彼女の旅立ち
ラウターラ魔術学園、クローロ教授の教室にて
「それでは本日の授業はここまで」
リーネ、彼女にとっての最後の授業が終わりを迎えた。
別段、彼女にとってそれは今日まで続けてきたものと、これといって変化があるわけでもなかった。違いと言えば、メダルとその信奉者の姿が見えないことくらいか。
どうやら彼らはこれまでの生活の態度を踏まえて、厳重注意を受けたらしい。今期の単位の没収に加えて追加の授業を受ける羽目となっている。尤も普段の彼らの素行、他の生徒に魔術をぶつける等、乱暴な振る舞いであったことを踏まえれば、軽い、といえるかもしれない。
そんな、彼らの横暴の被害者であるリーネは、その事を大して気にも止めてはいなかった。今彼女はこの先どうするかを考えることに夢中だった。これからいかにして、レイラインの名を、白の魔女の偉業を轟かせるかに夢中だった。幾人かの生徒が、自分のことを興味深げにしげしげと眺めていることなんて気づきもしなかった。
「リーネ」
そんなだったから、当然、目の前に自分の恩師がいることにも気づかなかった。
「クローロ先生」
「私の部屋にこれから来なさい」
「嫌です」
リーネは即答した。この男の話は長いのだ。それよりもはやいとこ、出立の準備をしなければ。明日には出発なのだから。
そんなリーネに、クローロは深々と溜息を吐き出し、その後細く長い指先を一本ぴんと立てた。途端、リーネの身体はカチンと固まる。指先一つ動かない。クローロの束縛の魔術だった。無詠唱で行われる高度なそれを、リーネはよく喰らっていた。ので慣れていた。こうなるとどうしようも無いということも知っていた。
「いくぞ」
そう言って、リーネを完全にもの扱いで浮遊させながら連行していった。これもまた、割といつものことであり、そしてこれが最後になるかもしれない光景でもあった。
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クローロ教授の研究室
独特の、心が安らぐような木々の香りがする、本人の怜悧な性格に相反してやけに本や書類、魔道具の類いが散らばった部屋、これまた見慣れた光景……ではないところもあった。
「リーネ」
リーネの両親がそこにいたのだ。二人はリーネが顔を出すや否やほっと顔を緩ませ、そしてリーネの下に近づいていった。
「あの日以来全く音沙汰なしだから心配したよ。しかも、賞金首まで倒しただなんて話まできいて……リーネ?」
「失礼」
クローロが指をふいと上げるとリーネの不可視の拘束が解けた。自由になったリーネはひとまず、目の前の両親に宣言した。
「私は冒険者になるわ。この都市を出る」
言って、泣かれるだろうか、とリーネは警戒した。しかし彼女の予想とは対照的に、両親二人は随分と落ち着いた様子でリーネを見つめていた。少しだけ哀しそうでもあった。
「自分のやりたいことをハッキリと言ってくれて嬉しいわ」
「お前は、自分でやりたいことを黙って実行してしまう子だったからな。心配だった」
そう言って二人でリーネの頭を撫でる。どうやら随分と心配をかけてしまっていたらしい。当たり前と言えば当たり前のことだった。それがわからないくらいに、自分の周りのことがみえなくなっていたのだ。
「お前の猪突猛進っぷりは、一種の才能で、長所でもあるが、形振り構わず突き進み、置き去りにされたものたちの心も少しは掬ってやるべきだ」
「そうします」
「その素直さを普段から発揮してほしいものなのだがな……」
クローロ教授はごりごりと拳を頭に乗せてリーネの頭頂部をごりった。痛かった。
「リーネ。都市を出るっていうけれど、準備はちゃんと出来たの?着替えや、お金は?大丈夫なの?」
「一応、入れてもらった一行のリーダーに色々と聞いて、準備は進めた」
「その人は大丈夫なの?極悪人とかじゃない?」
「様子を見る限り、名無しであるが、頭の回る少年でしたよ」
クローロは素っ気なくそう言うと、リーネは首を傾げた。
「会ったことがあるの?先生。ウルに」
「先の審問会の時、少し。少なくとも権力に阿る類いでもなく、功績に驕ることもない少年だった。真偽の神官の応答にも問題なく答えた。そうそうに問題を起こすものではないだろう。彼は」
