前へ次へ
144/707

混沌の只中で②


 仮都市から逃げ出す。というのは、決して容易くはない。

 大罪都市グラドル地域では、都市外の魔物の数もそれほど多くはない。が、皆無というわけではない。無策で結界の外に飛び出せば、魔物達の格好の餌食になること請け合いだろう。護衛は必須だった。


 従者達が此処に来るときは天陽騎士が送迎してくれた。だが、今は居ない。もし護衛なしで逃げるなら、魔物に襲われるリスクを飲んだ命懸けのものになる。

 それが日常の名無しは兎も角、命の危機など滅多に起こるはずも無い都市の内側で暮らしてきた従者達がその覚悟を決めて逃げることなど早々起こるはずも無かった。


「急げ!急いで逃げよ!!あのおぞましいバケモノから」


 本当に、よっぽどの緊急事態が起こらない限りは。

 そしてウーガはそのよっぽどの緊急事態が起こっていた。


 竜呑都市に、都市新設を補助すべく集められた従者達は、自らの義務を放棄して続々と逃げ出していた。仮都市にいた名無し達を護衛として強引に引き連れて、全速力で逃げていた。

 先日エシェルに文句をたれていた第三位(グラン)のグルフィンもまた、逃げ出していた。彼の巨体と、彼の取り巻きの従者達を乗せた馬車はごっとんごとんと実に激しく揺れながら、グルフィンの巨体を大きく揺らす。彼はその不快感に悲鳴を上げた。普段彼が利用する馬車とは比較にならないレベルで乗り心地が悪く、しかも、それなのに遅かった。 


「なんでこんなに遅いのだ!なんだその駄馬は!」

「勘弁してくだせえ。ウチの馬じゃそんな速く走れませんて」


 雇われた都市間の運送業を生業とする“名無し”の男、レイロウはげんなりと、雇い主の抗議を受け流す。どれだけ文句を言われようと、無理なものは無理だ。馬車を引く馬達は年老いた老馬だ。これでも、都市外の魔物を恐れぬよう調教された貴重な馬なのだが、目と身体が肥えた雇い主には不満らしい。

 グルフィンにとっての馬の規準は都市の中、恐るべき魔物の存在も知らずにのびのびと育った馬たちであるから、その規準から言えば遅いのは当然だろう。都市の外への理解がない“都市民”や“神官”はよくよく安全な都市の内側の物差しを持ち出すものだから、彼らを運ぶのは面倒が多い。

 それでも今回その面倒さを妥協したのは、彼らに提示された報酬の多さと、なによりもあの魔物に変貌を遂げてしまった“都市ウーガ”から一刻も早く逃れたいという目的が一致していたからだ。


「逃げる馬も持っちゃいねえ連中には悪いけどなあ…」


 グラドルで奴隷扱いされていた連中は、当然ながら何か移動手段を用意できているはずも無い。彼等は逃げる手段が無い。まあ、名無しであれば、最悪徒歩で逃げることも出来るだろう。と、自分を納得させながら、彼は必死に逃げていた。

 都市と都市の間の中継地点として仮都市を便利に使っていた。都市が竜に呪われて、きな臭くなってからも、やはり利便性が高くずるずると利用し続けてしまった。


 だが、流石にもう潮時だ。あるいはその潮時もとっくに過ぎてしまっているかも知れない。だから急いでいる。


 名無しの彼にも分かっている。背後で騒がしくしている従者達の反応はあながち間違いではない。どう考えても、あの都市の変貌はヤバいのだ。一刻も早く離れなければならない。


「――――なんだありゃ?」


 だが、大罪都市グラドルへと続く道すがら、奇妙な光景が彼の目に映ったのは、仮都市を出発して間もなくの事だった。

 ろくに舗装されていない道の先に、人影が見える。


「む?どうした!何故止まる?!」


 雇い主の抗議を無視してゆっくりと馬の動きを止める。目の前の道を封鎖するように立ち塞がる者達。盗賊の類いではない。盗賊達はあんな身なりはよくはない。あれは騎士の格好だ。それもただの騎士ではない。


「あれは……天陽騎士ではないですか?何故こんな所に?」

「そんなことよりも何故奴らは道を塞いでいるのだ!!おい!」


 グルフィンが指示し、従者の一人が頷き、彼らに話を聞きに行く。天陽騎士も神官だが、官位だけなら第三位(グラン)のグルフィンがいる。従者は堂々としながら天陽騎士に近づいていった。


「…………」


 だが、レイロウはとても嫌な予感を覚えていた。それは名無しとしての、都市の外を何度も移動することで身についた野生の動物めいた危機感だった。

 天陽騎士たちも近づいてくる従者に気がついたのだろう。彼らは近づいてくる従者へと視線を向けてゆっくりと――――腰にかけた剣を引き抜いた。


「――――!!!!」


 瞬間、レイロウは馬の手綱を引いた。彼の愛馬もその場の剣呑な雰囲気に察していたのだろう。即座に指示に従い、振り返り、一気にかけだした。先ほどまで辿った道を逆走したのだ。


