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色欲③


 竜の首が落ちる。

 白の竜の首がぐらりとゆれ、支えを失って崩落する。先ほどまでの魂をも縛り付けるような禍々しい瞳も光を失い濁り、落ちていく。ウル達の傍に落下する。思いのほか軽かったのか、べしゃりという音だけが耳に残った。

 そして長大な肉体は、虚空へと落下していった。果てしない闇の中へと落ちていく。地面との激突音が響くことは無かった。


 ウルは半ば呆然とソレを眺め続けていた。そうする以外、出来ることが無かった。


「……し、んだ……?」

「ウル、シズク、怪我は」


 竜の首を寸断したディズがウルの傍に着地する。竜の血と、自身の血であまりにひどい姿のディズが此方を心配するのは奇妙だったが、ウルはウルで瀕死だった。二度目の白王陣発動、一度目でもひどい脱力感が身を包んだのだ。2回目ともなると、身体が震えた。マトモに立てない状態だった。


「…………」


 シズクは、再び気を失っている。見れば先ほどよりも更に顔色が悪い。

 だが息はしている。


「多分、大丈夫、だと思う」

「よし、アカネ」


 と、殆ど重なるように倒れていたウルとシズクに赤い蛇がまとわりつく。ぐるんぐるんとまるでロープのように簀巻きにすると、そのままぐんともちあがった。


《うごくなよーにーたん、シズク》

「どうせ動けないだろうから私が運ぶ、一刻も早くここから逃げるよ」


 ディズの声音には明確な焦りが見えた。彼女の選択に逆らうつもりは勿論ウルには無い。が、疑問は湧く。


「逃げる?アレは死んでるのでは?」

「死んでるよ。でも色欲は消えていない」


 どういうこっちゃ、というウルの疑問にディズは答えた。


「アレは本体だけど“心臓”じゃない。しかも此処は“迷宮”、竜の体内のようなものだ。いつ復活するかわかったもんじゃ――――……うん、まあ、あんな感じで」


 途中、ディズがとても諦めたような声で指を指すので、ウルは凄まじく嫌な確信を覚えながら、簀巻きのまま首を捻り、指さす方を向く。

 そこにあるのは先ほど落ちた竜の首だ。瞳は濁り、醜い血はどくどくと流れ続ける。どう見ても死んでいた。あの凶悪な牙の並んだ口もでろんと開いて、舌はだらしなく伸びて――――


 そして、その喉から()()()()がデロンと一つこぼれ落ちた。


「うゎ」


 ウルの喉から潰れた角蛙のような声が出た。

 一見して間抜けな光景ではあった。まるで欲張りな蛇が飲みきれぬ卵を吐き出してしまったかのような。だが、先ほどのディズの話を聞いて、その滑稽さを笑ったらそれこそ間抜けだろう。


 卵が、割れる。ひび割れ、闇の中で、闇より昏い魔力の光を放ちながら。


 割れて、砕けて、そして中からソレが姿を現す。少女、というよりも幼女。ウル達が最初に遭遇した時よりも小さな、幼子の姿。だが、背中の翼と、何より頭部から伸びた四つの角の異様は、変わらなかった。


『まさか  こうもはよう   うまれなおす   はめになろうとは』


 竜は復活した。ウルはほんの一瞬でも得た安堵を失い、墜落するような気分を味わった。そして本当に墜落した。アカネが再びディズの手元に戻り、ウルとシズクは落とされた。運ぶ余裕は無いと、ディズの背は語っていた。


「……色欲の迷宮は、生命の本能、生命の流転の領域か……侮ったな」

『まさか  きさまに  “われ”を  ころされるとはな』

「……ん、君とは初めまして色欲」


 “産まれ直した”竜はディズの言葉にしげしげと、どこか感心したような顔をする。その所作は気のせいか、見た目と同じくらい幼い。ウルの眼からは、ただ小さくなっただけのように思えたが、どうやら真の意味で「産まれ直した」らしい。


