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帰還


身じろぎすら困難な疲弊の闇の底、熱した針が突き刺さったような痛みが全身を覆っていた。逃れようとしても、身動き一つとれずうなり声をあげる。身体だけではなく、瞳、左目も熱い。眼孔を焼くほどの熱を瞳が帯びている。抉り取って水で浸せばさぞや心地よくなるだろうが、そうすることは勿論できない。

 痛みに苦しみ、もがいて、疲れ果てて、再び、まどろみに落ちる。その繰り返しだった。


 ようやく意識が覚醒に至ったのは、全身を覆う痛みと熱がわずかに引いた後の事だ。


「……生きて、いる」


 ウルの、目が覚めての第一声がそれだった。

 日の光の差す窓、柔らかなベッドの上、包帯まみれの身体を見て、ウルは自分があの地獄から生きて帰ったことを理解した。正直、自分が生き残ったことが信じられないような気分だった。だが全身の熱と、腕と眼の刺すような痛みが、自分の生還をこの上なく明瞭に示していた。


「ウル」


 自分を呼ぶ声がして、ウルは寝たまま首をそちらに向ける。小人の少女、リーネがこちらを心配そうに覗いていた。


「起きたのね」

「……ぶじだったのか」

「コッチの台詞よ。本当に。私の初めての一行がそっこうで崩壊したと思ったわ」

「おれも、そうおもった」

「コッチはロックの魔力を補充して、迷宮出口に戻ったわ。幸い魔物との遭遇は少なく済んだの」

「どれだけ、ねてた」

「まだ半日、日も沈んでいないわ」


 そう言いながら、近くにあった水差しを注ぎ、口元に近づけてくれる。ウルは黙ってそれを飲み干した。冷えた水が乾ききった口の中を満たし、喉を潤した。先ほどよりは喋るのが楽になった。


「身体、痛いところは?」

「全身と腕と眼。だけど耐えられないほどじゃない」

「そ、癒師を呼んでくるわ。もう少し寝ていて」

「シズクは?」

「隣」


 首を捻る。隣のベッドでシズクがすやすやと寝ていた。ウルと比べれば随分とマシに見える。が、顔色は真っ白だ。


「随分と魔力を消耗したみたい」

「なるほど」

「貴方ほどじゃないけど」

「なるほど……」


 要は、全員無事だということだ。無事だと分かると、再び急速に眠くなってきた。安心と疲労と怪我がまどろみに誘う。まだまだ確認しておかなければならないことは山ほどあるのだが、思い浮かぶ懸念が言葉になる前に溶けてしまう。

 ソレを察してか、リーネはウルの額を撫でて、そのままベッドに倒した。


「寝てて」


 彼女の手に抗うことは出来なかった。柔らかな枕に頭を埋めると瞼が意思に反して降りていく。だが寸前でウルは眠るのを堪えて、ほんの少しだけ頭を起こした。


「リーネ」

「なに?」

「ありがとう、おまえのおかげで、いきのこった」


 それだけ言うとついに限界が来た。ぐらんと頭が揺れて瞼が降りる。枕に頭を埋めた瞬間意識が途切れた。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「名無しの小僧はおるか!!」」


 やかましい銅鑼のような頭に響く声で、ウルは再び目を覚ました。

 身体の熱と痛みは更に引いている。身体は楽だった。癒院の腕は素晴らしかった。金が幾らかかるのだろうという懸念は今は忘れた。腕の痛みは引いている。だが、左目だけは未だに刺すような痛みが続いていた。ひょっとしたら魔眼の改造とやらが一番の重傷なのかもしれない。


「お待ちを!此処は心身の癒やしのための場所、どうかご配慮を!!」

「配慮はするが急務だ!!退くが良い癒やしの乙女等よ!」


 どかどかと音を立て、女性の悲鳴のような声が聞こえてくる。それは明らかに此方に向かってきていた。ウルは部屋の扉へと視線を向けた。


「小僧!此処におったか!!!」


 勢いよく扉を開けて出てきたのは、あの迷宮の深層で見た、筋骨隆々の大男。普通の広さのこの一室が途端に狭く感じるようなその男、ディズと同じ【七天】、【天拳】の名を冠する男。

