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帰還、そして狂乱の幕は開く


 迷宮探索開始日から数えて六日目の夜、仮都市宿屋にて


「ウル様、身体に異常はありませんか?」

「なんとか。まだズキズキ身体の芯が痛むが」

「白王陣の後遺症ですね。徐々に収まるかと」


 リーネの施した治癒魔術によって、ウルの肉体はほぼ完璧に再生を果たしていた。全身丸焦げになって結構な重傷になっていたウルの身体を完璧に治してみせたのだから、その効力は高回復薬(ハイポーション)以上だろう。

 ただし、その対価、というにはやや大げさだが、ウルは全身の痛みを堪える羽目になった。“回復痛”とでも言うべきか、常軌を逸した回復の反動がきていた。


「…………くぅ……」


 そして、その奇跡的な治療をしてくれたリーネは、丸一日経った今も眠っている。

 【暁の大鷲】が寄越してくれた治癒術士曰く、ウルの怪我よりもリーネの消耗の方が重いらしい。

 今日中には目を覚ますらしいが、大分無茶をさせてしまったようだ。


「それで………アレから何がどうなってエシェル様はどうして()()なった?」


 ウルが指さす先、自分の左腕にほとんどしがみつくようにしてウルを引っ掴んでいる。柔らかい感触への喜びとかを感じる以前に鬼気迫る様子で思い切りくっついてくるので怖い。


「……エシェル様。離れないか?」

「う゛う゛ー……」

「……やっぱいいっす」


 涙目でうなり声をあげながら警戒されたので、ウルはすごすごと引き下がった。やむなくシズクを見ると、シズクはニッコリと微笑んだ。


「エシェル様に関しては、諦めてくださいウル様」

「マジか」

「ウル様にも責任はあります」


 ウルは反論しようとした。が、思い当たる節がない、わけではなかった。割とある。なので黙った。反論して続けたい話でもなかった。


「……んで、結局あの後、どうやってあの状況を退けたんだ?」

「エシェル様と、エシェル様の精霊様の御力の賜物ですね」

「精霊様」


 はて、彼女は確か神官ではなく、精霊の力も使えないはずだが、と、エシェルを見る。彼女はぶっさいくなしかめ面で口を一文字に閉じている。どういう感情なんだソレは、と、ウルは彼女に説明させるのを諦めてシズクに続きを促した。


「【鏡の精霊ミラルフィーネ】の力で、飛竜の咆吼を全て()()()()()のですよ」

「跳ね返す……そりゃまた」


 凄いな、と、そのまま口にしなかったのはエシェルの反応が気になったからだ。精霊の名前をシズクが口にした瞬間ウルの腕を掴む彼女の手が明らかに強ばった。やはり、単純なものではないらしい。


「鏡の精霊だから、跳ね返ったのか?」

「ええ、そのような性質を有した()()()が私達の前に出現し、咆吼の全てを受け、そのまま飛竜へと。中々凄まじい光景でした」


 ソレは確かに壮観だろう。あの飛竜の咆吼を直撃して最もダメージを負ったのはウルだ。それを防ぐのみならず相手に返すなど尋常な力ではない。


「それで、竜は倒せたのか?」

「いいえ、幾らかダメージを負っているようでしたが、やはり自分の力だからでしょうか。致命傷とはなりませんでした。その隙に我々も撤退しました」


 と、そこまで説明して、シズクは頭を下げた。何事だろうとウルが驚くと、シズクは哀しそうに顔を上げた。


「……探知は私の役割でした。あの時反応が遅れて申し訳ありません」

「それを言い出すなら、俺なんて未来予知の魔眼があったのに、反応が遅れたよ」

『カカカ、それを言えば全員じゃの?“アレ”に見事皆、目を奪われておったわ』


 互いに謝罪合戦になりかけたところを、ロックが笑ってそう片付けた。話をこざっぱりにまとめられた気もするが、こういう時は助かった。

 ウルは改めて、自分にひっつくエシェルに対しても頭を下げた。


「エシェル様もありがとう。おかげで死なずに済んだ」

「…………礼を言われるようなことじゃない……」


 だがどうも、彼女の表情は冴えない。

 俯いて、小さく隠れようとしているかのようだった。あれほど成果を求めていたのに、そして今回の結果は間違いなく彼女が求めていた大戦果であるはずなのに、何故そんな顔をするのだろうか。