「お、おい!?貴様何をしている!?戻れ!」

「あーあー、なんも聞こえません」


 先ほどの倍の騒音を奏でながら馬車が逃げ出す。客達は悲鳴をあげ、ある者は抗議の声をあげるがレイロウは全てを無視した。


「ぎゃああああああああああああああ!?!!」


 悲鳴がした。それは先ほどまで天陽騎士に近づいていった従者の悲鳴だ。仲間の従者達、そしてグルフィンは馬車から後ろを振り向く。後ろでは鮮血が散っていた。従者の身体からは鈍い、金属が突き出ていた。

 天陽騎士が、神より賜った剣でもって、従者の身体を引き裂いたのだと、理解できた者はその場にどれほどいただろうか。


「――――ヒィ!?」


 しかし従者を切り捨てた天陽騎士がグルフィン達へと向けた冷酷な目は、逃げなければならないと理解するに十分な殺意が込められていた。


「に、に、逃げろ!!ひ、急げ?!」

「言われなくても分かってますよ!!!」


 あまりにも遅すぎる命令に怒鳴り返しながら、レイロウは全力で仮都市へと戻る羽目となった。そして理解した。

 やはり、逃げるには遅すぎた。引き際を自分は見誤ったのだ、と。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「ええ、まあ、なんつーか俺ん時はそんな感じでして。どうにも天陽騎士の連中がこっからの通路全部塞いでるらしいですわ。そんで、近づいてくる連中は従者だろうと問答無用にバッサリ」

「……馬鹿、な」

「まあ俺も信じられませんでしたけどね。でも、俺以外の連中で護送を請け負った連中も全員逃げ戻るか、死ぬかしてるんでねえ……やれやれ」


 逃げ戻ってきたレイロウからの報告を聞いたエシェルは絶句した。驚愕などという次元ではない。今聞いた話全てが嘘だったと言われた方がまだ納得がいくレベルだ。

 天陽騎士が、世界の支配者である神殿の持つ唯一の剣が、神と精霊の守護者が、己と組織を同じくする者が、避難してきた従者達を襲う?殺す?何故そうなる?

 先日の都市の魔物化の方が、前触れもあった分まだ納得がいく。

 今回の場合、本当に全く状況が理解できない。


「本当に、本物だったのか……?」


 振り絞るようにエシェルは問うた。実は天陽騎士を装ったニセモノだったと言われた方がまだわかりやすい。だが、他の従者達から情報を集めていたカルカラは首を横に振った。


「自ら天陽騎士を名乗った者もいたそうです。証として天陽の紋章を見た者もいたそうで、彼らは間違いなくグラドルの天陽騎士団かと」

「……」

「エシェル様。しっかり」


 膝が揺れ、腰が抜けそうになったエシェルをシズクが支える。だが、何の慰めにもならなかった。心臓が冷たく冷え切っているのに、頭が酷く熱っぽい。身体が全くコントロール出来なくなっているのをエシェルは感じていた。


「誰か、誰だって構わないから、頼むから、納得のいく説明をしてくれ!!」


 その金切り声のような悲鳴を咎める者は誰もこの場にはいなかった。

 それはその場に居る全ての者の代弁だったからだ。

 そして、彼女のその悲鳴に応えるように、執務室の扉がノックされた。


「あのーすんません。エシェル様」

「あら、カラン様?」


 扉を開けて出てきたのは、この仮神殿の内情をウル達に説明してくれた男、従者のカランだった。彼はするりと、何かから隠れるように扉の中に入っていった。


「なんだその動き」

「いやまあ、見つかっちゃまずいんだよ。エシェル様。これを」


 そう言って瀕死のエシェルの前に差し出されたソレは印蝋によって封された封筒だった。エシェルはすぐにそれが何か察したらしい。


「天陽騎士団の紋章…!」

「どうも、逃げようとした従者の連中の中に、道を封鎖している天陽騎士団の本陣にぶつかった奴らがいたらしく、こいつを渡されたそうです」


 エシェルは半ば奪い取るようにして受け取る。そして蝋を引き剥がす。すると中に綴じられていた手紙がパチンと音を立てた。魔術の稼働音だ。エシェルが取り出そうとした手紙は、彼女が手を取るまでもなく、ふわりと封筒からその身を飛び立たせ、そして宙を浮遊した。