『それでは   われの   かたきを うたねば   のう?』


 だが、竜という存在の邪悪さは、微塵も変わらなかったらしい。幼い幼女の口をぱかりと開いて、嗤うその様は身震いを感じた。


「今の君は前の君と比べれば大分幼い。一方的にはならないよ」

『だが  われは  めっさぬ  きさまは  おわる』


 ディズは(アカネ)を構える。油断なく竜と対峙する。だが、彼女の疲弊と怪我の重さは明らかだった。装備不十分な状態での大罪竜との対峙と、白王陣の起動のための多量の魔力の譲渡。

 だが、竜とて弱っている。はずだ。

 弱っていないなら、先程よりも更にボロボロになったディズなど即座に殺してもおかしくない。だがそうしないとのは、ディズの指摘が正しいからだ。

 そして結果、奇妙な拮抗が生まれた。両者は中々動かない。そしてそれを眺めるウルには何も出来なかった。今度こそ、本当に見守ること以外何も出来なかった。


 その拮抗を破ったのは――



「生き残っていたか!!勇者!!」



 ディズでも、竜でも、勿論ウルでもシズクでもない。豪快で、粗野な男の声だった。


『  む  』

「間に合ったか」


 色欲がその声に気取られ、ディズがその隙に背後のウル達の下へ跳ぶ。そして迅速に、再びウル達を簀巻きにすると更に跳躍した。まるで危険なエリアから逃げるように。


 同時に竜の周囲が突如として爆発した。 


 魔術の衝撃というよりも、とてつもなく“固くて速い何か”が着弾したような爆発。先ほどまでの激闘の舞台となって尚強靭に地面に突き立っていた大樹がめきりと大きな音を立てる。その真ん中を“爆発”によって大きくえぐり取られ、きしみ始める。

 

『    ぐ   む    』


 そして、その爆発跡の中心で、きしむ大樹の上、小さな竜の首を掴み握りしめる人影があった。


「なんだ?!なに!?なにが!?」

「“同僚”が来たんだよ。やれやれ、なんとか凌げた」


 アカネに簀巻きにされながらパニックを起こすウルに対して、ディズの声は落ち着いている。安堵していると言っても良い。同僚、無論、この同僚というのはディズの管理する金融ギルド“フェネクス”の方を指してはいないだろう。


 つまり【七天】だ。


「“最弱の身”で凌いだのは見事!!だが、独断専行はいただけんなあ勇者よ!!」


 先ほどと同じとてもやかましい声が迷宮に響き渡る。闇が無限に広がっているように思える迷宮の深層が、やけに狭く感じるのはその声の大きさの所為だろうか。爆発時に生じた粉塵が晴れ、姿が見え始める。

 褐色、剃り上げられた頭。上半身が何故か裸で筋骨隆々の肉体が剥き出しになっている。丸太のような両足で、根を張っているかのような力強さで、軋みをあげ揺れる大樹の上で仁王立ちしている。

 だが、何よりも特徴的なのは、その両手に装着された手甲であろう。肘まで覆う籠手、ウルの倍はありそうなほどの太い腕を更に二回りも大きく覆う、まるで巨人の腕のような金色の武装だった。


「ごめんって【天拳】。友達が何故か死にかけててさ」

「ならばせめて貴様は死にかけるな!!!独りで突出するならそのツケを周りに回すな!」

「うーん正論」


 叫びながら、男は竜を巨大な拳で殴る。先ほどウルが聞いた爆発音が再び響く。竜の肉体は瞬間はじけ飛ぶ。その小さな身体は隣の大樹の幹に激突し、更にその大樹を砕いた。


 あのバケモノを、吹っ飛ばしたのだ。ウルは驚愕で目を見開いた。


「……なんだありゃあ」

「当代の【天拳】、グロンゾン・セイラ・ディラン。うんまあ、君の想像通り、七天の一人だよ」

「七天とは、太陽神の力をその身でもって顕示する者達!!!!貴様の敗北は太陽神の敗北だ!!改めて心得よ!!」


 凄まじくでかい声で叫び倒しながら、グロンゾンは手を休めず目の前の竜を殴り続ける。そのたびに爆発するような衝撃が響く。だが、弱っているとはいえあの小型の竜を一方的に殴りまくる様は驚愕を通り越して笑えてきた。

