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彼が迷宮へと挑むこととなった経緯





迷宮は、賢しい草花が羽虫を誘う蜜の如く、魅力的だ。



その蜜が毒で、死に至らしめようとも、その魅力は褪せることは無い。



【名も無き冒険者達の警句集】序文より抜粋





「嘘だ。ぜってえ嘘だ。なあにが蜜だバカヤロウ」


 この言葉はどこで聞いた話だったか、と、少年は頭を巡らせようとした、が、考えがまとまらなかった。頭がぼやけている。身体が軋んでいる。いろいろなものが足りないと訴えている。


 休んで、何かを食べて、寝てくれと。


 だが、それは出来ない。昏く、狭い道を彼は必死に歩く。そうしないと死ぬからだ。


『GYAGYAGYA!!!!』


 彼の背後から異形が迫っていた。人の形をしているが、子供のように小さく、しかし醜く、潰れたような大きな鼻。頭には小さな角が一つ。小鬼(ゴブリン)、魔物と呼ばれる人類の敵対種が迫っていた。鈍く光った爪を伸ばし、身体を引きずるようにして迷宮を彷徨うヒトの子供の背中に向かって、その爪が振り下ろされ、


『GYAAAAAAAAA!!!!』

「うっさい……!」


 どす、という鈍い音は、少年からでは無く、小鬼の身体からした。

 少年の右手に握られていた細い槍だった。この地下回廊、【迷宮】で拾ったものだ。何処かの誰かが忘れたのか、死んだ結果の遺留品かもわからないものを少年は振るい、そして小鬼を串刺した。


『GYA!?』


 反撃に驚いた2匹目の小鬼の脳天に槍を振り下ろす。元々柄が古く痛んでいたのだろう。中心から大きく軋み、真っ二つにへし折れた。残された最後の小鬼は、その様をみてにたりと口を歪め、半ばでへし折れた槍を握った少年は忌々しそうに折れた先端を睨んだ。


『GYAAAAAAAAAAA!!!!』


 仲間を二体失いたった一人になって尚、微塵も殺意を萎えさせず襲いかかってくるその様は、紛れもなく人類の敵対種だった。小鬼は爪を今度こそと少年の頭に振り下ろす。少年は折れた槍を横に構え、防ぐ。ひび割れる。残された柄の部分もとっくの昔に耐久力は限界だった。割れて、砕けて、そのまま爪は少年の頭へと伸びる。


「………!!!」


 寸ででそれを回避出来たのはとっさの反応かたまたまか、柄が砕けると同時に倒れ込むようにして前に身体を倒した少年は、結果としてその爪を回避した。少年はそのまま小鬼の身体を押しのけ、へし折れたもう片方の槍の先端、鈍い槍の刃を素手で引っ掴んだ。


「だぁあ!!!!」

『GAAAAAAA!?』

 

 叩き込まれた刃の先端は、槍としての機能を失った為か半ばまでしか小鬼の身体を貫くには至らなかった。故に、少年はそのまま身体を貫いた刃を掴み、姿勢を低くして身体ごと突進した。近くの壁に小鬼をたたき付けた衝撃で刃は小鬼の身体を貫き、臓腑を破壊した。


『GA!!!?』


 びくりと小鬼の身体が痙攣し、そして絶命した。


「…………しぬかと、思った」


 少年はゆるゆると立ち上がると、そのままフラフラと壁に寄りかかった。刃を掴んだ右手を抱え、痛みに唸る。その間に、3体の小鬼の死体はみるみるまにその肉体を崩していく。まるで迷宮に溶けていくように。そして死体があった場所に三つの、青紫色の石が転がった。 【魔石】と呼ばれる魔力の結晶を少年は見て、一瞬どうするかと迷うように天井を見上げ、その後溜息をつきながら、怪我をしていない左手で魔石を掴むと懐に入れていった。そして再び移動を開始する。


「帰ったら二度と迷宮探索なんてしない」


 この上なく苦々しい愚痴を吐き出しながら、少年――ウルは歩き続けた。

 彼がこのような苦難に見舞われる羽目になった経緯は、およそ数日前に遡る。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 迷宮大乱立時代

 イスラリア大陸

 大罪迷宮都市グリード


 地の底から迷宮が溢れ、魔物が溢れ、ヒトはその支配領土を大幅に失い、限られた土地の中で、多種多様なヒトと、そしてそれらの上位存在である精霊達とが生きていく世界。


 ウルと呼ばれる【名無し】の少年、安全な都市の中で住まうことが許されず、都市と都市の狭間を放浪する流浪の民。彼が何故に地下の迷宮に落ちる羽目になったのか。その最初のきっかけは父親の病死からだった。


