夜の会話
あっさりと、あるいは白々しく目を覚まし身体を起こすシズクに、ウルは深々と溜息をついた。この女、さも私今起きましたけど?といった顔をしている。
「天拳のオッサンが怖かったのか」
「なんのことでしょう?」
不思議そうに可愛らしく首を傾けている。ウルは指摘するのを諦めた。
「……で、怪我とか、身体の怠さはないのか」
「問題ありません」
シズクは微笑んだ。
狸寝入り、は兎も角として、彼女が意識を失ったのは事実ではあった。竜との戦闘があまりに強烈に記憶に焼き付くが、そもそもその前の怪鳥との戦いで、ほぼほぼ魔力を使い切っていたはずだ。動けないウルと、機動力にほぼ全てを費やしたロック、白王陣に集中していたリーネ。つまり前線は彼女一人でほぼ補っていたのだからそうもなる。
魔灯の光に照らされる彼女の顔は青白い。ウルがシズクの頬に触れる。熱を感じない。ひんやりとしている。ウルはそのまま身体を起こしている彼女をベッドに倒した。
「息を吸うように嘘をつくな」
「身体に痛みなどはありませんよ?」
「身体が寒かったり、動かしにくかったり、気分が悪かったりは?」
「ウル様ほど大変ではありません」
「絶妙にはぐらかすのヤメロ……食欲は?」
問うと、シズクは少し腹を撫でて、少しだけ恥ずかしそうにした。
「お肉が食べたいです」
「俺もだ……何か、癒者のヒトに頼んでみるか」
そう言ってウルはベッドから離れ、部屋を出ようとした。が、その前に、ウルの右腕をシズクがそっと、両手で包むようにして掴んだ。
「ウル様は、腕は大丈夫ですか?それに眼も」
「……まあ、大丈夫、ではないな」
眼と腕に物々しい黒い包帯をしたウルは、彼女の問いに、素直に答えた。この状態で無事だという方がおかしい。怪鳥討伐前と後ではあまりに変化が著しい。が、
「まあ、多分、恐らく、生活にも冒険者稼業にも大きな影響は出ない」
視界の方は良好だし、右手の方も、今のところ自分の手として自由に動かせている。不意にシズクの首を絞めやしないかと心配したが、今の所そのような傾向は無い。実際に身体を動かしてみないと分からない所ではあるが。
「それは、良かったです。とても」
シズクはそっと、ウルの右手を離した。ウルは彼女に向き直る。窓から差す魔灯の光に照らされた銀髪の彼女は美しい。だが、そう言ってウルの無事を喜ぶ言葉を口にしている筈の彼女の声音に、感情が宿っていない。
「もうしわけありません。ウル様。私の問題に巻き込みました」
そう言って、頭を下げ、ウルを見る。瞳には、やはり感情がない。凪の水面のように、白銀の瞳はまるで揺らがない。ウルはなんとなく、グリードの夜を思い出した。シズクの誘惑を退けた後に垣間見た、彼女の根底部分。
純で、冷徹で、歪で、幼い少女。
「……お前が“邪霊”っつー、唯一神に追放された精霊の信奉者であるというのは聞いた。その精霊のために竜を討つとも。で、それでなんで竜に襲われる?」
彼女の事情をきいたのは、あの夜の一度だけ。その内容は今もハッキリと覚えているが、それ以上を聞き出しはしなかった。しかしこうなってしまった以上は、突っ込まない訳にはいかなかった。
今回死ななかったのは運が良かっただけである。二度は無いとウルも確信している。故に原因は確りと確認しなければ、次は死ぬ。
シズクは、そのウルの問いに、僅かに間を開けて、口を開いた。
「私は、対竜兵器です」
「……兵器?」
おおよそヒトを呼称するに似つかわしくない単語が出てきて、ウルは眉をひそめた。
「私たちが信奉する精霊様のため、その力を取り戻すため、竜への対策として生み出されたのが私です。あの竜はその力の一端に気づいたのでしょう」
「あの時、竜の動きがシズクの詠唱で止まったのも?」
「その力の一端です」
