黒の襲来
ウルとシズクがジャイン達との取引を行なっている間、ロックとリーネは待機する事となる。彼ら二人だけで迷宮探索には向かえないし、ジャインから得られる迷宮の情報を持たずに迷宮に突っ込むのは馬鹿な事だ。
そんなわけで待機しているわけなのだが、ロックはヒマを持て余していた。“仮都市”には娯楽が少ない。あくまで都市建設中に避難してきた“名無し”達が集まっただけなのだから当然と言えば当然だろう。今は【暁の大鷲】が店を開いており、活気はあるが、それでも規模は都市の商店街に劣る。
ヒトが多すぎれば魔物が狙ってくるのだから仕方の無いことではある。そんなわけでロックはヒマだった。何をするでもなくぼーっと自分の一行の仲間を眺めていた。
『……何しとるんじゃリーネよ』
が、その眺める対象であるリーネがあまりにおかしな事をしているので思わず声をかけた。ロックが見ている前でリーネは自身の巨大な杖を握りしめ、ぶんぶんと杖を振りながら、地面に術式を刻み込んでいる。
しかし術の完成を目指していると言うよりも、あえて言うなら、剣術の鍛錬、素振りに見えるが……彼女は魔術師である。何してるのかさっぱり分からない。
「白王陣の修行だけど」
ロックの質問に、リーネは額の汗を拭いながら答える。ロックはカタカタと首を傾げた。
『そういうの研究っていうんちゃうんかの』
「鍛錬よ。私がより素早く白王陣を刻むための筋力を鍛えるための」
『思ったより修行じゃった』
ロックは呆れた。変な魔術師がいたものだった。
『そういうの、魔術の方を研究でなんとかするんとちゃうんカの?』
「研究はもう突き詰めるところまで突き詰めてるのよ。洗練は続けているけど、劇的な変化はそうそう起こらないわ」
リーネの言葉は重かった。白の魔女からもたらされた技術の鍛錬は数百年続けられている。ソレは決して絶えることなく行われたのだ。簡易化、廉価版の発明も含めて、多方面の研究も成された。今更一日やそこらの研究でパッと解決できるような問題ではないのだ。
と、なれば、未だ伸びしろの余地があるとすると、リーネ自身の肉体である。実に単純な話だが、リーネが術式を刻む速度が速くなれば、それだけ【白王陣】の完成も早くなるのだ。迷宮の探索、魔力の吸収によってリーネの身体能力も向上の傾向にあるが、単に力が増加するだけでは意味が無い。術式の構築は、【白王陣】の構築は、繊細な穂先の技術も求められるのだから。
と、ここまで丁寧に説明すると、ロックは感心したような、呆れたように、
『大変じゃのう……』
と、実にシンプルな感想を述べた。勿論、もっと色々と思うところはあったのだが、簡単にその感想や指摘を口にするのは享楽主義なロックでも憚られた。【白王陣】という魔術の研究に紛れもなく人生を捧ぐ覚悟を決めている女に軽口を叩くほど、彼は愚鈍ではない。
「大変なのよ……貴方は、どうなの?」
『ん?ワシ?』
リーネは鍛錬を少し止めて、ロックに向き直る。
「目的とか、あるの?」
『ないのお』
ロックはあっけらかんと断言した。
『今のワシにとって今生は、長い眠りについた後に見る夢よ。前の人生にいくらかの悔いもあったかもしれんが、それ自体定かな記憶もなし。そも、“ワシがかつてのワシから続いているのかもわからん”』
異端の強力な死霊術士によって呼び起こされ、異形の身体を手に入れたロックは、自らの不安定な状態を十分に理解していた。朧気な記憶にある死に絶えたかつての自分と、今の自分が必ずしもイコールで結ばれる訳でもないということも。
『何一つ定かでないなら。今を楽しむのが得じゃろ?カカカ!』
だからロックは今を生きる。朧気で確かなことが何一つ無い過去に捕らわれる真似をしない。彼は享楽的であり、そして合理的だった。
『主に付き合っていれば、ヒマはしそうにないしのう!小遣いもくれるしの!』
「……なるほど」
『呆れたかの?』
リーネは首を横に振った。
「酔狂さで他人を笑えるほど、私の目的はマトモじゃないもの」
『カカ!酔狂者同士、仲良くするとしようかの!』
ロックは笑い、リーネも少しだけ笑った。互い、これからも命を預け合う仲間同士なのだ。互い、信頼出来る関係を築くことは大切だった。
「まあ、それを言うと、貴方の主も、我らがリーダーもそうだけどね」
『二人とも竜殺しが目的じゃろ?できるんかのう』
「私、直接は一度も見てないからピンとこないのだけれど、凄いの?」
『ワシも一度だけ、子供をチラっとみたくらいだったがのう……』