「………【鏡の精霊】は、【神殿】では忌み嫌われているのよ」

「リーネ」


 と、そんな疑問に答えるように、眠っていたはずのリーネがいつの間にか目を覚まし、声をあげた。まだ身体が怠いのか、少し眠たげな表情ではあるが、意識はハッキリとしているようだった。


「鏡の精霊は【邪霊】として扱われているの」

「邪霊……鏡の精霊が?」


 ウルは彼女の説明に全くピンとこなかった。 

 手鏡の類いはウルだって持っている。映りの悪い安物だが便利な道具だとは思っている。自分の姿を確認できるし、視界の悪い場所での確認、迷宮通路曲がり角の偵察など、それなりに使い道がある。

 ウルにとって鏡は“便利な道具”程度の認識だ。それが何故忌み嫌われるのか?


「鏡は光を映すでしょう?太陽神の、唯一神の光も」

「ああ。それはそうだろう」

「だから、鏡を見て、神官達はこう思ったの」


 鏡は、太陽を盗む。


「だから、鏡の精霊には別名があるの。【簒奪の精霊・ミラルフィーネ】ってね」

「……その理屈だと、水面も同じでは?」


 水が溜まれば光を映す水面が出来る。そうでなくても、鏡以外でも光を反射するものはあるだろう。別に、鏡に限った話ではない筈だ。


「そうね。でも、水面は揺らぐしぼやけるでしょう?光の全てを映すことは出来ないって解釈されたの。畏れの信仰が生まれたのは鏡だけよ」

「ふむ」

「ウルは知らないでしょうけれど、神殿には殆ど鏡がないの」


 それを聞き、ウルは眉をひそめた。想像以上に極端な話に思えたからだ。


「不便だろソレ」

「身支度なんかは従者に任せるわ。高位の神官なんかはだけど。それくらい嫌われてるの。神殿ではね」

「……いろんな意味で、なるほど」


 何故、彼女あれほどの力を有していながら使うのを拒んだのかもわかった。

 何故、彼女があんなに活躍をして尚、こんな顔で伏せてるのかもわかった。

 だがまだ、分からないこともある。


「鏡の精霊が、不味いってのは分かったが、でもそれなら、別の精霊の力を使えば良いのでは?神官って、精霊の加護を選べないものなのか?」


 神官はあくまでも精霊の力を借り受けているだけだ。太陽神から爪弾きにされるような危険な精霊がいたとして、その加護を授からなければ良いだけだ。別のもっと有益な精霊から力を借り受ければ良い。 

 

「精霊との親和性の高い神官なら、複数の精霊から加護を授かることもあるけど、相性の問題もあるわ。好きな精霊の力を好きに選べるなら、皆、四源の大精霊を選んでるわよ」

「ああ、そりゃそうか……」


 火、水、風、土、世界のおおよそを司る大精霊。

 この四つの内、どれかがあれば、極端な話“なんだって出来る”。確かに選べるなら誰もがそれを選ぶだろう。だがそれはできない。

 精霊からの【加護】は、まさしく上位者からの贈り物(ギフト)と言えるものなのだ。神官としての鍛錬を積み、精霊との親和性を高めれば、多くの精霊からそれを授かる可能性は上がるものの、あくまでもそれは可能性だ。全ては精霊の意思によるものなのだ。


「……私は鏡の精霊からの寵愛を受けた。【寵愛者】だったんだ」


 するとエシェルが小さく呟いた。聞き覚えのない言葉にウルは首を傾げる。


「【寵愛者】?」

「一切の鍛錬なく、最初から精霊の加護を授かる事が出来た者の総称。精霊のお気に入り。その精霊に仕える優れた神官となりうるとして持て囃されるわね。普通なら」


 だが、彼女が愛されたのは【邪霊ミラルフィーネ】だった。

 本来ならあり得ない話だったという。

 精霊達の住まう庭、太陽神ゼウラディアが管理する【星海】から【鏡/簒奪の精霊ミラルフィーネ】は追放された。神殿に姿を現すことも勿論無い。間違っても精霊の加護を授かる者など現れるはずも無かったのだ。

 だが、何故か彼女は愛されてしまった。それが類い希なる才能故なのか、あるいは邪霊の気紛れなのかは分からなかった。だが、結果、彼女の運命は致命的なまでに狂った。


「他の精霊の加護を授かることも無かった。私の神官としての才能は全て其方に注がれている……私の兄弟達と違って……」

「ああ……」


 どうして彼女がやたらと劣等感に苛まされてるのか、少しわかった。自分は忌み嫌われた精霊の力しか扱えず、自分以外の周りの連中は、真っ当な精霊から愛されている。

 彼女がこれまでどういう扱いを受け、どういう想いをしてきたのか、その一端に触れた。


「……難しいもんだ」


 間違いなく、彼女の力はウル達の助けとなった。だが、これは単純な功績の話ではない。積み重なった信仰の話だ。それによって傷つけられ自分を無価値と思い込んでいる彼女の心を癒やすのは、容易くはなかった。


