色欲
それを魔物とヒトとの戦闘、と呼ぶにはあまりにも規模が強大すぎた。
「【赤錆ノ権能・劣化創造】【模倣・灼炎剣】」
《んにいいいいいいいいいい!!!!》
『ハハ ハハハ ハ ハハハハ !!! !!』
紅の剣と白の蔓が交差する。疑似再現された精霊の炎が闇を煌々と照らし、その炎を竜は容易く飲み込み、消し去る。竜はその巨体を驚くほどの俊敏さで縦横無尽にこの歪んだ迷宮の中を駆け巡る。
上下左右。どこから現れるかも分からない。どころではない。その長大な身体を使い、ディズを囲うようにして、そして全方位から攻撃を仕掛けてくる。
「【星華・開花】【劣化創造・聖籠】」
その全てが死に至る攻撃を、アカネと共に全て防ぎきるディズは紛れもなく、この世の頂点と呼ばれる【七天】にふさわしい実力者なのは間違いなかった。
『 いじらしく 粘るのう 貧弱でも 精霊 もどきならば はらわたが ひっくりかえるような きぶんだろうに』
《うっさいなーもー……!》
「さて……どうしたもんかな」
だが、それでも尚、ディズは劣勢に立たされていた。
アカネの鎧を貫通し突き立った幾つもの白い蔓と傷、血と汗に顔を滲ませ、疲弊したディズの表情が全てを物語る。ウルの右腕と同様肉体に食い込み、侵食を始める蔓を、アカネの鎧が防ぎ止めているが、いつまで持つともわからなかった。
「アカネ、どれだけ持つ?」
《んん……きっつい……ぃい…!!》
アカネは苦しげだ。まだ此処は深層の中でも入り口に近い場所であるが、それでも竜の気配があまりに色濃い。“精霊は竜の気配を酷く嫌う”。半分だけの彼女であっても、この場に居るだけでいくらかの苦痛を伴うだろう。しかし
「悪いけど、頑張って、私が色欲に喰われたらウルとシズク、マジで死ぬよ」
《んもー!!!ほんとにもー!!!》
アカネの悲鳴のような怒り声が迷宮に響く。同時に彼女の姿が再び炎の剣に変貌する。
「【劣化創造・灼炎剣・×10】」
無数に分かれた炎の剣が大罪の竜を囲む。魂ごと焼き焦がす炎が竜を睨み、そして一斉に奔った。
濃厚な迷宮の闇をも引き裂く圧倒的な炎は一瞬で周囲の大樹を消し炭にしながら竜の肉体に突撃し突き刺さる―――ことはなかった。
『【揺 蕩 い】 』
その直前に、色欲が禍々しい声と共に魔言を唱える。途端に、色欲の竜の周囲に不可視の力場が生まれた。一直線に向かっていたはずの灼炎の炎は途端に速度を失う。剣を放ったディズはその現象に眉を顰め、そして身をひるがえし外套を広げた。
『【 狂 え !!!】』
そして次の瞬間、ディズが放ったはずの灼炎剣が一斉に、竜の周辺に飛び散った。
周囲の森林が燃え盛り、使い手のディズ自身も焼かれる。端でひたすらに身を守るウルとシズクはディズの外套の力が守っていたが、そうでなければ二人とも炭になっていただろう。
そして色欲の力を直接もらったアカネは悲鳴を上げた。
《んにゃああああああああ!?!!!なにこれえ!?》
「色欲の権能の一つ。あらゆる力を揺らして狂わせる。物質非物質を一切問わない」
《はんそく!!ずる!!!》
「私もそう思うよ」
ディズはアカネの姿を戻す。緋色のアカネの剣はディズの片手に収まったが、心なしかぐったりとしていた。既に彼女も限界に近いらしい。
やむを得ないか、と、ディズは再び外套を広げた。
途端。その外套の影から不意に幾多の武具が飛び出した。彼女があらゆる場所から買い揃えた魔剣聖槍その他諸々だ。中には黄金鎚で購入したものもあった。それらを握り、ディズは跳躍する。
「【物質流転】」
それらの無数の武具が一斉に動き出す。物質操作の魔術によって、無数の武具がひとりでに動き出した。四方八方に伸びた色欲の白蔓の翼を牽制し、時にその攻撃を防ぎ、攻撃を繰り返す。だが一流の鍛冶師たちによって鍛え上げられた魔剣や聖槍の類であっても、色欲の身体や翼には傷一つつくことはない。
わかっていたことではある。精霊の与えてくれる聖遺物の模倣ですらもあっけなく吹っ飛ばす魔の頂点にこの程度の攻撃は通じるはずもない。だが、せめて目くらましになってくれれば――――
「【魔断――――】
『 なまっちょろい なああ? 』
そんな勇者の期待は、容赦なく打ち砕かれた。
“揺らす力”が再び放たれる。振るおうとした腕の力があらぬ方向に動き、骨を軋ませた。魔剣から放たれるはずの力が自らの身体を貫いた。