 名はグロンゾン・セイラ・ディラン。ウルも【天拳】の名は知っている。有名な男だった。その有名な男がこっちにむかってズンズンと歩いてくる。


「どうも、あの時は助けて戴いてありがとうございます」

「うむ!!だが感謝は天賢王と太陽神にせよ!名無しの祈りであっても貴賤はない!!」


 言われるまま、ウルは太陽神に祈りを捧げた。グロンゾンは満足げに頷いた。


「さて小僧!!何故竜が貴様等に接触したか答えよ!!!」

「わかりません」

「なんでわからんのだ!!!」

「そう言われましても」


 本当に分からないのだから仕方が無い。少なくともウル“は”極めて一般的なただの冒険者に過ぎない。賞金首を狙うという、今の冒険者の界隈においてはかなり無茶なマネをしているという自覚はあるが、それだって、「変わってる」程度だろう。

 ウルの来歴に特殊な所はない。ただの“名無し”であり、冒険者だ。


「グロンゾン様。彼は病み上がりです。出来ればあまり無茶は……」


 そこにリーネが再び顔を出した。見舞いを続けてくれていたらしい。小人の彼女と大男のグロンゾンが立ち並ぶと、グロンゾンが巨人に見えてくる。


「ふむ、貴様、名は?」

「リーネ・ヌウ・レイラインでございます。」

「ヌウか!では抗議を許す!!だが邪魔立てしてくれるな!これは太陽神の使命よ!」


 グロンゾンが唸る。ウルはシズクが寝ているしもう少し静かにしてくれないかなあ、と寝ぼけた頭でそう思った。しかしこの天拳、押しがかなり強い。どう見ても簡単には引いてくれそうに無い雰囲気である。さてどうしたものか。


「小僧、貴様には我が質問に答える義務がある!答えよ!!」

「そう言われましても」


 隠してないんだけどなあ。という諦めに近い境地だった。現状、目の前に居るのは七天であり【セイラ】、つまるところ【神殿】での2番目の位に位置する存在だ。名無しのウルなど鼻息で消し飛ぶ。

 逆らう気はないのだ。ないのだが、彼が納得できる答えをウルは困ったことに持っていない。


「竜が動けば都市単位でヒトが滅ぶ!!!迷宮の奈落から溢れ出たならば、必ずその要因を突き止めなければならない!!七天の役目である!」

「七天。逆らう気はない、です。ディズには世話になっています」


 まあ、諸悪の根源でもあるのだが、とは言わないでおいた。悪口と取られても困る。


「あの娘はヒト助けが趣味なところがあるような女だからな!!全く惜しいものだ!」

「惜しい?」


 奇妙な言い回しだった。ウルが不思議そうにすると、グロンゾンはウルの心情を察したのか「ああ」と頷いた。


「勇者は七天の中でも最も弱いのだ。その精神性は最も気高いと思うのだが惜しいものだ」

「弱い……というのは彼女自身も言っていましたが」


 しかし他の同僚から改めてそう言われると、意外に思える。どう言われようと、ウルにとってディズの実力は今のウルにはとても届かない領域にある。無論、目の前のグロンゾンも同じくらいにとんでもなかったが、それほどまでに決定的な違いがあるかと言われれば、あまりそうは思わなかった。

 勿論、ウルごときが測れるようなものではないのかもしれないが――と、そう思っていると、その思考を読むようにグロンゾンが頷いた。


「技量、という問題ではない。彼女は【太陽神の加護】を与えられていない」

「……【加護】」


 精霊から【加護】を預かり、それを自在に振るう神官の力。それは無論知っている。だが【太陽神の加護】ともなると話は違う。神殿の神官達が行うような力とは全く異なるのだろう。

 ちらりとウルはグロンゾンの両手を見る。あの時彼がふるって見せていた黄金の籠手、あれがその【太陽神の加護】とやらなのだろうか。


「【勇者】は七天の中で唯一【加護】を与えられぬ。故に七天の本来の責務である大罪竜に対抗することは叶わない。故に惜しい」

「何故、与えられないのですか?」


 ウルがそれを咄嗟に口にした瞬間、怒りのようなものを覚えていたことに声を出してから気がついた。それくらい声音が固くなっていた。つい先程、ディズとアカネに命をギリギリのところで救われたからだろうか。思った以上に恩義を感じていたらしい。