「……まあ、いいんだ。今は私の話は、それより、確認したいことがある」


 少し強引に、エシェルは自分の話から切り替える。もう少し彼女の話も聞いてはみたかったが、話を逸らしたいという彼女の願いを尊重し、ウルは頷いた。


「地下水路中央の……アレは、なんだ?」


 確かにそれは確認しなければならない事だった。

 ウル達が意識を逸らさざるを得なかった程の異物。地下水路の中心にそびえ立つあの魔石の巨大な結晶。アレが迷宮の核、【真核魔石】なのかも定かではない。


『なんだもなにも、まーアレが“核”じゃろ?』


 するとロックが確信したように断言する。彼とてアレは初めて見たはずなのに、あまりにも強く言い切っていた。


「真核魔石とはちがったぞ?」

『違うかろうが、核は核じゃ。()()()()()()()()()()()()ありゃ』


 確かにその意見には反論の余地は無かった。アレがあったから竜呑都市が生まれたのか、はたまた竜呑都市が生まれたからアレができたのか。因果関係は不明だが、間違いなくアレが全ての中心だ。

 証拠も根拠もなくとも、全員がそう確信するほどアレは竜呑迷宮の中でも際立った異質だった。


「なら、破壊すれば都市は元に戻る…!?」

「…………うーん」

「言い淀むな!」

「アレがなんなのか全くわからんからな。シズク、リーネは何かわかったか?」


 魔術の知識があるものならば、と尋ねるが、シズクは首を横に振る。だろうな、と思っていたが、ベッドに横たわったリーネは天井を見上げながら、少し目を細めた。


「リーネ?」

「…………アレは――」



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 同時刻、【竜呑都市ウーガ】の外周にて


「何しに来たんだ。テメーら」


 【白の蟒蛇】のジャインは眼前の人影にそう呼びかける。竜呑都市から帰還した直後の彼らの前に立っている男達は、ジャインも見知った者達だった。


 何せ、彼らもまた【白の蟒蛇】なのだから。

 つまり同じギルドの同僚ということになる。


 で、あるにもかかわらず、ジャイン一行と、同僚達の間に漂う空気はあまりに剣呑だった。

 同僚達の内、一人の男が前にでる。仮都市の明かりに照らされたその顔は、【白の蟒蛇】の創立者の一人で、つまり、ジャインの最初の仲間だった男だった。


「仕事だジャイン」

「失せろやジョン」


 ジャインは鋭い声でそう返した。それは決して仲間に向けられる鋭さではない。迷宮内でウル達に見せた“脅し”よりも遙かに強い殺意だった。


「てめえらが何しようと勝手だが俺達に干渉するな。失せろ」

「勝手ぬかしてんじゃねえぞ!」


 そう言うのは前に出たジョンとは別の、彼の部下だった。立場上、自分の上司と同格であるはずのジャインに対して、敬意を払う様子は微塵もない。あるのは侮蔑と侮りと敵意だ。


「いつもこっちの方針も命令も雑に扱いやがって!何様だこの白豚が!!」

「脳みそまで脂肪がついてんじゃねえだろうな!?」

「――――は?」


 取り巻きらの明確な侮辱に対して、反応したのはジャインではない。彼の後ろでひっそりと控えていた獣人のラビィンだ。彼女は闇の中、瞳だけを鈍く光らせながら、じりと足を強く踏みこんだ。強脚で地面を踏みこむ様は引き絞った弓矢のようだった。


「やめろクズ」

「てめえらもやめねえか!」


 だが飛び出すよりも先に、ジャインがラビィンを叩き、直前で止められた。ジョンも同じく部下を抑え、結果、闘争は抑えられた。だが、場を支配する剣呑な雰囲気は何一つとして霧散してはいなかった。

