新しい闘封字 鍛錬
翌日から鍛錬を始めた。
早朝からは狭原山を上り下りして基礎体力をつける。山道を走ることに加え狭原山は高低差は緩やかだが、標高が500mほどはあるのでそこを上り下りするのは体力的にはかなり負担がかかる。
だが、闘字・封字を数多く、そして長時間使うためにはどうしても基礎体力の底上げが必要になってくる。ときおり吐きそうになりながらもとにかく山頂と施設を一往復走り切った。それだけで足ががくがくし、身体を嫌な汗がしたたり落ちていく。
初日の今日は様子見をしながらだったので一往復に四時間かかった。
荒い息を吐きながら、読真は言った。
「でき、れば‥合宿、最後まで、には、二往復、したいですね」
ばったり地面に倒れて転がっている真秀は信じられない、という顔をして読真を見上げた。
「嘘、だろ‥できる、気が、しねえ‥」
読真は膝あたりに手をついて上体を倒してはあはあと息を吐いていたが、そのままゆっくりと上体を起こし、吐く息と吸う息を長く取り始めた。つい荒くなりがちな息を必死に鎮めて大きく呼吸をする。何度か繰り返しているうちに、少しずつではあるが息が整ってき始めた。
その様子を見ていた真秀も、地面から起き上がって何とか立ち上がり、読真を見習って長い呼吸を心がける。
「こういう、呼吸、とか、習った、のか?」
真秀がまだ震える唇を動かしながら読真に尋ねると、読真はだいぶん息が整ってきたようで滑らかに答えが返ってきた。
「特に習った、という訳ではないんですが、呼吸は長くする時と短くする時を自分で制御した方がいいと聞いたことがあるので」
「へえ‥」
「基本的には書士研修で習ったことしか知りませんよ。俺の父も元闘書士ですが、父から何か習ったことはないですね」
「そうか‥」
真秀の父は、真秀が十歳の時に死んでしまったのでもちろん何を習う暇もなかった。そもそも真秀に書士の素質があるかもまだ確かめてはいなかった。
だが、いつも弓字幹を持って凛と背筋を伸ばし、母を守るようにして出かけていた父の事を思い出す。みんなの暮らしを守るのが仕事なんだよ、と穏やかに言っていた父だった。
真秀はぐっと爪を立てて拳を握った。鋭い痛みが真秀の思考を止める。
そうして、大きく息を吐いてから読真に向かい合って明るく言った。
「筋トレどうする?飯食ってからにする?」
読真はそんな真秀の事をしばらくじっと見ていたが、ゆっくりと返事をした。
「その前に軽くストレッチだけしておきましょう」
身体が異常に固い、というのは自分でもわかっていたが、読真のストレッチ指導は泣くほど痛かった。全く容赦してくれない。「よくこんなんで研修通ってきましたね!」とぶつぶつ怒りながら、真秀の固い身体の筋肉や筋をこれでもかと伸ばしてきて一瞬「あ、切れた」と思ったくらい痛かった。
だがその後読真が作ってくれた冷やし中華が美味しくて、モリモリ食べていたら「元気じゃないですか」とかなり冷たく言われてしまった。
明日の昼も冷やし中華の予定だったのに、おかわりおかわりと真秀がしつこく要求したせいでなくなってしまったらしい。そこそこ怒りの滲んだ顔で読真が言った。
「‥字通、お前明日の朝、走って買い出しに行ってきて。無論帰りも走りです。買うものはメモしておきますから余計なものは買わないように」
と言われてしまった。
「え、じゃあ山頂までの走り込みはなし?」
「何寝ぼけたこと言ってるんですか、やります。昨日行ったスーパーは朝8時から開いてますから、字通はここを7時半に出れば間に合うでしょう。買い物して帰ってきても9時には着くでしょうし」
しらっとした顔でそう言ってのける読真に、真秀は猛抗議した。
「あの距離を30分で往復ってお前無理ゲーだって!そんで帰ってすぐ山登りってさあ‥」
読真は眼鏡越しにぎろりと冷たい目を真秀に投げた。
「字通が莫迦みたいに大食いしなかったら、食料は明日か明後日まではもつはずだったんです。自業自得ですよね。いい鍛錬です」
「‥俺が買い物行ってる間お前どうすんの」
そう言って下からじっと恨めしげに見つめる真秀を、読真は心底軽蔑する、というような目つきでまた見てきた。
「筋トレします。俺はここに来た目的を忘れてませんから」
「俺だって忘れてねえ!」
「そうですか、じゃあ買い出しお願いします」
ぐぐ、と言葉に詰まった真秀は黙り込むしかなかった。‥早起きできるように今日は早めに寝よう、とこっそり思った。
昼食の後、少し身体を休ませてから異生物を探し、闘封字を試すことにした。小さな、力の弱い異生物であっても必ず二人で封殺までするように取り決めた。前回の錬地での鍛錬では、二人の連携を確かめるまでには至らなかったからである。今回は一か月と長く期間も取っているし、できうる限り組としても動きの練度をあげておきたいと二人の考えも一致していた。
山をゆっくり登りながら探せば、すぐに異生物が見つかる。本当に多発地帯なのだな、と読真は思った。自分自身はここに来たことはないが、鍛錬代わりにここに来る『闘封』が多いのも頷ける。
目の前に現れたモルモットくらいの異生物を見て真秀に声をかけた、
「字通、放擲を使ってみたいので少し離れてみていてください」
「わかった」
返事を聞いてから闘筆を噛んで、新しい闘字を書いた。
「穿刺放擲」
空に書かれた文字は、書かれるやいなやぐにょりとその形を崩した。だめか、と思いながらも無理に祈念してみる。何とか読める、という程度に形を保ったので、そのまま異生物にぶつけてみた。すると闘字は、異生物に当たってぶわりとほどけてしまった。ただ、異生物の力が弱かったためか、その身体を縮めることはできたようだ。
その様子を見て今度は真秀が闘筆を噛む。
「縄縛導滅」
封字は綺麗に空に書きだされ、するりと浮かび上がった。真秀も祈念して異生物の方へ投げた。弱った異生物はすぐに封字にからめとられ、ぴくとも動かなくなる。
目で合図すると二人で言った。
「闘封」
異生物の身体がぴしりとそこに縛られたようになる。それを見て真秀が祈念しながら言った。
「封殺」
しゅっ!という軽い音とともに異生物は消えた。
それを見ながら真秀は言う。
「あれくらいの奴なら大きな陣を昇結しなくても封殺できるな」
「あの大きさがどのくらいの数までだったら昇結が要らないのか知りたいですね‥後、やっぱり俺の闘字はもっと練らなくちゃ使えないようです。集中的にこの闘字を使ってみていいですか?」
真秀は頷いた。
「いいぜ。異生物をどこか追い込めるといいけどな‥あ、それとさっきの闘字使うなら、いろんなところに飛ばしてみてくれ。広域陣を張る練習もしたいから」
「解りました。数が出る場所を探しますか」
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