閃璧
翌朝、読真は病院に行くべきだと主張したが、真秀は一日休んでいればいいと言って譲らなかった。仕方なく山登りはやめて、室内で出来るトレーニングに一日を費やした。
確かに一日休めば、その翌日には真秀は平気そうにしていた。山登りの往復も読真と同じ速度でこなしていた。
残り二週間足らずの合宿期間、二人は何事もなかったかのように鍛錬を続けた。ただ、お互い胸の底に抱えていたものを相手に打ち明けたことで、すっきりとした気持ちにはなっていた。
狭原山一帯にいる異生物も、この合宿期間でずいぶんと数を減らし、山の中を歩いてもだんだん見かけることが少なくなってきていた。仕方なく、二人は基礎トレーニング中心の鍛錬に切り替えた。
あと三日で合宿が終わる、となった日は、朝の登山往復では一体も異生物を確認できなかった。朝の内に二往復、とまではやはりできなかったが、二人とも息をあげずに往復することができるようにはなっていた。
「しかし、異生物が全然いないと、闘字封字の鍛錬がはかどらないなあ‥どうする?」
汗を拭きながらそう話しかける真秀に、読真は答えた。
「あと一週間くらいで謹慎が解けますし、そうすればまた錬地が使えます。錬地の使用許可を願い出てみましょう。却下されるかもですが‥やってみてもいいでしょうから」
「そうか、そうだな。いい加減謹慎も終わるかあ~」
そう言って大きく真秀が伸びをした。
その真秀の膝裏をがん、と何かが打った。
「!?」
がくりとその場に倒れ込んだ真秀はそれでも体勢を整え、一度地面を転がってから闘筆を掴んで構えた。
その横ではダン!という音がしている。読真が立っていた方向だ。首をひねってそちらを見れば、読真が木刀を持った女に足蹴にされている。
「読‥」
「お前はこっち」
そういう声がしたかと思うと背中にドン、と重い蹴りを食らった。
息が詰まる。転がりながら相手がいると思う場所よりできるだけ遠くに移動した。横目で読真を見れば同じく読真も闘筆を持って相手から距離を取っている。
そしてようやく自分たちを襲ったものを目で確認した。
それは人間の男女だった。年は二人ともおそらく二十代半ばから後半くらい。女は長い木刀を下げてだらりと立っている。身長はそこまで高くなく、160cmあるかないかくらいに見えた。だがTシャツと細身のスラックスというラフな格好ながら、その身体はしなやかな筋肉によろわれているのがわかる。
男の方は背が高く180cmは超えていそうだ。読真もそのくらいはあるが、読真より大きいようにも見える。男は何も獲物を持っておらず、ただそこに立っている。筋肉に覆われている、という感じには見えないが、この男から先ほど受けた蹴りは、かなり重かった。
読真は二人の顔を見て、思い当たる人物があった。まさか、と思っていると先に真秀が誰何する。
「何だいきなり!誰だよお前ら!」
男女二人は、表情一つ変えずに真秀を見つめている。黙ったままの二人に焦れて真秀が身体を起こそうとした時、読真が止めた。
「やめろ字通!その人たちは『閃璧』の『闘封』だ!」
「は!?」
闘書士、封書士にはそれぞれ位階があり、基本的には四段階になっている。
闘書士は、下から進、鋭、突、閃。
封書士は、下から塊、環、閂、璧。
読真は現在、鋭、真秀は駆け出しだからまだ塊だ。
目の前の二人は、『闘封』の最高位、それぞれ閃と璧の二人だということである。
男の方が口を開いた。顔は優しげだが一重の目は細く、こちらに切り込んでくるかのように視線が鋭い。
「へえ、さすがに流文字の坊ちゃんは俺たちのことを知っているわけだ」
続くように女も言った。こちらはやや童顔に見えるがその表情に柔らかさはなかった。
「ついでに、あんな問題起こすだけあって随分弱いね」
真秀がその口ぶりに内心むっとしていると、気にした様子もなく読真が話しかけた。
「確か‥封書士の丹沢さんと、‥闘書士の高杉さん、ですよね?なぜ、こちらにお見えなんですか?」
丹沢と呼ばれた男は、読真を見やった。その姿を下から上までじろじろとぶしつけに眺める。
「お前たちの謹慎を解いて大丈夫か、確認しろってね」
「書字士会から依頼を受けたんだよ。たまたま、この近くで封殺依頼があったから私達が来てやったんだけど。‥弱すぎない?気配何にも感じてなかったよね?」
高杉と呼ばれた女が畳みかけるように言ってくる。確かに、二人が近づいてきた気配は感じ取れていなかったが、そもそも『闘封』は対人間の戦闘を想定していない。人間相手にまで気を張れと言うのか、と真秀は苦々しく思った。
だが、読真は違うことを考えていた。
「‥‥未熟で、申し訳ありません。異生物と人間、両方の気配に気をつけるべきでした」
真秀が読真の方を見ると、その様子を見ていた丹沢が揶揄うように言った。
「あらら、塊の封書士君は何で人間にまで気を配らなきゃなんないの?って思ってそうだねえ?」
高杉が真秀の近くまで来て、木刀の先で真秀の顎をひっかけぐいと上げた。
「‥莫迦じゃないなら覚えておきなよ。異生物だけを相手にする場面ばかりに遭遇するわけじゃない。人間が巻き込まれていたらどう対処するのかを考えるのも『闘封』の役目だ。それも考えられないようなら、封書士なんてさっさとやめることだね」
真秀は、内心むかむかとしながらも高杉の言ったことが正論であることを認めていた。闘字や封字は基本的には人間を傷つけないが、それによって生命エネルギーを削られちぎれ飛んだ異生物の破片が人間に当たれば、間違いなく大きな怪我を負う。周りに人間がいるかいないかの確認は必要不可欠だ。
読真と真秀は、錬地での対異生物戦で気力や体力を削られ、身体がもたなかったことに気を取られ過ぎていた。本来の異生物戦の想定をしていなかったと言われても仕方がない。
丹沢は185cm、読真は180cmくらいの想定です。高杉は162cmですが、かなり筋肉質です。
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