合宿へ
八日経ってようやく真秀も退院の日を迎えた。読真は退院に合わせて病院を訪れ、家まで送ってやると告げた。車でも持っているのか、と思えば、病院の外に待っていたのは普通にタクシーだった。
住所を聞かれ素直に答えれば、読真は少し目を見開いて「‥結構俺の家に近いですね」と言っていた。
真秀のアパートについて、どうするのかと思ったら真秀のリュックを持って一緒に部屋に入って来た。読真はそういう付き合いをしないのかと思っていたので真秀は素直に喜んだ。
「読真、珈琲でも飲む?インスタントしかないけど‥」
「あなた退院したばかりなんですから大人しくしていてください」
そうぴしゃりと言われる。そんなに言わなくても、と思っていたら読真が自分のリュックからペットボトルを出してきた。
「はい、お茶です。珈琲の方がよければこちらを飲んでください」
「読真って、なんかいつも手際いいな!」
感心して心からそう言えば、少し顔を赤くしてうつむいている。‥あれ、照れてる?
「照れてる?読真」
「違います!」
そういうや否やペットボトルをひっつかんで蓋を開け、ごくごくお茶を飲んでいる。よく見てみれば耳の先がまだ赤くて、素直じゃないやつなんだなあと真秀は思った。
半分くらいもお茶を飲み干して、ふーと息をついている読真を見ながら、真秀もありがたく珈琲を飲んだ。ミルクたっぷりのカフェオレタイプだった。
んん、と何やら咳払いをしてから読真がこちらを向いた。
「退院したばかりですからこういう話をするのはどうかと思いましたが‥一応、お伝えします」
「うん、何?」
読真は手の中に持ったペットボトルをもてあそびながら、ゆっくりと言った。
「‥以前にも言った通り、俺たちはしばらく謹慎です。任務についてもしばらくはお呼びがかからないと思いますし、錬地も使えません。ですが、鍛錬は必要です」
「うん、俺もそう思う」
正直、自分の体力はもう少しあるのではと真秀は踏んでいた。だからこそ前回の鍛錬では最初に大きめの陣を張ってみたのだ。だが、実際に異生物が多数かかってこられたらひとたまりもなかった。その事を身をもって知った。
「でもどうやって鍛錬する?」
「‥書字士会が所有する、異生物が出やすい地域の山があります。出やすいと言っても小物ばかりなので、時折まとめて封殺しに定期的に『闘封』が派遣されているところです。そこには簡単な宿泊施設もあるので、合宿のようにしてはどうかと思いまして」
「いいね!‥‥あ、っと、‥俺たちの給料って‥どうなる?」
書字士会の奨学金で大学に通っている真秀としては、封書士としての給与が入ってこないのは痛い。任務がなければ入ってこないのだろうか。
だが、読真は何でもない、という顔をして言った。
「封殺手当はつきませんが、基本給の支払いはあります。心配しなくていいですよ。合宿先も、小物を封殺してくれれば費用はいらないということでしたし」
真秀は顔を輝かせた。それはありがたい。食事も出るならなおいいのだが。
「飯も出る?」
「‥‥それは自炊です」
真秀はあからさまにがっくりした顔になった。家事はそこまで苦ではないのだが、食事を作るという作業がどうしてもうまくない。真秀が作ってみるともれなくまずくなる。自炊をした方が食費が抑えられるのはわかっているが、今のところ真秀が作って食べられるのはふりかけご飯にレトルトカレー、卵かけご飯くらいだ。
「読真ごめん、俺、全ッ然料理できないんだ‥。食材だめにしちゃう系男子なの」
読真は眼鏡のフレームをくいと上げた。おお、イケメンだな。
「‥ある程度なら俺が作りますよ。その代わり掃除や洗濯は頼めますか」
「もちろん!あーちょっと楽しみになってきた!いつから行く?」
そうわくわくしながら尋ねてくる真秀を見て、読真は少し面白そうににやりとしていった。
「前期試験が終わってからです」