どうやったらそんなことができるのだとか、ソレを生み出した邪霊の信奉者とは何者だとか、結局それでどうやって精霊の力を取り戻すのだとか、聞きたいことは山ほどあった。
が、問題なのはそこではない。
「今後、その力を狙って竜が襲ってくる可能性は?」
「今回の件を考えれば、ありえます」
「避ける手段は」
「わかりません。竜の持つ感知能力は私も把握できていません。今回も、そもそも気づかれて、襲われることすら予想していませんでした」
「狙われるのはお前だけか?」
「ソレも分かりません。竜によっては、全てを丸ごと砕く可能性も」
ウルは淡々と、一つ一つを確認していった。分かってくる事実は、いつ、どこで、どんな竜に狙われるかも分からないという割とどうしようもない事実だった。質問が終わり、再び沈黙に戻る。ウルは考えこみ、沈黙する。シズクはそれをただ黙って待った。裁きを待つ罪人のようでもあった。
そしてウルが、よし、と息を吐く。
「少なくとも、リーネにはこのことは説明しなければならない。彼女に黙っているのはあまりにも不義理だ。ロックにもな。ディズには必然説明することにはなるだろうけど」
「はい」
「あとは、冒険者ギルドと神殿にもか。言われるまでも無く、向こうが尋問してくるだろうけどな。準備した方が良い」
「はい」
「最悪都市問題にもなるかもしれない……まあ、尤も本当にどこでも襲われるなら都市に居る時すら危ないが……そこを判断するのは俺等じゃないな」
「はい」
「以上」
ウルがそう言って言葉を切ると、再び沈黙が来た。シズクはぱちくりと瞬きをする。先ほどと比べて僅かに感情が表に出ていた。ぽかんと、唖然とした顔だった。
「ウル様?」
「なんだ」
「私を捨てた方が良いと思いますが?」
ひどく直接的な言葉がとんできた。そしてソレは事実でもある。
竜に、襲われる可能性がある。どこから来るかも分からない災害であり、遭遇するだけでその人生がとち狂う。そんな存在を引き寄せる女など、側に置いておくなどハッキリ言って正気の沙汰ではない。
彼女は正論を言っている。ウルは頷いた。
「そうだな。やらないけどな」
再び沈黙が訪れた。ウルは特に、これ以上話すことは無い、というように肩をすくめる。次に考え込むのはシズクの番だった。しばらく彼女は首を傾け、考えこみ、そしてもう一度ウルを見た。
「ウル様」
「なんだ」
「私はふしだらな女です」
「はあ」
「男の方を積極的に誘惑もしています」
「知っているが」
「相手の心を平然と弄び、壊すこともします」
「ロックから聞いてる」
「嘘つきです」
「そうだな」
「私は捨てた方が良いかと思いますが」
「捨ててほしいのかお前は?」
己の事を問われる。とは思ってはいなかったのだろう。饒舌に自らの悪行を語っていた彼女は、再び沈黙する。思考を巡らせているのだろう。彼女がその思考をまとめるのに、それなりの時間を必要とした。
相手の感情を自在に弄び、そして操る彼女は、しかし己自身の感情の機微にとことん無頓着だった。これは、彼女と出会ったときから変わらない。ウルは黙って、シズクが自らの心と向き合うのを待った。
数分が経過し、シズクは、少し自信なさげな声で、回答を口にする。
「私は“使命”を達成するために、貴方と共にいたいです」
「そうか」
「ですが、貴方が傷つき、死んでしまうのは看過しがたいです」
「そうか」
シズクは黙った。なにか、言いたげな顔をしている。だが、それら全てが言葉となるまえに霧散する。ウルは彼女の言わんとする言葉を整理し、投げつけた。
「シズクの優先順位は、まず“使命”、次が自分以外の他人、そして最後に自分だったな」
「はい」
「なら、先に述べた二つの理由の内、使命が優先される訳だ。それでいいだろ」
シズクは黙った。
理屈の上ではそれが正しい。
