソレは数メートルはあろう巨体に変貌する。


 だが、それで終わりではなかった。


「アカネ!!」

《にゃわあー!!!》


 何を感知したのか、まずディズが動き、それにアカネが呼応した。薄く身体を伸ばした彼女はウル達の周囲を囲い、結界の形を作る。その直後、


『GGGGGGGGGGGGGGGGGGG』


 真っ黒な粘魔が、地面の彼方此方から噴き出した。


「ど、どこから……」


 そしてその動きは地面からだけではなかった。


「飛竜です!!」

「は!?」


 大量の情報に処理が追いつかなくなっていたウルは、シズクの言葉に空に目を向ける。確かに飛竜だ。ウーガの内部でウル達が討伐した飛竜、それが“数十匹ほど群れをなしてこっちに飛んできている”。


「――――――――…………」


 ウルの絶句は無理からぬ事だった。

 停止したウルの思考を呼び覚ましたのは。彼の指輪に届いた通信魔術だ。


《聞こえるか、ウル!そっちに大量の竜が飛んでいった!繰り返す!竜が飛んだ!!》

「………聞こえている、ジャイン。コッチでも確認してる。“現在進行形”で」


 一時的にフリーズしていた脳みそが再起動する。ウルは可能な限り平静な声で返答するが、目の前で起きている光景は到底、冷静に見られるものではなかった。


『GG『GGGGGG『GG『GGGGGGGGG『GGGG』』』』』


 地面から溢れた粘魔、そして飛来した飛龍達、それらが全て一カ所に、エイスーラだったものの下へと集結していく。大小様々な粘魔がぶつかり、重なり、うごめき、形となる。

 最初の肥大化など可愛いもので、今は数十メートルまで膨れ上がった巨大な粘魔を前に、ウルは半ば呆れたような、冗談でも聞かされたような面持ちでそれを見上げるハメになった。

「【粘魔王(スライムキング)】……」

『――――――G――――GEGEGE』


 山のようになった真っ黒なぶよぶよの肉の塊は、歪む。揺らぐ。不定形だったものが形を取る。背中からは翼が伸びる。牙が伸びる。肥え太った腹が出て、胴に対してやけに太く短い手足が伸びる。それらは竜の形をしていた。歪で、醜いが、間違いなく竜のそれだった。


()()()()()()()()()()()()()()?ウフ、アハハ!!!!!」


 唯一楽しそうな、邪教徒の生首の笑い声だけが、やけにその場で響いていた。


 竜吞ウーガ騒乱最終戦 【粘魔王】討伐開始



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