89 ハチミツと熊獣人の関係
翌日、ドランとポーラに魔石を渡して、地下三階を掘り進めてもらうことにした。
「向こうからも入り口を作りたいが、誓約もしていないからそれはまだ出来ない。こちらのハニール殿と相談しながら区画の整理をしてくれ」
「承知した。俺は掘り進めるぞ」
「私は固める」
普段の二人は口数が多くないことを忘れていた。そこで目に付いたのがエルフの三人だった。
「クレシア、リシアン、ミルフィーネは、ハニール殿の意見を聞きながら、何処に何の種を蒔くか等を相談して、それを羊皮紙に記載して後で俺に見せてくれ」
『はい』
今朝三人には誓約をしてもらった。
これである程度は縛れるだろうが駄目なら駄目で、彼女達と関わらなくなるだけなので気にしないことにした。
今回の誓約には連帯責任性を設けた。
何かを犯したら三人揃って奴隷として売ることにしたのだ。
奴隷契約を破棄しても直ぐに戻ってきてしまう可能性や、俺達と会った記憶の喪失に関しても精霊が関わると考えた場合は戻される可能性があると思ったからだ。
能力的に彼女達はこの果樹園とハチミツ、ハチミツ酒工場において必要な人材だと思っている。
昨晩ライオネルとケティに精霊の話やエルフ達の特性を聞きながら、彼女達の扱いを決めた。
ケティがエルフ奴隷の関係をリシアンに聞いて確認したところ、精霊でも信仰心が強い者しか奴隷契約は破棄することが出来ないと語ったそうだ。
「しっかりとお話したら、ちゃんと教えてくれたニャ~」
笑顔で言っていたが、目が笑っていなかった。
きっとライオネルが傷ついていたことを……考え過ぎだろうか?
その基準でミルフィーネのことを考えてみると200歳を超えるエルフなので、信仰心も相当強かったと思われる。
人が主神のクライヤ様に祈りを捧げて魔法を使うのと同様に精霊魔法は精霊に頼んで魔法を使うのだから、その信仰心は余程なのだろう。
主となって十日の俺よりもずっと信仰してきた神に近い精霊の啓示を優先した。
これは仕方のないのだろう。
きっとケティもライオネルに命じられていれば、同じような事態になっていて、俺とライオネルのどちらを優先するかは想像するに容易かった。
まぁ納得出来るかどうかと、俺が何も感じないかは決してイコールではないのだが……。
この世界に来た時はこんなことを考えないで済んだのに……
そんなことを思い、メラトニの生活を懐かしく感じたのは俺だけの秘密だ。
今朝、三人にそれを告げるとクレシアは泣きそうな顔になり、リシアンはミルフィーネを睨み、ミルフィーネは深々と頭を下げて謝罪した。
三人にはこれが強制であることと、今なら奴隷契約も破棄出来ることを伝えたが、三人ともそれを断ったのであった。
こうして俺と俺の計画、治癒士ギルドに不利益な行動をした場合、自動的に奴隷紋が消える誓約を三人とした。
一日に一度、奴隷紋を確認する役はケティとナーリアに頼み、俺はこのことに時間を割くことを止めた。
「ナーリアは引き続き奴隷の皆に読み書きと一般常識を教えてあげてくれ」
「はい」
ナーリアにはよくルシエル様もご一緒にどうですか?と言われるが、そんな時間はないのだ。
「ケフィン隊はギルド周辺の見回り、ヤルボ隊とバーデル隊は無理をせずに反対勢力の洗い出しを頼む」
『はい』
実に良い返事だ。
彼らが心から更生してくれることを祈りながら、ライオネルとケティに声を掛けて俺は出発することにした。
「ライオネル、ケティまずは熊獣人族に会いに行くぞ」
『はっ』
ジョルドさんに声を掛けてから治癒士ギルドを出るのだった。
熊獣人族に会いに来たのだが、そこには虎獣人族の数名の姿があった。
「おはようございます」
俺に気がついていなかったのか、声を掛けた虎獣人達は驚き会釈をすると、逃げるように立ち去った。
「なんだと思う?」
「少し不穏な気配ですな」
「今日はヤルボ隊が追う予定になっているから、大丈夫ニャ」
ライオネルが考える素振りを見せる横で、ケティは笑いながらそう答えた。
「何かわかっているのか?」
「
昨日のうちに調べたのだから、やはりケティはとんでもなく優秀だ。
「……そういうことは一応報告してくれ」
ケティは笑いながら視線を外す。
このコミカルさは何だが癒される。
「……気をつけるニャ」
「はぁ~。じゃあ、虎獣人族が何しに来たのかを聞きながら、交渉を開始しますかね」
俺は虎獣人族がいた家にノックをすると、バンッと凄い勢いで扉が開こうとしたのをライオネルが止めた。
「だかフンギャ!?」
バンと今度は扉に何か硬いものが当たる音と声が聞こえて、ライオネルがゆっくりと扉を開くと頭を抑えている熊獣人の姿があった。
「この方はブライアン殿では?」
良く見分けがつくな。
ライオネルの意外な一面を見ながらヒールとリカバーをかけるのだった。
回復したブライアン殿が目を覚ますし、こちらに気付くとバツが悪そうな顔をしながら、俺達を家に招き入れた。
「何やらお取込み中の様でしたが?」
「……私達は数の少ない種族なので、色々あるのですよ」
ブライアン殿は力なく笑う。
「そうですか。もしよろしければ私を信頼してお話していただけませんか?」
「……ルシエル殿が現在イエニスの代表になっているのは存じ上げています。ですが、これは種族間の問題となりますので、どうか分かっていただきたい」
ブライアン殿はそう言ったが、完全に虎獣人との関係を暴露してしまっていることに気がついていないのだろうか?