 ジョンはその空気をまるで無視するように、無駄に明るく声を上げた。


「なあ、ジャインよ。そんなに気にくわねえか。“アイツら”が」

「気にくわねえのはお前らだよ」


 ジョンは深く、大きな溜息を吐き出して首を振った。そして演技がかった仕草で両手を広げた。


「よわっちい名無しの俺達が生き残るために足掻くのがそんなに不愉快かね?昔と比べて、守るモノは増えた。ガキのままじゃいられねえんだよ。ジャイン」


 訴えかけるようなその声に対して、しかしジャインの反応は酷く冷淡だった。


「随分ペラペラと綺麗事抜かすじゃねえか。自分のウソに酔って楽しいか?」

「なにを――」

「クソどもの中でもとびきりの肥溜めから餌貰って、綺麗事を抜かすのは滑稽だっつったんだよ俺ぁ。なあジョンよ」


 ジャインはチラリと仮都市の方角をみる。先の飛竜の騒動でまた大きく生活の灯火が削られた。仮都市が都市としての形を保てなくなるのも時間の問題だろう。先の竜の襲撃もある。いくら名無しの住民達がエシェルに恩を感じてるとはいっても限度というものがある。次々と逃げ出していた。

 だが、それだけが原因というわけでは、ない。


「騒動に乗じて此処の名無しの連中を連れ去ったのはお前らの仕業か?」


 ぴしりと、ギリギリの所で保っていた均衡が崩れた音がした。

 先ほどまで悲しげな瞳でうったえかけていたジョンの目から感情が消えた。背後の部下達からもそれがなくなった。応じて、ラビィンやジャインの部下も武器に手を添える。


「俺は、迷宮探索の冒険者ギルドを作ったつもりだったんだがな。いつから【白の蟒蛇】は人攫いギルドなんてものになったんだ?同じ創立者として相談してほしかったぜ」

「ジャイン」


 先ほどまでの声とは明らかに違う、感情がごっそりと削り取られた声だった。冷たいその呼びかけに対しても、ジャインは特に動じる様子はない。


「俺達に従わねえ。それでいいんだな」

「お前に従わなきゃいけねえ謂われは一つもねえなあ?」

「そうかい」


 それだけ言って、くるりとジョンは背を向け去っていった。部下達も続く。ラビィン達は未だ武器から手は離さない。場を支配する殺意と敵意は依然として漲っていたからだ。


「残念だぜ、あばよジャイン」

「ああ、じゃあなジョン」


 しかし結局、此処で闘争が起こることはなく、ジョン達は闇の中へと消えていった。


「…………此処で殺し合いかと思ったっすね?」


 先ほどまでの殺意はどこへやら、けろりとした表情でラビィンは笑った。ジャインは「バカが」と短く罵った。


「殺すつもりだろうよ。だが、ジョンは自分の身の安全は確保する男だ」

「つまり?」

「此処で殺し合いしなくても、コッチを殺す算段があるってこった」

「逃げるっす?」

「もうムリだろうな。仮都市に戻る。補充と休息を急ぐぞ、後は――」


 彼は少し考え込むように首を捻り、そしてつまらなそうに鼻を鳴らした。


「あのガキども、使えるか?」



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 竜呑都市、地下五層

 元々は水路として建築されたその場所の中心地。

 奇妙なる、巨大水晶がそこにはある。迷宮の中心にある真核魔石とも違う、しかし紛れもなく膨大な魔力を蓄積させたその結晶は、仄かな輝きを放ちながらじっと、そこにいた。


『GUUUUUUU』


 時折、その周囲から何匹もの土竜蛇が姿を現す。先日ウルが倒したのは、水路を巡る土竜蛇のウチの一部に過ぎず、何匹もが水路を縦横無尽に蠢き、魔物達をくらい、魔石を集めていた。


『GU――OOOO』


 そして、その巨体に蓄えた魔石を吐き出しては去っていく。シズクの予想したとおり、土竜蛇はその蓄えた魔石を集め、そして自分以外の事に使用していた。集められた魔石は、暫くすると水晶へと吸収され、消えていく。


『………………』


 その様子を飛竜はただ眺める。土竜蛇たちの仕事を邪魔するでも手伝うでもなくただジッとする。その真っ黒な身体の部分部分は、深く傷ついた後があった。迷宮の魔力によって徐々に癒やされているが、深手には違いなかった。ソレを治すべく飛竜は身じろぎもしない。そして、水晶の前から動くこともしなかった。

 その様は、卵を守る親鳥のようでもあった。

 そしてそれは正しい。

 彼は守護者だった。

 巨大なる水晶、そこから生まれ出るモノを守るための守護者である。故に、いかに深手を負い、傷つこうとも水晶の前から決して離れない。いざという時、全力で敵を迎え撃つために飛竜はそこにいる。