ウルの思惑がどうあれ、ウルがシズクと共に居ることを肯定することに関して、シズク側に不都合はない。その筈だ。
だが、
「………………貴方を」
ウルが見ている目の前で、シズクの表情は、変わらない。変わらないように見える。だが、何か、見知らぬ都市で迷子になった子供のような心細さを、彼女の瞳に見た。
「……………私の使命は、私にとって最も重いものです。“皆様”の事を大事に思いますが、使命と引き換えにすることは出来ません。だから、ウル様も――」
再び、言葉が止まり、しかし今度は少し、固い口調になりながら、
「――ウル様も、使命のため、利用することになります」
最後まで言い切った。そして、哀しい顔をした。男の心を揺さぶるような涙はない。わざとらしくすがりつくような事もしない。
ただただ、哀しそうな顔をして、小さく俯いた。
ウルは、シズクの肩にそっと触れた。
「……悪かった」
ウルは己が惨い事を言わせたのだと理解した。
彼女は歪で、どこか頭がおかしい。目的のために手段を選ぶということもしない。しかし、だからといって、別に感情が無いわけでは無い。明確な優先順位が彼女の中にあるからと言って、別に、それに対して機械じみた割り切りが出来ているわけでもなかった。
彼女だって笑うし喜ぶのだ。そんなことはウルにだって分かっていたはずだ。
優先順位がそうだから、それでいいだろと言う突き放し方は、無い。
彼女とは契約を交わした。彼女はウルの物だ。勢い任せで交わした滑稽な契約だが、ウルはそれをないがしろにするつもりは無い。彼女が己の所有物であるというのなら、彼女の心を護る責務も、ウルにはある。
「――お前が罪悪感を抱く必要は、ない。俺は俺の意志でお前と手を組んだんだからな」
「ですが最初、貴方と契約したとき、私が竜からいきなり狙われる事知らなかったでしょう?今も気持ちは変わらないと」
「変わらない。今回はマジの不運で大事故だったが、おかげで学ぶこともできた。竜はヤバすぎる」
初めての竜種との遭遇はあの死霊術師討伐の時だった。
だが、あの時は殆ど蚊帳の外で、正直何が起きたのかも理解できていなかった。だが、今回は違う。当事者になって、竜と間近に対峙して、ハッキリとわかった。竜は、“ヤバい”。迷宮に潜り、身体を鍛えればどうこうなるとか、そういう存在ではない。
生きた災害、呪いそのもの。遭遇するだけで全てが狂う魔性。
「あれを、黄金級になるには討たなきゃいけない。なら、力がいる。それも、生半可じゃないものが。そしてそれはお前が持っている」
大罪の竜にすら干渉するような力を持っているというのなら、他の竜種にも通用する力だろう。そしてソレを持つ彼女は、間違いなく唯一無二だ。リスクは間違いなくある。それもとてつもないリスクが。
だが、通常なら容認しがたい無茶や危険を飲み込まねばならないという事実は、グリードのあの夜に知った。
「だから、気にするな。俺は俺でお前を利用しようとしている。リスクも承知で。ソレに巻き込まれて死んだら、それは俺の責任だ。ロックは兎も角、リーネもまた、自分で判断するだろうし、必要なら別れもするだろう。それくらいの判断は自己責任だ」
「はい……」
シズクは、ウルの励まし、といえるかも分からない言葉に、しかしまだ己の中での折り合いをつけられていないのか、気のない返事をした。顔色も真っ白で、病人と言うよりも幽霊のようだった。
ウルは困った。納得できるだけの理屈を必死に並べたつもりだったが、こうなると理屈ではないのだろう。言い訳を並べれば彼女の心が晴れるというわけではない。
ウルは顔を上げ、虚空に視線を迷わせながら、言葉を選んだ。彼女の心に寄り添えるようにと。
「……あとは、もっと単純に、お前と今更離れるのが嫌なんだよ。俺は」
シズクは不思議そうに首を傾げた。
「……私に愛してほしいと?」