「そうですか。では今回は帰らせていただきます」
俺は笑うとブライアン殿にそう告げる。
「……何かお話があったのでは?」
「そうなんですが、もう少し信頼関係を築かないとハチミ……お話は信頼関係が出来てからにしましょう」
再度笑ってから立ち上がると、焦ったブライアン殿の声が家に響く。
「ハ、ハチミってハチミツのお話なのでは?」
「し~。これは内密のお話なので、もう少し信頼関係が結べたらお話しましょう」
俺は鼻の前に人差し指を止めると左右を確認しながら、小声で喋る。
「どういうことでしょうか?」
「う~ん」
俺は悩む振りをしながら、100mlの小瓶を取り出してブライアン殿に渡す直前で止めた。
「これはハチミツです。私を信用してくれる気になりましたら、治癒士ギルドまでいらっしゃってください」
そう告げると今度はちゃんとブライアン殿に渡した。
ブライアン殿は震えながら瓶の蓋をあけて、ハチミツを手に垂らし舐めた。
ワナワナと身体を激しく揺らし始めたブライアン殿は、ハチミツの瓶にしっかりと蓋をすると玄関から飛び出た。
次の瞬間、身体が発光してボフンという音と共にブライアン殿は巨大化した。
そして「クマー」っと、凄い雄叫びを上げた。
「……前よりも大きくないか?」
「獣人も色々なのですな……」
「吃驚したニャ~!?」
二人が素で驚いている発言を聞きながら、これってハチミツを食べたことが分かるんじゃないか? そう思いながら、喜んでいる彼に釘を刺すのは巨大化が終わった後にすることとした。
五分程経った頃に狼獣人や竜人達の警備が何事かとやってきたが、余っていたハチミツを渡したらこうなったと説明すると納得して帰っていった。
これは毎回のことなんだと分かった俺は頭を抱えた。
身体が小さくなったのは巨大化して三十分後のことだった。
今ではすっかりと元の……土下座している関係で元よりも小さくなっているブライアン殿がいた。
ちなみに獣人に土下座を広めたのは賢者様らしいので、もう賢者様は転生者で日本人だと断定した。
「ハチミツであんなに巨大化するとは思ってもいませんでしたが、怒ってはいませんので顔を上げてください」
「何をおっしゃいますか。あれだけ品質が高く、不純物が一切ない…だけではなく、魔力が凝縮されたハチミツを私は初めて食べました。熊獣人なら忠誠を誓うのは当然のこと」
あのハチミツってそんなに最高品質なんだ……
ハッチ族を助けておいて良かったな。
そんなやりとりの後で、さっきの虎獣人について聞くと今度はポンポンと話が出てきた。
「イエニスの獣人族は全部で十種族ありますが、元は十四種族だったのです」
「その四種族は?」
「牛獣人族、馬獣人族、猿人族、象獣人族でした。様々な理由でこのイエニスを追い出されました」
「……私が最初に聞いた話だと、この街や他種族に縛られたくない方々や広いイエニス地で、縄張りを誇示したい種族と聞いていたのですが?」
ブライアン殿は首を横に振りながら、口を開く。
「種族の人数が少なかったり、度重なる戦闘で追い出されたりしたのです。誰も魔物が闊歩しているところに村や集落を作りたくはないですからね」
「……じゃあ先程の虎獣人達は?」
「ルシエル殿に協力しないこと、これまで通り薬師ギルドに薬草を卸すこと、そのことを他の種族に漏らさないことを要求してきました」
「破った場合は?」
「
本当にシャーザも含めて如何しようもないな。
竜人族と違って腹黒さがあるな。あ、この後冒険者ギルドにも寄っていこう。
「わかりました。明日の夜に使いを送りますから、その者に従って治癒士ギルドまで来てください。そこで一度誓約していただきますが、熊獣人の方に悪いようにはしないつもりです」
「ルシエル殿、いえルシエル様どうか熊獣人を宜しくお願い致します」
だいぶ重圧を掛けられていたのだろう。
ブライアン殿はもう一度、深々と頭を下げお願いして来た。
「一緒に頑張りましょう」
ブライアン殿に見送られて俺達は冒険者ギルドに向かった。
「どう思う?」
「ブライアン殿は問題ないですが、間違いなく荒れますな。権力は一度持てば手放せなくなるものです」
ライオネルが言うと重くて頷いてしまう。
「断罪が必要になる可能性もあるニャ」
ニコニコしているケティだが、今日は何処か機嫌が悪く感じる。
「……そういうのは勘弁してほしいけど……パワーバランスが崩壊する危険性は高いな」
「元より冒険者迷宮国家都市グランドルのようにしたかったのであれば、遅いか早いかの違いでしょう」
「ルシエル様はやれることをやるニャ。ライオネル様や私が支えるニャ」
「ああ。頼りにしている」
俺がそう言うと二人はお互いの顔を見合って笑いながら口を開く。
「いきなりはむず痒いですな」
「……本日二度目の吃驚だニャ~」
この二人のありがたさは昨日も特に感じたからな。
「ほら行くぞ」
俺達は俺を真ん中においてライオネルが前を歩き、ケティが後ろを守るいつもの陣形で、冒険者ギルドに向かって歩き出した。
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