『……………』


 飛竜の守護する巨大なる水晶の輝きはその強さを増していた。土竜蛇が魔石を送り込むたび、成長を続けているようだった。光は地下水路の闇を塗りつぶすほど強くなりつつあった。

 そして――


『――――』


 ミシリと、音がした。水晶が割れるような音と共に、幾つものソレが砕けて落ちる。同時に最も中央にそびえる水晶はより強力な光を放ち始めた。


『――――ようやく完成したかしら、アハハ』


 飛竜のうなり声とは全く別の女の声を聞き届けるモノはこの場には居なかった。


 だが、その異変と、大きな異変は、遙か地上にまで伝達し――




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 仮都市


「……!?なんだ?!」


 大地が揺れるようなその衝撃音に、ウルはベッドから飛び出した。大地の揺れ、地震と呼ばれる現象は時折、精霊のイタズラや、自然魔力の飽和による現象で起こる事はある。が、決してそう何度もあるものではない。

 何より、今回のソレは明らかにその類いの現象とは違った。断続的に続き、収まる気配が見えない。


「シズク!俺の装備は!」

「竜牙槍以外は全部消失しました」

「マジか畜生!」


 今のウルの装備はただの寝間着である。都市外の異変に備えるには心許なさすぎた。


「装備があっても今は動かないでください。私が様子を見ます。ロック様は護衛を」

『なーんじゃつまらんのう』

「わ、私もいくぞ!!」


 立ち上がったのはシズク、そしてエシェルだった。エシェルの顔色はすこぶる悪い。立て続けのトラブルが彼女の胃を更に痛めつけているらしい。が、彼女に助け船を出すことも今のウルにはままならない。


「……気をつけろよ」

「どうか、ゆっくりとお休みくださいね」


 シズクはニッコリと微笑み、熱がでた子供にするようにウルの額に口づけて、そのまま颯爽と部屋を飛び出していった。エシェルも慌てて後に続く。


『らぶらぶじゃのう』

「やかましい」


 ロックの軽口にウルは溜息をつきながらもう一度ベッドに倒れ込む。未だ疲労と痛みが身体を包むが、寝る気には当然ならない。今なお、断続的に震えのようなものが聞こえてくる。


「……ウル」

「どうしたリーネ」


 隣でリーネがウルに声をかけた。彼女の方が疲労の色は濃いようだが、やはり彼女も眠れないのだろう。いくらか緊張を帯びた声色だった。


「…………この揺れ、なんだと思う?」

「分かるわけがない……と、言いたいが、一つだけ、確実にハッキリしている」

「なによ」

「厄介ごとだ」


 背中から立ち上るような、拭えぬ嫌な悪寒、これまでの経験から確信する。

 今起きてるコレは、不可避の災害であると。


「…………まあ、そうよね」

『楽しみじゃのう?カカカ』

「うるせえ畜生」


 リーネは諦めたように嘆息し、ロックは笑い、ウルは悪態をつくのだった。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 宿屋屋上


「…………………」

「………………な、な……」


 シズクとエシェルは振動の発生源を探るべく屋上に上り、そしてその正体にすぐに行き着いた。視線の先には【竜呑都市ウーガ】が、悍ましい真っ黒な結界とおぼしきそれに包まれた建設途中の都市がある。

 が、今はその様相が異なる。

 大分異なる。


「な、な、な!!!」


 黒色の結界、のようなモノが払われている。が、そのしたからは内部で溢れていた肉の根のような物体がドーム状に張り巡らされていた。黒の半球体は、もっと悍ましい肉の半球に変わっていた。

 そして、唯一ギリギリまだ元の都市の原型を止めていた周辺の巨大なる防壁も、その表面が崩れ、底から肉の根が現れ、そして要所要所には、


「……お目々、ですね?」


 生物の眼球のようなものが、ぎょろぎょろと周囲を見渡し始めていた。

 どうしてこのような状況となってしまったのか、説明できるモノは今のところどこにも居なかった。だが、アレがどういう状況なのか、簡潔に言い表すならばこうなる。


 都市が、()()()()()()


「な――――――んだああれはああ!?」


 エシェルの悲鳴は仮都市に響き渡った。


 かくして狂乱地獄の幕は開く。

 天陽騎士エシェルの強要から始まったこの依頼(クエスト)は、ここからウル達も、そして依頼者である筈のエシェルも想像だにしない方向に動いていく事となる。



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