そして不意に飛び出した白蔓の翼がディズの胴体を貫き、食い込んだ。
「がっ……!」
『哀れよのお 【勇者】よ 』
竜がその額に新たなる瞳を六ツ開眼する。魔眼の類いではなかったが、蛇に睨まれた蛙のような気分だった。
『【勇者】 【勇 者】 【七天の ハズレ】 【天賢王の嫌われ者】』
色欲は嘲りの言葉を投げつけながらも、大きく口を開いた。
途端にそこから黒紫の破壊の光が集まり始める。【咆哮】が来るとディズは理解したが、胴に食い込んだ蔓が彼女の動きを封じた。よしんば動けたとして、大罪の竜の放つ咆哮だ。背後のウル達がただでは済まない。
「【星華・開花】」
ディズは大きく息を吐きながら、再び外套の力を解放した。
次の瞬間、大罪竜の咆哮が来た。相手を嘲って、狂わせるような色欲の力は込められていない。もっともっと単純な、魔力による暴圧だ。技もへったくれもないが、今のディズには殊更によく効いた。体が灼ける。魔力が見る見るうちに消耗する。白蔓の侵食を抑えきれなくなる。
『 装備が 今少しマトモなら まだ 凌げた ろうに のう 』
そして、咆哮は止まった。ディズは深く深く息を吐いた。が、限界は近かった。焦げ臭い血が流れ出る。滴となってこぼれ落ちたソレは、迷宮の深い深い闇の底へと落ちていった。
「哀れむ、なら、見逃して、ほしいん、だけど?」
『おお いいぞ? 見逃してやって も良い 条件を 飲むなら』
竜はガタガタガタと笑い、そして大木をも一飲みしそうな口で弧を描き、笑う。
『 どうだ 裏切っ てみは せぬか ? 【太 陽】 を 』
《んんん……んなああ……!》
言葉と共に、ディズの肉体に突き立つ白の蔓の侵食が更に強くなる。アカネがうなり声を上げ、その侵食を止めようとするが、徐々に彼女の身体と意思を蝕まんとした。
『【七天】 の中で 唯一 加護を 与えられず 武具を纏わねば 他の七天と 肩も並べられず 地面を這う 哀れな 女 』
ディズが熱っぽく息を吐きだす。身を貫く白の蔓が、強制的に彼女の肉に快楽を与え、支配しようと侵食する。ウルの時よりも遙かに強く、激しく。
『 不満であろう 理不尽であろう 不快であろう 何故 何よりも世界の守護に 尽力する者が こんな扱いを うけねばならん 』
色欲は目を細め笑う。完全なる魔物の瞳は、しかし何故か魅入るようななまめかしさがあった。その瞳でもって、ディズを誘う。
『 我なら お前を 決してないがしろには すまい お前という存在に 敬おう その孤独から救い 愛でよう 』
白の蔦がゆらりと、まるで女の細く長い指先のように揺らめき、誘うようにうごめく。
『 【勇者】よ 我が 下に こぬか 』
この世で最も天に近しい者に対する、深淵の闇の底からの呪いのような誘惑。一言一言に忌まわしさと、それ以上の甘美を秘めた言葉を浴びせられ、肉体を物理的に浸食され、快楽を与えられる。
「――ハハ」
そのただ中にあって、ディズは笑った。
「名の割に、ひどく陳腐な勧誘だね、色欲。場末の娼婦でももう少しマシだよ」
《くんにゃろおおー!!!!》
アカネの咆吼と共に、ディズの紅の鎧が輝く。途端、ディズの肉体を貫いていた、白の蔓がはじけ飛ぶ。同時に飛び散る自らの血を払いながら、ディズは炎に燃える剣を前に構えた。
「我が愛を侮るなよ、大罪竜」
竜は勧誘した蔦を退け、そして笑う。笑う。ガタガタガタと空間を震わす。
『侮りは しないとも 【勇者】 歴代の 七天 の 中でも 【勇者】だけ は 墜ちたことは なかった けなげ よのお』
竜は再び翼を広げる。広く、広く。まるで蜘蛛の巣のようにその白い蔦で空間を支配していく。それは重なり、交差し、一つの形となっていく。巨大なる魔法陣。この空間に存在する全てを消し飛ばす終局魔術が完成しようとしていた。
竜は、静かにディズを見定める。その瞳に先ほどの誘惑の色は無い。あるのはただ、心臓を押しつぶすような殺意のみがあった。
『 それで 我が誘いを蹴って その後 どうするつもりだ? イスラリアの 守護者よ』
「こうする」
ディズは頭を下げ、屈んだ。
「【白王陣再起動】【魔眼昇華・未来掌握】【劣化創造・竜穿ツ雷帝】」
白王の陣を起動させ、
火花散らす雷鳴の槍を握り締め、
左目の魔眼を輝かせたウルの姿がそこにはあった。
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