 だが、ウルの言葉にグロンゾンは強い視線を返した。


「太陽の加護を与えるか否かを判断するのは我等が天賢王の采配だ。我等に口出しする権利は無い。無論小僧、お前にもな」


 咎めるように強く言い切る。ウルは素直に頭を下げた。


「失礼しました。過ぎたことを口にしました」


 するとグロンゾンはニッカリと笑った。


「良い!随分と良くしてもらってるようだな!!」


 別に逆鱗に触れて、機嫌を損ねたりだとかそういう事は無いらしい。どうやらウルの立場を考えた警告だったようだ。豪快で強引な男だが、それだけの男ではないようだ。


「さて、話が逸れたが、では聞かせてもらおう!あの時何が起こったか――」

「あらあらまあ、【天拳】様、こんな所に」

「む」


 そこに新たな人物が顔を出した。白髪の、年老いた老婆。しかし身に纏う衣類は落ち着いていて、薄っすらと化粧もして、どこか上品な印象を受ける優しげな女性だった。


「ネイテ学園長……」


 リーネが驚きに満ちた声で小さく呟いた。

 学園長、とリーネが呼ぶということは、彼女はラウターラ魔術学園の長なのだろう。その彼女が何故此処に?という疑問もあるが、そのウルの疑問を余所に、彼女はニコニコと笑いながら恐れること無くグロンゾンに近づいてゆく。


「ネイテ・レーネ・アルノード。久しぶりだな!」

「お久しぶりでございます。相変わらず壮健そうでなによりで」

「無論、我は太陽の代行者であるからな!」

「ですが、此処にはそうでない方が沢山いらっしゃいます」

「む」

「怪我と病と戦い、疲労に伏していらっしゃる方も」

「ふむ……しかしな」

「では、私も微力ながらお手伝いいたしましょう。彼らの聴取など、冒険者ギルドに働きかけ、依頼しましょう。その方が不都合が無いでしょうから」

「ふむ」

「彼らから話を聞くより、貴方自身でしか出来ないことがあるはずですから。私のようなおばあちゃんでも出来ることは私から助けさせてくださいませ」


 凄まじい勢いのあるグロンゾンに対して、ネイテはゆったりと、ニコニコと笑いながら返答する。その一つ一つがグロンゾンの気勢を削いだ。最後には考え込むようにしてうんうんと唸ったのち、落ち着いた表情で頷いた。


「では任せよう。頼むぞ」

「ええ、勿論」

「名無しの小僧、お主も確りと答えるのだぞ!竜の抑止は全てのヒトの存亡に直結するのだ!都市の内外も関係ないことを忘れるな!」

「忘れません」


 よし!!とウルの返事に満足し、乱暴にウルの頭を撫でる。孤児院のじいさんにしかやられなかったことをされて戸惑っている内に、グロンゾンは不意に両腕を上げた。

 なんだ?と思っている間にほんの一瞬、彼の両腕が黄金色に輝いた。あの時、大罪迷宮ラストの深層で彼が使っていた黄金の籠手の姿が一瞬だけ見えた。そして、


「【破邪天拳】」


 恐ろしく静謐な印象を与える鐘の音が彼の両手の拳から響き渡った。驚きよりも先に、豪傑な彼の両腕から放たれたとは思えないその綺麗な音に聞き入っていると、周囲の病室から驚きの声が聞こえ始めた。


「……なんか、急に気分が良く……?」

「ぬおお!!ずっと痛かった腰が治った!!」

「先生!寝たきりだった患者が目を覚ましました!!」


 騒ぎを聞きながらも、ウルもまた会話中も続いていた身体中の痛みが引いていくのを感じた。まさしく、【太陽神の加護】の力の一端を見せつけたグロンゾンは、なんでもないように笑った。


「うむ!!迷惑をかけたな!!ではな!!」


 そういって、出てきたときと同じように部屋を出て行った。


「……本当に、嵐のようなヒトだったわね」

「悪い方ではないのよ。少し自分の仕事に熱心になりすぎるところがあるのだけれど」


 リーネの呆然とした感想に、ネイテ学園長はおっとり微笑みながら補足する。そして改めて彼女はウルへと向き直った。


「初めましてウルさん。私は学園長をしているネイテと言います。リーネさんとは初めましてではないけれど」


 ラウターラ魔術学園の学園長。というととんでもない人物を想像するが、清楚で優しげな印象を受ける老年の女性だった。ウルもまた、応じるように頭を下げた。


「ウルです……助けて下さりありがとうございました」

「私からもありがとうございます。ですが、学園長。どうしてコチラに?」


 リーネが不思議そうに尋ねる。確かに学園長が癒院にいるのはおかしいといえばおかしい。あるいは彼女も何かしら病を患っているのか?とも思ったが、その様子も無く健康そうだ。