 グロンゾンが拳を叩き込むたび、竜の小さな身体はぶっ飛ぶのだが、その速度よりも速く、グロンゾンは大樹を蹴りつけ空を跳ねる。そして自分で殴った竜を殴りつける。単純、というにはあまりに物理を無視しているかのような戦術だった。


「なるほど、それなら手本を見せてもらいたいね」

「無論!!太陽神の力を――」

『   やかま  しい  』


 竜が口を開く。同時に小さな口から冥い魔力の光が瞬く間に凝縮する。“咆吼”が来る。ウルの魔眼にグロンゾンはおろか、竜の前方全てを捻れ砕く闇の光が見えた。ウルは思わず身体を強ばらせる。が、


「――――――五月蠅い」


 もう一人、声がした。奇妙な声だった。どこから聞こえてきたのか、そもそもその声が高いのか、低いのかも全く分からない。全ての方向から声をかけられたような気分だった。

 そして、ウルは見た。グロンゾンによって竜がたたき付けられた大樹、その大樹から”ぬるり”と細い腕が二本生えてくるのを。そしてその腕が、竜の首を”刎ねた”。


『    か    』


 首が、落ちる。幼い少女の首から光が消える。血は零れず、崩れていく。そしてその大樹の裏から、まるで水面から顔を出すように一人のヒトが姿を現した。真っ黒なフードに身を包んだ人物、ウルが弱っているせいなのか、一体どんな顔をしているのかよく分からない。特徴の無い只人だった。

 恐らくは“彼”と思われるその人物は、落とした首を前に小さく呟いた。


「呆気ないな」

『   ほ う   』


 竜の声が、首の落ちた竜の身体からした。男はその瞬間、再び大樹へと身を沈め、潜った。間もなく竜の小さな胴体が変化し、白い蔓が荒れ狂い、その周囲の全てを大樹ごとえぐり取り、食らいつくした。


『  このくび  そうなんどもおとされるほど  やすくないはずなのだがな 』


 先ほどより遙かにスケールダウンしたが、再び大罪竜がその姿を見せる。形は小さい。が、その圧は大蛇のようだった時と比べてもまるで遜色は無かった。


「勇者」

「は!?」


 ウルは自分の真横から聞こえてきた声に思わず声を上げた。見れば、ウル達の隣に、先ほどまで離れた場所で竜の首を搔き切っていた男の姿がそこにはあった。男は、ウル達を支えるディズを見て、首を傾げた。


「何をしている。【勇者】」

「やあ【天衣】。これは私の友達だよ」

「何故そんな子供がこんなところにいる。死ぬぞ」

「うん。だから焦ってしまったよ。飛び出してご免ね」


 【天衣】と呼ばれた黒髪の男は暫くウルを見たあと、興味なさげに背を向けた。視線の先には竜がいる。竜は向かいの天衣と、そして更に背後のグロンゾンに挟まれ、沈黙を保っていた。

 七天達も動かない。膠着した状態でディズが動いた。


「さて、色欲、まだやるかい?」

『   … ……   ハ   』


 ディズの言葉を聞いた瞬間、


『ハハ   ハハハ     ハ   ハハハハハ!!!』


 竜は、笑った。


『ハ    ハ    ハハ ハ     ハハ   ハハ   』

『ハハハ    ハ ハ     ハハ   ハハ   』

『ハ      ハ ハハ    ハハハ     ハ    ハハ』 


 複数の、同じ笑い声が、重なり、闇の迷宮に響き渡る。


『『『『『『『アハッハハハハハッハハハハハハッハ』』』』』』』


 途端、その気配はウル達の立つ周辺から“溢れかえった”。


 竜、竜、竜、竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜竜!