ソレを聞いて、母は少しだけ肩の力を抜いた。勿論、まだまだ心配だ。という表情は崩さなかったが。
「出来れば、貴方を止めたいわ。末端とは言え神官の家に生まれたのに、わざわざ名無しと同じまねごとをするだなんて…」
「嫌よ」
「そういう貴方だから、反対するだけ、無駄なんでしょうけどね」
母はそう言って弱々しく微笑んだ。父はそんな母の肩を支える。そしてリーネの前に何かを差し出した。リーネは受け取り、それをまじまじと見つめる。
「【白の魔術符】?」
「ボロンおじさんからだよ。お前の前でレイラインを侮辱して悪かったと謝ってもいた。ミーミン達からもだ」
白の魔法陣を補助する魔道具や、旅路に助かるようなお守りや外套が次々に彼女に手渡された。小人の彼女の腕では抱えきれないくらいになっていた。
「多いわ」
「なら、持っていく荷物を整頓しないとね」
母はそう言って笑う。昔、遠出の時、自分で作り終えた荷物を母が勝手に足したり引いたりするのをリーネは思い出した。それが少し迷惑に思う反面、彼女が真に自分を想い世話を焼こうとしてくれているのだということが伝わって、胸の奥が少し締め付けられた。
「父さん」
「なんだい」
「私、愛されていたわ」
「そうだね」
父はリーネを抱きしめる。リーネはこの想いを忘れないようにしようと心に誓った。レイラインの一族が脈々と継いできたものは、“あの白王陣”に刻み込まれた想いの一端がこれなのだと、分かった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
翌日
「……重いわ」
リーネの小さな背中には少々大きな鞄が背負わされていた。母の手で随分と整理されたが、それでも多くなってしまった。中身の多くは有用な魔道具の数々であり、邪魔にはならないだろうが。一度ウルに相談した方がいいかもしれない。
宿舎をでて、学園を背に向けて彼女は歩き出す。振り返ることは無い。彼女にとってこの学園は目的を達成するための手段に過ぎなかった。青春を謳歌し、友情を高め合う事をする場所ではなかった。
勿論、だからといって一切の縁が生まれなかったかと言われれば否だ。
それが悪縁であっても。
「…………おい」
その、要らない縁が彼女の行く先に姿を現していた。
メダル、学園でリーネを狙って嫌がらせを繰り返してきた男。休学になってから部屋に引きこもっていたらしいが、今は随分と顔色が良い。休学になる前よりもよっぽどマシな顔つきになっている。まるで憑きものでもおちたかのようだ。
その彼が、取り巻きの女達もなしに立っていた。邪魔をしたり、嫌がらせをしようという雰囲気ではない。リーネは歩みを止めず、そのまま問うた。
「何」
「……………冒険者になっても、どうせ、すぐ死ぬんだ」
「そうかもしれないわね」
リーネは歩く。その小さな歩幅で、しかし一切緩めることなく。
「それか、仲間に役立たずとして捨てられる」
「そうかもしれないわね」
リーネは歩む。門の前、メダルの横を通り過ぎる。
「諦めろよ」
「嫌よ」
そこでようやく、彼女はメダルに顔を向けた。しかし、足を止めても、その瞳に滾る意志は、微塵も揺れてはいなかった。学園に在学している時と全く変わらず、真っ直ぐにメダルを捉えた。
「自分が足を止めるための言い訳を他人に投げつけるのに熱心みたいだけど」
「なにを…」
「私は行くわ。少なくとも貴方の言い訳には負けない」
だから
「貴方も好きにしたら」
それだけ言って、彼女は学園を去っていった。もう振り返ることはしなかった。残されたメダルは、彼女に何か言葉をなげかけようと口を開いて、閉じて、そしてそのまま膝を突いて、唸るようにして地面を叩いた。
以後、リーネがこの学園を二度と訪れることは無かった。
だからその後、この学園に所属していた神官の息子が一人学園を飛び出して、冒険者となったことを知ることも無かった。
ラスト編終了となります。お付き合いくださりありがとうございます!
区切り良いので本日は此処まで。明日以降は次の章に移ります。
次回以降も加速度的に状況の酷さがインフレしていくこととなると思いますが、どうか楽しんでいただけたら幸いです!
応援してくださるよう頑張りますのでよろしくお願いします!