 1,死の間際に父親に借金を告げられた


「アンタ本当にどうしようもないろくでなしだったけど死んだら埋葬くらいはしてやるよ」

「すまんなあウル……これは遺言だが、実は妹のアカネが借金のカタになっててな」

「は???」


 2、借金取りに捕まる


「すまん、アカネの事をたの………」

「は?オイ待て死ぬな俺が殺すから。……マジか死にやがった」

「おーっす借金取りでーす!いるかークズ-!!!」

「話がはやい」


 3,大罪都市グリード周囲に存在する迷宮鉱山に強制労働の任に就く。


「おめえの馬鹿親父が借金のカタに、妹を差し出したんだよ。正式な契約だ。ほれ書類」

「その借金分俺が働いて返すので妹を売り飛ばすのは勘弁して欲しい」

「金貨10枚だぞ?」

「あの親父マジで殺す」

「死んでるけどな」


 このように、ウルと、ウルの妹の運命は極めて迅速に、流れるように奈落へと落ちた。

 ウルは妹と離ればなれになり、迷宮で獲得できる都市運営のエネルギー資源、【魔石】の発掘のため、迷宮での魔物退治を強いられる羽目になった。


 言うまでも無く、迷宮の魔物退治は危険だ。


 魔物退治を生業としている【冒険者】だって、人数を揃え、装備を調え、安全に倒せる魔物を選んで狩るのが普通なのだ。なのにこの職場にまともな装備が与えられるわけも無い。

 要は、ブラックな環境だった。このまま此処で働き続ければ早晩死ぬ。ウルはソレを理解した。

 だが、妹が売られた金貨10枚は、此処で得られる駄賃では到底集まらない

 どうにかしなければ。


「そんなに金返したいなら、良い仕事があるぜ?」

 

迷宮探鉱の責任者である小人こびとの男から提案が持ちかけられたのはそんなときだった。

 曰く、ウル達が働く迷宮とは別に存在する小規模迷宮の奥に、迷宮の”核”と思しき反応があったのだという。その奥地を探索する斥候をしてこいというのが彼の依頼だ。


 何故、ウルにそんな依頼が来るのか。誰もやりたがらないからだ。


 核があると言うことは”主”がいる。危険な魔物の中でも一際に危険な魔物。迷宮の核を守る強大なる存在。小規模迷宮といえどそのリスクは変わりない。

 その脅威を知る者は誰もそこには向かいたがらない。

 脅威を知らない者は、知らないが為に無謀に挑んでは帰ってこなかった。


 だから、ウルにまでこの話が回ってきたのだ。


「お前が様子見に行くってんなら斥候だけで銀貨1枚くれてやるよ。今のお前の給金と比べりゃ破格だろ?」

「核を取ってきたら借金チャラにするっていうなら行く」

「誰を強請ってやがるてめえ?」


 男の護衛であろう獣人に顔面を殴られた。鼻血が出たが、ウルは気にしない。


「約束しないなら行かない」


 小人特有の背丈の小ささ故か、下からのぞき込むような厳めしい形相をする雇用主に対して、ウルは一歩もたじろぎせず睨み返した。名無しとして生きてきたウルにとって侮られ、恐喝されることなど日常茶飯事で、故に知っている。こういう時に一歩でも退いてはいけないと。


「ハッ、いいだろ。やってみろよ。死ぬだろうがな」


 どうせ此処で働いても死ぬのは一緒だよ。と、ウルは口に仕掛けた言葉を飲み込み、頷いた。


「やってやる」


 かくして、無謀に限りなく近い挑戦は始まった。

 ウル自身この選択は分の悪すぎる賭けだと理解していた。が、このままだとゆっくりと弱って死ぬ、その確信があった。そうなった先駆者が既に何人か物言わぬ骨となって転がっていた。追い詰められた彼の崖っぷちの賭けだった。


 これが、彼が地下の迷宮でたった一人落ちる羽目になった経緯である。


 迷宮という魔と欲望の坩堝に堕ちた経緯と考えると、はっきり言ってややありきたりだ。

 事実、ウルという少年はまぎれもない凡人であり、今日まで生きてきた中で、特別なことなど一つもなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だから、今日まで多くの凡人たちが迷宮の奥地に沈んだのと同様に、彼もまた名もなき亡骸として墓標を連ねる、はずだった。


 この賭けが、決断が

 自分と、

 妹と、

 迷宮と、

 竜と、

 勇者と魔王と精霊と神と世界と

 その他諸々を運命の激流へと巻き込むことを決定づける事になるのだが、


 この時点での彼には知る由も無い。


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