 大樹の陰から、地面の中から、奈落の底から、大小様々な真っ白な竜達が姿を現した。ずるずるとのたうちながら這い寄っていく様はおぞましい。そしてそれら全てが、先ほどウル達が対峙した竜と大きさ以外寸分違わない。

 その内から溢れかえる悍ましい力に至るまで、全て同じだった。


「ふむ!流石に深層ともなれば随分と増えておるわ!!」

「…………」


 【天拳】と【天衣】は再び構える。天拳は更に闘気をたぎらせ、溢れさせる。対して天衣は沈黙を保ち、気配が闇へと溶け消える。姿があるにもかかわらず、全く姿を認識できない。

 大量の竜は更に溢れる。殺意と悪意が空間を満たしていった。


 俺死ぬわ。と、ウルは本気で思った。


 そしてそれはディズも思ったのだろう。わざとらしく、大きく溜息をつきながら、ハッキリと通る声で、竜と、そして七天達に声をかける。


「こんな浅い場所で暴れすぎると、迷宮の“封印”のバランスが崩れて、空間崩壊するかもしれないよ?」

「む」

「――……」

『  ふ   む    』


 途端、三者(と、言って良いものかは相当怪しかったが)の動きが止まった。ウルにはどういう理屈なのか分からなかったが、少なくともディズの指摘は、大罪竜と七天達が拳を下げるだけの説得力があったらしい。

 天拳はその金色の剛拳に込められた力を解く。天衣は再び姿を現した。大量の竜達はずるずると、再び奈落へと戻り、最初から居た一体だけがその場に残る。竜はその瞳を幾つかパチパチと瞬きさせたのち、やれやれと鼻を鳴らした。


『  よか  ろう    こんかいは   くつじょくは  のもう 』


 不意に竜の身体が輝き、再び幼女の姿に戻る。


『 すでに  もくてきも  たっした  』


 そう言い、竜は険しい眼光を一カ所に向けた。それは七天の二人にではなく、ディズの方へと向けた。だが、ウルにはそれが、ディズ越しに、気を失っているシズクに向けられているように感じられた。


『どのような  さくを ねろうと     むだだ    きさまらの  はめつは  もうめのまえに   ある』


 竜はその身をふらりと揺らし、大樹から身体を離した。重力に従って、竜の身体は下へと、迷宮の闇の奥底へと落ちていく。


『  つかのまの  あんのんを  ヨロこべ  ヒトよ    』


 僅かに聞こえたその言葉を最後に、竜は闇の中に消えて――


『  おお  わすれて  おった  』

「うお!!?」


 ウルは奇妙な声を上げた。闇へと去っていったと思った竜がひょいと、ウルの目の前に現れたのだ。側に居るディズが無言で、即座に(アカネ)を振るい竜の首を刎ねた。先ほどよりも更に呆気なく首は離れ、しかしそのまま竜は言葉を続けた。


『  おい  おまえ   なまえは  なんという   こぞう 』


 こぞう、と呼ばれる者はこの場においてはウルしかいない。


「……名乗るほどのものではございません」

『ほう  なるほどな    ではな  ()()  』


 全く名乗っていないはずのウルの名前を告げて、竜はニンマリと不吉な笑みを浮かべた。そして次の瞬間、ディズによって両断された竜の首はぐらりと落下していく。他の竜達と同じく、奈落へと。


 静寂、それが事の終わりを示していた。


「………ふ――」


 ウルはそれを知り、同時に急速に意識が落ちていくのを感じた。限界をとうに超えた状態で張り続けた緊張の糸が切れた。


《にーたん!?》


 妹の声に安心を覚えながら、ウルは今度こそ、意識を閉じた。



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