「私が呼んでたんだよ。んで、【天拳】にウルが絡まれてたから助けてもらった。私が顔出したらヒートアップするだろうからね」


 ネイテがリーネの問いに答えるよりも先にディズがひょいと顔を出した。隠れていたらしい。同時に、


《わたしもいるのよ!!!》


 と、アカネがぴょいんと幼女の姿になってウルに飛びついた。ウルは彼女の跳躍と抱擁に対して受け身を取る体力も無く、無防備に顔面で受け止めた。


「アカネ、怪我は無い?」

《あーたーしーのーせーりーふーーー!!》


 ウルの頭にかじりつきながら、アカネはぷりぷりと怒っていた。可愛らしい。とはいえ、その怒りは受け止めるべきだろう。本当に、今回は死ぬかと思った。ディズもまた、ベッドに横たわるウルの顔を確認するように覗き込んできた。


「ウル、元気そうで何より」

「元気に見えるか?」

「竜と対峙して生きて帰って正常に喋れるとか結構奇跡だよ」

「俺もそう思う……そっちは?」


 ウルはじっとディズの身体を頭から足先まで眺める。部屋着のような無地の軽装に身を包んだ彼女は特に怪我をしているようには見えない。ごくごく普通のリラックスした姿だ。

 だが、ウルはあの時彼女が竜にめった刺しにされているのを見ている。冷静になって考えれば彼女の方がよっぽど重傷の筈だ。しかし彼女は今ピンピンとしている。


「私、君よりは身体頑丈だから安心してよ」

「寿命削ってるとかじゃないだろうな。大丈夫だろうな」

「心配してくれてる?」

「そらそうだろうがよ。ヒトをなんだと思ってる」


 そう言うと、ディズはにへへははは、と、奇妙な笑いかたをした。変な女である。

 まあ、嘘は言ってるようには見えない。となると結局、今回一番重傷なのは自分ということになる。ソレを自覚すると再びどっと疲れた。


「勇者様。学園長に用というのは?」

「頼み事。ま、もう終わったよ。ごめんねおばあちゃん。わざわざ足を運んでもらって」

「大丈夫よ。楽しかったわ」


 のんびりとそう言って、そのまま彼女は再びウルを見つめた。


「リーネさんの冒険者としての都市外への出立希望、認められたわ。どうかこれから彼女をよろしくね。ウルさん」


 彼女が何を言っているのかウルは一瞬飲み込めなかった。が、リーネの処遇、彼女が冒険者として生きていけるか否かの問題は、今回の怪鳥討伐の一つの大きな目的ではあった。それがクリアされたと、彼女は言っている。

 隣で聞いていたリーネはその言葉にいち早く反応した。


「本当ですか……!?」

「賞金首を討ったんですもの。功績としては十二分。最低限の護身の術はあると判断されたのでしょう」

「良かった……」


 リーネは胸をなで下ろす。賞金首の撃破はあくまで彼女にとって目的達成の手段であって目的そのものではない。ネイテ学園長の言葉を聞いてようやく安心できたのだろう。そんな彼女の様子を見て、ネイテ学園長は優しげな笑みを湛えたまま、一つ問うた。


「リーネさん。今後も冒険者を続けるの?」


 問われ、リーネはぱちくりと瞬きし、そして少し警戒したような顔つきで、問いに答えた。


「……ええ、勿論そのつもりですが」

「ああ、御免なさい。貴方を止めるというつもりはないの」


 ネイテはクスクスと笑う。その所作だけで不安を和らげるなにかが彼女にはあった。ウルは少しだけ隣で寝ているシズクを思い出した。


「ご家族から話を伺ったわ。白王陣、この都市を護り続けてきた力の名誉の回復のために、その名を上げたいという目的があるのでしょう」

「はい」

「とても立派なことだわ」


 ネイテは素直に彼女を称賛した。その上で、


「でも、名誉の回復の手段は必ずしも、冒険者だけに限った話ではない筈でしょう?この都市で腰を据えて努力する手段もあるはずだわ。それでも冒険者になりたい?」


 それは意思の確認のような問いかけだった。リーネの覚悟を確認するための問い。その意図を察したのかリーネはしばし言葉を探すように眼を閉じた。そしてその後、一度ウルを見て、学園長に向き直った。


「はい。私は自ら冒険者として、レイラインとして、外に戦いに出るつもりです」

「そのために、彼らと共に行くことが最適だと?」

「彼らは彼ら自身の目的のため、魔石採掘を主目的とせず、ヒトの世に害なす賞金首を狙い、討とうとしています。ヒトに害をなし、しかし誰にも討たれぬ魔を討つことが叶うなら、かつての白の魔女様の意思にも沿うでしょう」


 それともう一つ、と、彼女は再びウルを見る。


「彼らは私を、レイラインの魔術を必要としてくれています。応えたいのです」


 リーネはそう言って、ウルの前では恐らく初めて、嬉しそうに微笑みをみせたのだった。


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