‥忘れてた‥‥
大学に入ってから初めての試験があるのだった。レポートもいくつかあるが、教養科目の中にはペーパーテストも多い。授業での発表の事などは友人と調整をしていたが、入院のごたごたですっかり試験の事を忘れていた。
「‥読真、勉強できる系?」
「字通ととってる講義が違いすぎますから参考にならないでしょう」
まあ、頑張るしかないですね、とニヤニヤしている読真の顔を見て、くそ~きっとこいつ自分は余裕あるやつなんだ腹立たしい、と思いながら真秀は珈琲を飲んだ。
熱い陽射しがかんかんに照りつける日々の中、何とか試験期間は終わった。真秀は慌てて試験準備をする羽目になり、レポートの作成や勉強などで目が回るような忙しさだった。一つのレポートは教授直々に「これはだめだね」と早々不可をもらってしまったが、また来期取ればいい、と前向きに考えることにした。他の科目は成績が出てみないとわからないが、とりあえずは合宿だ。
試験期間中、真秀はなかなか読真に会えなかった。避けられてるのかな?とも思ったが、学科が違うので試験の日程なども詳しくはわからない。SNSを通じてメッセージを送ってみても、読真からは仕事の報告のような杓子定規な返答しか返ってこないので何を考えているのか読みづらかった。
だが、自分を家まで送ってくれた時の照れた顔を思い出すと、きっと根は悪い奴じゃない、なんか恥ずかしいんだろうな、と真秀は思っていた。
そしてようやく、合宿の日を迎えた。場所は読真が知っているというので最寄りの駅で待ち合わせをする。行先は県境にある山間の街だった。ここからだと電車で三時間余りかかる。
弓字幹の包みを背中でよいしょと位置を直して、真秀はぼんやりと行きかう人を眺めていた。
すると少し遠くに読真の姿が見えた。お、来たなと手を振ろうとして‥手が止まった。
読真は一人ではなかった。横に、もう一人いる。
あれは、着流しを着てひょろりとした、長い金髪を後ろで雑に括った男。
「読真‥そいつ‥」
真秀の近くまで来た読真の顔は、今まで見たことがないほどの仏頂面だった。その横で着流しの金髪男‥衛門は柔らかく微笑んでいる。
<やあ、字通真秀。久しぶりじゃなあ。元気になったようで何より>
しゃあしゃあとそう言ってのける酷似次元異生物に、真秀は心の奥底をざりざりと擦られたような気持ちになった。
「‥読真、こいつ‥」
読真は眉間に恐ろしい皺を刻んだ顔で低い声を出した。
「‥ついてくる気らしいです。‥追い払う方法を知らないので‥まあ、合宿中いるんでしょうね」
<何だか冷たいの。錬地でもなし、お前たちを殺すようなことはせぬよ>
読真は、錬地で見た衛門とは確かに様子が違うなと思ったが、にやにやと笑うその表情からは何を考えているのか読めない。そんな衛門とは対照的な仏頂面の読真が吐き捨てるように言った。
「衛門、あなたの言う事は信用できない。言質を取られたくないから、俺はもう喋らない。字通もできうる限り喋るな」
「お、おう‥」
ひゅうっと少し高いところに浮き上がって衛門は真秀に近づいた。そしてごく近くにまで顔を寄せてくる。衛門は女性のような優しい顔で真秀に話しかけた。
<字通真秀、お前は私に血を分けた。だからお前は私を無視できないよ。私が何かを聞いたら答えるように>
「‥わかった」
応えるつもりはなかったのに、勝手に言葉がこぼれて驚いた。その様子を見た読真が舌打ちをした。
「血を分ける、というのはやはり弊害がありますね‥字通、できるだけ精神を強く持ってください。いい機会ですからこれも鍛錬の内としましょう」
「わ、わかった!」
そして読真は全く衛門を気にすることなく、電車に乗り込んだ。真秀もそれに続いた。
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