「魔術による音声記録ですね。学院で見たことがあります」


 警戒するウルにシズクが説明する。と、同時に、その“音声記録”とやらが再生しだした。この特殊な手紙を用意した者の声が執務室に響きだした。


《衛星都市ウーガの建設に携わった全ての者、及び、責任者であるエシェル・レーネ・ラーレイに告ぐ》


 若い、男の声。朗々と響くその声はまるで演説のようだった。魔術を介しての声だったが、自信家であることが伝わってくる。

 そしてその声が聞こえてくると同時に、エシェルがぎょっと顔を歪めさせた。確認するまでもなく、それは聞き覚えのある声を聞いたときの反応だ。


「え、エイスーラ……」

「エイスーラ?」


 と、ウルがその言葉に反応する間もなく、手紙の音声は続く。


《我が名はエイスーラ・シンラ・カーラーレイ。我らは天陽騎士から衛星都市ウーガの状況を解決させるために派遣された“浄化部隊”、その管理責任者である》


 解決のための部隊。という、実にありがたい言葉が添えられているにもかかわらず、全く喜ばしい気持ちにならないのは、“浄化”という単語の響きの不穏さからなのか、それとも必死に逃げたのにぼろくそに追い返された挙げ句殺された従者達の被害の所為なのか、ウルには区別が付かなかった。

 無論、手紙の主はウルの感想など知ったことではないのだろう。そもそもあたかも目の前で喋っているように見えるだけで、実際は事前に記録した音声を再生しているだけなのだから此方を気にかける訳もなかった。


《ウーガに発生した竜の結界、更にはその後の異変を受け、大罪都市グラドルはウーガを【竜呪染地域】と認定した。我ら浄化部隊の任務はその処理に当たる》

「竜呪染……」

「ディズ様が以前おっしゃっていました。確か、憤怒の大罪竜が焼いた大罪都市ラースのように、竜の被害が蔓延化した場所がそれにあたると」


 大罪竜ラースの黒炎のように、見るだけでヒトを呪い、近寄るだけで命を奪うおぞましい悪意が蔓延した場所。つまり竜によって、都市の外の人類生存圏外において、最も忌まわしく、存在自体が害を及ぼすようになってしまった禁忌エリア、それが【竜呪染地域】に当たる。

 そして、今ウル達の居る場所がそうだと手紙の主、エイスーラは告げている。

 

 なるほど、まあ、言わんとするところは分からんでもない。都市そのものが魔物になる超常現象だ。今はまだ動いていないが、あのウーガだった魔物が本格的に活動を始めたら、大変な被害を生むかもしれない。やや判断を急きすぎる気もするがその認定自体は不服はない。

 さて問題は、その【竜呪染地域】を“解決”するための手段だ。


 彼らは解決する部隊というのだからこの問題は解決させる気なのだろう。そのやり方をどうするつもりなのか?

 などと、疑問符を浮かべてはみたものの、ウルにはおおよその見当がついていた。そんなもの、従者達に対する天陽騎士団の対応の仕方でとっくにハッキリしている。


《よって、我らはそれを殲滅する。全てを焼き払う。言葉通り全てをだ。一切の例外は許さない。一切の禍根は残さない》


 故に、次に発せられた言葉に、ウルは特に驚きもしなかった――不愉快ではあったが。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()》。


 実に明確な、皆殺しの宣言だった。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 全てを殲滅する。

 エシェルもまた、その言葉の可能性を予想はしていた。この事態、天陽騎士達の対応を知って予想を立てられない程彼女は愚鈍ではない。だが、考えないようにして、拒絶していた。

 その逃避を真正面から叩き潰されて、エシェルは頭がぐらつくのを感じた。


《最後に、我が愚かなる姉、エシェル・レーネ・ラーレイに告ぐ。貴様の官位の地位は剥奪となった。都市民としての権利もだ。天陽騎士からも追放である》


 弟の声がする。弟が自分に呼びかけている。血の繋がった家族、その中でも最も自分を嫌悪し、いたぶり尽くした、エシェルにとって悪鬼と変わらぬ恐ろしい男の声が。条件反射で身体がすくみ上がる。


《愚かしく、醜く、我が血族の面汚しでしかない貴様に最後の好機を与える》


 エシェルがどう反応するのか、恐らく彼は理解しているのだろう。魔術によって手紙に移しただけで直接対面しているわけでも無いのに、その声音はエシェルの反応に合わせて上擦った。


《死ね。貴様が汚辱したカーラーレイの名を、その血で濯ぐ機会をくれてやろう。我らの先祖に詫び続け、死に果てろ。可能な限り早急にな》


 そんな、むごたらしい言葉と共に、手紙はその役割を果たした。魔術の光が収まると、手紙はひらりと地面に落ちる。そして、元から別に仕掛けられていたのか、火種も無いのにどこからともなく炎が手紙に灯り、あっというまに焼き払ってしまった。


 それを最後まで聞き遂げ、エシェルは


「ふ――――」

「おい」


 ウルが手を伸ばすよりも早く、ぱたんと意識を失った。

評価 ブックマーク いいねがいただければ大変大きなモチベーションとなります!!

今後の継続力にも直結いたしますのでどうかよろしくお願いします!

前へ次へ目次