ウルは顔をしかめる。
「そこそこに親しくなった友人と別れるのは寂しいだろうが。お前は、寂しくないのか。誰かと一緒にいたくはないのか」
シズクを求めるヒトは沢山いるだろう。女として、冒険者として、惹きつけてやまない才能と、容姿を持っている女だ。竜というリスクを隠せば、あるいは判明していたとしても、彼女の周りには恐らく、ヒトが集まってくる。一人になることはまず無いだろう。
だが、この女は愛を与えるが、受ける事は無い。常に誰かに捧げ続けるのみで、求めようとはしない。周囲にヒトがいたとして、彼ら彼女らに与えるだけだ。受け止めはしない。受け取るのは己の目的、“使命”とやらのためであって、自分のためではない。
使命のためにウルと共に居る事を望み
他者を尊ぶが故にウル達が傷つくことを厭う。
では、シズク本人は何を望んでいるのか。
己の優先順位が低いからといって、彼女が求めてはならないという道理は、無いはずだ。
というよりも、無い。と、ウルは強く思った。
「一緒にいたいと互いが望むなら、それでいいだろ。どうなんだ」
「私は」
沈黙は長かった。饒舌に男を誘う彼女が、酷く困惑と焦燥した表情で言葉を探す。ウルはそれを黙って待った。
「…………………………………私にはそれを望む権利がありません」
長い沈黙の後、返ってきた言葉には、やはり感情が全く混じってはいなかった。
ウルは、特にその回答に驚きはしなかった。怒りも湧いてはこなかった。正直なところを言えば、予想していた答えよりはマシだった。
答えを言っているようなものだったからだ。
「まあ、いいさ。なら俺の望みを叶えてくれ。俺の所有物」
「貴方の望み」
「俺と共に居てくれよ」
そう言うと、ずっと困惑と、無感情の狭間に揺れていたシズクは、少しだけ顔を綻ばせた。
「プロポーズみたいですね?」
「喧しいわ。言われ慣れてるだろお前は」
「ウル様からそうしてもらえたら、私は嬉しいですよ」
「もう少しおしとやかになってくれたら考えるわ」
ウルは雑に流しながら、恥じらいを隠した。自分が不用意に傷つけた彼女を少しでも癒やせたなら、気恥ずかしい台詞の一つや二つくらい言ったって構わないが、変な汗が出た。顔に出なかっただけマシだったが。
「……まあ、いいや。とりあえず腹減ったわ。しゃべり続けて喉も渇いた」
メシでももらいに行くか。と、ウルが今度こそベッドから離れようとすると、再び何かに引っ張られる。何か、というか、犯人はシズク以外いないのだが。
「おい、シズ……………んん?」
見ると、ベッドからシズクの手が、ウルの手に引っかかっている。なんじゃいな、と、シズクの顔を見る、と、
「――――――……………」
「…………寝とる」
寝ていた。すよすよと。
ついさっきまで話していたのに。眠っている。やはり本調子ではないのかもしれない。眠った、というよりも会話に疲れて、力尽きたと言った方が良いのかもしれない。無理矢理起こしたのは、悪いことをした。とも思ったが、
「……さっきよかマシか?」
会話の前、狸寝入りをしていた彼女の顔色は、まさに死体のそれだった。今の彼女の顔色は、まださっきよりかはマシ、のように見えた。ウルとの会話が作用してなのかまでは分からないが、何か、さっきよりも表情も緩んでいる。
「…………ああ、安心したのか」
ウルは隣のベッドに寝転がり、自分の腕は外に投げ出して、彼女の手が離れないようにした。色々と思うことは山ほどあるが、とりあえず今は、彼女が休まるなら、それでいい。
ウルはそう納得し、目を閉じた。間もなくして彼もまたまどろみに落ちていく。
こうして、ウル達の長い長い、怪鳥退治が終わったのだった。
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