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鍛錬

<変わった御仁じゃな、読真(とうま)

そう言ってふわりと読真の横に座ったのは衛門(えもん)だ。衛門はいわゆる「妖怪」の類である。退異生物特務庁(いとく)の言い方で言うなら、「酷似次元異生物」だ。

異生物と違うのは、人間が生きているこの次元世界とほとんど重なっている次元の生き物である、ということだ。高次の生き物であれば意思の疎通もできるし、お互いに触れることもできる。異生物の場合、視認できないものには触れることができないが、その被害は及ぶから面倒である。

「酷似次元異生物」のほとんどは人間の住む次元にはかかわらず生きているが、稀に高次の生き物が気まぐれに人間に力を貸したり悪戯をしたりする場合がある。衛門の場合は主に前者だ。なぜか研修中に偶然出会った読真のことを気に入っており、時折こうやって読真の前に姿を現す。

見た目はまるきり人間の男のようだ。読真とほぼ変わらない身長で、色が透けるように白い。ほっそりとしているが決してなよやかな訳ではない。顔立ちは女性と見まがうように優しいがその瞳は鋭い。いつも麻のような着流しの着物を着ており、そのくせ髪色は金色で、腰につくほど長いそれを背中の中ほどでゆるく束ねている。非常に目立つのだが、衛門の姿とて誰にでも見えるわけではないから、そこまで人目を引くことはない。

その衛門が現れて、真秀の事をわざわざ揶揄してくる、ということは真秀の事が何か気にかかったのだろう。真意の読めない瞳を覗き込むように見てみるが、やはりわからない。

「そう見えますか」

仕方なく当たり障りのない相槌を打っておく。衛門はくっくっと声を低めて笑った。

<読真があのように苛立っておるのは、同じ年頃の者に対しては珍しい>

「‥そもそも俺は、あまり年の近いものと話す機会がありませんから」

つっけんどんにそう返す読真を、変わらずくっくっと笑って見ている。

<自ら話しておらぬだけじゃろう>

「何か用ですか」

面倒になってきた読真はこの妖怪との話を早く終わらせようと、そう切り出した。衛門はふわりと空に浮かぶと、ぽんぽんと読真の頭をなでた。

<よき組になるといいな、読真。‥明日鍛錬をするのじゃろう?>

そう問われて、ふと衛門を見上げた。真秀との動きの打ち合わせを兼ねた鍛錬は明日行う予定だ。

「そうです。錬地5号で実施予定です。‥おいでになりますか?」

衛門の瞳孔が縦に開いた。金色に輝くそこからぞわりと妖気が上り立つ。

<久しぶりに殺し合おうか、読真>

その言葉だけを残し、衛門はふっとその姿を消した。‥好意的に振る舞っているように見えるが結局酷似次元異生物とて「異生物」に変わりはない。こちらの道理や常識では測れない相手なのだ。

しかし衛門が相手をするというのなら、おそらく無傷ではすむまい。字通真秀(あざとりまひろ)にもその旨をしっかり伝えておかねばならないだろう。そう考えて、先ほど交換したIDあてにメッセージを送る。

『明日の鍛錬、酷似次元異生物(知性型)1体入る。用心の事』

するとすぐさま返信が来たので確認すると、ムンクの叫びのスタンプが送られてきただけであった。

‥‥‥

あいつ、明日骨のひとつでも行けばいい。

読真はぎりりと奥歯を噛みしめながら自宅へと急いだ。



都心から少し離れたところにある、対異生物特務庁訓練地(いとくれんち)。訓練地は首都圏だけでも10か所以上あり、日々鍛錬に使われている。呼び名としては「錬地」と言われており、それぞれ番号がついている。これまでに鍛錬などで壊滅状態になってしまった錬地もあるので、番号が続きでない場合もある。

今回使用する錬地5号は、読真の大学から一番近かったので選んだだけの場所だ。予め電話で施設利用の予約はとっていたが、読真は早めに来て、受付で利用申請書を書いていた。そこに顔見知りがやってきて声をかけてきた。

「流文字!久しぶりだな」

そう声をかけてきたのは高杉源太郎(たかすぎげんたろう)だ。彼は対異生物特務庁(いとく)のメンバーで、35歳。読真の両親とも面識があり、書字士会にもよく出入りをしている。元自衛隊員という職歴の通り身体つきはがっしりとしているが、非常に身が軽く機敏な動きをする。書士ではないが、戦いに向いた男だ、と父が言っているのを聞いたことがあった。対異生物特務庁(いとく)では、主に海外案件折衝や調査の仕事をしていると聞いている。

「そうですね。‥‥ジンバブエの件はどうなったんですか?」

高杉は精悍な顔をにやりとほころばせた。読真の頭をぐしゃぐしゃとかき交ぜる。

「情報は掴んでるな‥。ま、何とかこっちの書士と現地の書士もどきで対処はできた。‥アフリカはやはり、伝統が途絶えちまってるところが多いから厄介だな。うちに依頼してくるところは大体そうだ。そもそも書士がいるところからはそうそう依頼は来ないがな」

「やはり、高杉さんは闘字は書けませんか」

「書けねえな。異生物は見えるんだがなあ。‥仕方ねえ、こればっかりは生まれつきの運だ。いいか悪いかは別としてな」

高杉はそう言って笑い、読真の背中を遠慮なしにバシンと叩いた。何度か闘字が書けるのでは、とやらせてみたことがあるが、やはりだめだったらしい。戦いぶりを見ているといかにも闘書士らしいのだが。

「まあ、その辺は書士に任せて、俺は面倒な方を引き受けとくよ。‥‥今日は新人だって?お前とうとう新人じゃねえと組んでもらえなくなったのか」

からかうような口ぶりで言ってくるが、読真が自分の『闘封』がなかなか組めないことを苦にしていたことを、高杉はよく知っている。口ぶりの中には「よかったな」という気持ちが滲んでいたのでそこまで嫌な気持ちはしなかった。父に言われたことをそのまま伝える。

「新人が「(カン)」になるまでは組を解消できないらしいです」

持っていた珈琲カップに口をつけようとして高杉は止まった。思わず口を離して読真を見る。

「親父さんか」

「はい」

「‥思い切ったことを言うねえ、あの人は相変わらず‥」

そう言って珈琲をぐびりと流し込む。新人が位階を一つ上げるのは容易なことではないことをよく知っているからこその言葉だ。‥目の前の若者はそれを一年未満でやり遂げた化け物だが。

ぐしゃりとカップを握ってゴミ箱へ放る。ぱすっと綺麗に中に入り「よっしゃ」と高杉が腕を引いたところで、読真は申請書類を書き終えた。窓口に提出し、「それでは」と先に進もうとして、ふと立ち止まった。

後ろを向いて一声高杉にかける。

「今日は鍛錬に衛門が来ます」


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