ロックはあの光景を思い出す。まだ成体になっていない半端な竜と、それに相対するディズとの戦いを。朧気ながらある騎士としての自身の記憶が訴える。あれは“異次元”だと。
『力が強いとか、魔術が凄いとか、そういうレベルじゃなかったの。ありゃ』
「【白王陣】でも厳しい?」
『いや、むしろウルは竜を見たからこそ、お前さんに期待しとるんじゃと思うぞ?正攻法で打ち破れるような奴じゃないわありゃ』
ロックの言葉に、リーネはぐっと杖をもつ手に力を込めた。彼女の表情は外からは非常に読み取りづらいタイプだが、内から燃えるような意思をロックは感じていた。期待を重く感じるタイプも世の中にはいるが、彼女は期待を力に変えるタイプであるらしい。
『ま、とてつもない苦労を背負いそうということじゃ。容易い道ではなかろ』
《そーなのよねー》
ん?と二人が振り返ると、ウルの妹である精霊憑きのアカネがふよふよと、困り顔で浮遊していた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「アカネ様」
『ウルの妹御、何しとるんじゃ』
《おちごとよ》
アカネが舌足らずな声でそう言う。
今の彼女は、優雅に舞う蝶のような、妖精の姿をしていた。変幻自在の彼女は、しかしよくこの姿を好んでいる。そして何やら今の彼女は少し疲れ気味だ。
「仕事、とは」
《ディズのよ》
「ディズ様、お目覚めになられたのですか?」
《うんにゃ、ねてるのよ》
リーネは首を傾げた。彼女が眠りに就く前に話を聞いていたのだろうか、とも思ったが、そんな様子は無かった。
《ねてるけど、おきてるのよ》
『どういうこっちゃ?あのメイドの、ジェナとやらが代行しとるんか?』
《つながってるのよ》
「すみません。分かりません」
アカネの説明は、酷く感覚的なものになる。と、説明していたのはウルだった。曰く、精霊としての感覚と、ヒトとしての感覚が入り交じっているせいだとかなんとか。アカネはしばらく説明しようと苦心していたが、最後には《まーいっか!》と、すっぱり諦めてしまった。
《とーにかーく、でぃずのおしごとなのよ。いそがしいの》
「お手伝い致しますか?」
《んーん-。にーたんのてつだいしたげて》
『兄想いじゃのう』
カタカタとロックは笑う。だが、アカネの表情は優れない。
《にーたんむちゃばっかしてなー》
『お主のためじゃろ?』
《だからいやじゃん?》
『ああ、そらそうじゃな』
自分のために実の兄が血反吐を吐いて苦労しているという事実は、真っ当であれば申し訳ないやらいたたまれないやらで、苦痛を感じるのはそれはそうだろう。相手を大事に想うなら尚のことだ。
アカネはただ、庇護を享受する事を当然と出来る幼子ではないのだ。ロックはそれを理解し、そして先に口にした言葉が誤っていたと悟った。
『お主がウルの無茶無謀を苦痛に感じるなら、そりゃお主の“ため”ではないわな。ウルが自らの勝手のために無茶をしとるんじゃ。気にかけるだけ損じゃよ』
《だからわたしもかってにするのよ》
『なるほどのお。身勝手な兄妹じゃの。カカカ』
ロックもリーネも、ウルの事情を聞いた時は、単なる兄妹愛の類いと思っていた。が、どうやら聞く限り、そういったものとは少し違うらしい。
《にーたんがしぬまえになんとかがんばるわー》
ただ、仲は良いのは間違いないらしい。
「所で、お仕事というのは何なのですか?」
《んーかんし》
「監視?」
愛らしい妖精のような姿をした彼女から飛び出たなにやら不穏な言葉の響きにリーネは聞き直す。アカネは頷いた。
《なんかなーもうそろそろなんかおきそうってー》
「なにかとは……」
『――――のう』
アカネに意識を向けていたリーネは、ロックの呼びかけに少し反応が遅れた。彼の声音が、明らかな緊張を帯びている事に遅れて気がついた。リーネが振り返ると、ロックは腰に差した骨の剣を引き抜き、そして“空を見上げていた”。
『あれかの?“なんか”っちゅーのは』
“ソレ”を見たリーネは、初めて見た“ソレ”の正体を知っていた。
詳細な脅威を伏せられている都市内部であっても、自然と伝え聞かされた姿。空と太陽を覆い隠すような巨大な翼。何もかも飲み込むような巨大な牙の伸びた口、獲物を絡み捕るような長い尾、鋭いかぎ爪のついた両足。
「――――竜」
真っ黒な竜が、“仮都市”の上空に襲来した。
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