39 伝説の治癒士ギルド創設者の言葉?ルシエル、自分の無知に足を掬われる。
あのS級治癒士祝賀会から、十数年の時が流れた……なんてことはありません。嘘です。
「ルシエル君?さっきから何をブツブツ言っている? 」
「あ、カトリーヌ様すみません。急に頭にあるナレーションが頭に浮かんだものですから 」
「ナレーション?君は吟遊詩人にでも憧れていたのか? 」
「いえ、そんなことはありませんよ 」
否定しておかねばなるまい。もう変な通り名はお腹いっぱいです。
「まぁ彼も疲れているのでしょう。何せ、まだあの式典から一月で、このガイドラインを作成したのですから 」
そう言ってくれたのは、マルダン大司教様。温和で、敬虔な老人だ。
「それもそうですな。しかし、まだ内容が少し粗いですな 」
次に声を掛けてきたのが、悪徳商人のような顔をしたムネラーさんだが、実はゴネ屋で外交官みたいなことをしている教皇様の右腕。
「ええ。このまま世に出してしまうと治癒士達がストライキを起しかねません 」
嘘のような本当の名前を持つドンガハハが発言した。彼はこのガイドライン作成を最後まで渋っていた男だが、ある派閥のドンであった。 式典後に失脚寸前のところまで追い詰められ、心を入れ替えて?法案作りに着手している。
「ですが、教皇様の命なら従わない訳にはいかないのでは? 」
こうして調整役に身を置くのは、元神官騎士隊長だったブルトゥース氏。怪我を負ってからは治癒士として教会の為に尽力している、もっとも若く41歳で大司教まで上り詰めた人。名前で判断してはいけないよね?
「ええ。ですから、ストライキがありえるのです。今まで自由にやってきた者達は、間違いなく反発しますし、率先してこれを推し進めたルシエル殿が、暗殺の対象となることは間違いありませんぞ 」
ドンガハハさんは改革が嫌なのではなく、そのスピードがあまりに速すぎることが不安で慎重派となっているのだろう。
「それはそうだが、今、聖シュルール協和国の教会本部が運営する治癒士ギルドを立て直さなければ、ルシエル君が消えて暴動が起こった時の比ではないことが起きるぞ 」
カトリーヌさんは役職が戻ってからは、まるでブロドさんの様な覇気が出ていて、ちょっと怖い。そのうえ……
「…ん?ルシエル君、何かご意見が? 」
人の気配を敏感に察知するエスパーです。
「このガイドラインは誰の為に作ったものだか分かりますか? 」
「それは患者のためだろう? 」
そう声が上がり皆が同意する。
「そうですね。でも治癒士達の為のものでもあります。私が最初に治癒士になったメラトニの街では、ハイヒールを使える優秀な治癒士達がいました。それが使えるようになるまでは、何を考えていたかまでは、分かりません…が、かなりの努力と経験を積まなければならなかったはずです。そこまで努力していた人が、恨まれる世の中って悲しいじゃないですか?治癒士とて人ですから、お金や物欲に目が眩んだとしても不思議ではありませんが、誰からでも毟り取ることばかりを考えていては、過去の自分を穢すことにもなります。それに、治癒する人が治癒院に掛かりやすくなれば、一人当たりの単価は安くなり忙しくもなるでしょうが、その分、治療する人が増えて、治癒士としてのスキルも上がり人から敬われる存在になれるのです。将来、治癒士が成りたい職業1位になることもあるかも知れない。そんな未来を作りたいじゃないですか?長くなりましたが、ドンガハハ様の言う通り、徐々に治癒士達の意識改革を進めながらカトリーヌ様が仰ったことが起きないように妥協ラインを決めていきましょう。私もS級治癒士として頑張っていきますから 」
「そこまで考えているなんて、分かったわ。ルシエル君に負けないように頑張るわ 」
「うむ。だったら、もう少しこのガイドラインを詰めていこうではないか 」
「あれ?どうしていきなりそこまで? 」
「S級ランクとして、人々を救う。まさかそんな伝説的な言葉をここで引用するなんて、その若さでS級治癒士になられただけの覚悟と実績をお持ちだ 」
伝説?引用?意味がわかりませんが?
「あの?」
「治癒士ギルドの創設者、レインスター・ガスタード様と同じ言葉を使うなんてね 」
「まぁまずはこのガイドラインを次に法案を通していこう。世界がこれで動くなんてことを自分達の手で作ることになるとはな…… 」
「おおげさ・・・ではありませんね。もしかするとこの会議もいずれ詩人が伝承として残す可能性もありますからね 」
あれ?みんなが何か熱っぽく語っている。それより気になるのは、「S級治癒士として」って言葉が引き金になったってことだ。
「あのそれで、私は? 」
「そうだな。さすがに一人で行かせるわけには行かないし、騎士団でルシエル殿の隊を作るか、もしくは隠密に行動するなら、傭兵や冒険者を雇うという手もありますね 」
「聖都にはないが奴隷を使うのも手だろ 」
「S級の治癒士カードを持っていれば、イルマシア帝国であろうが入れるからな 」
「定期的な報告は入れさせていますが、不正が無いように目で見て回ることを決断されたのですから、魔通玉の改良にも着手して欲しいと魔法独立都市ネルダールにも連絡しなければならないわ 」
…ん?……どうしてこうなった?
「世界地図も用意しなければなりませんね 」
「それよりルシエル君、旅に出るなら馬術のスキルは必須よ。馬車で動けば盗賊などにも狙われてしまうからね 」
「もう少し若ければ、私もついていくのだがなぁ。本当に残念だ 」
「小さい村には治癒士がいないところが殆どですので、教会の為に治療をお願いします。勿論、給金は今まで以上に支払われますので頑張ってください。」
「皆さん、それではルシエル殿が早く教会から旅立てるように我々も頑張っていきましょう 」
『はい(おお)(ああ)(うむ) 』
こうしてまとまってきたガイドラインと法案は、その道のスペシャリストたちが全力で進めていくことになった。
もう一度、声を大にして言わせてもらおう。どうしてこうなった?
俺はあまりのスピードに否定する言葉を掛けることも出来ずに、ヒートアップする会議を呆然と眺めることしか出来なかった。
ガイドラインに盛り込んだ内容は、色々あったが簡単なもので言えば以下のものがあげられる。
・治療の前に事前説明。
・説明が終わったら事前に料金提示をすること
・治癒魔法の料金プランの提示、治癒士のスキルに応じての料金設定
・値引きは個々の治癒院に任せるが、一定の金額設定内にすること。
・緊急の患者の場合は連れの人が払うことに同意してもらうこと。
以上のものだったが、これがどう変わるかはスペシャリストに丸投げした。
法案には冒険者ギルドガード及び市民カードで、保険を作るか作らないかの内容も含めておいたが、保険という概念がないこの世界でそれが作られるかは分からない。
ガイドラインと法案の骨格が作られていき、実施する日程や各治癒士ギルド支部への通達の仕方、現在の各治癒院の状況報告を聞きながら俺は思った。
治癒士ギルドの中核、教会の本部にいるのに俺は教会のことも治癒士ギルドのことも、何も知らずにいたということを。
こうして俺は、教会について学ぶことになったのだが、それを見た者達が若くても敬虔な者だと勘違いしてしまい、S級ランク治癒士の名前が勝手に一人歩きをした状態のまま教皇に伝わり、ルシエルは二十歳になってから旅立たせることが決まった。
一年と五ヶ月をどの様に過ごすかは、俺に委ねられたのだった。
世界がルシエルを知るのは、あとほんの少し先のお話。