10 訓練2 数値と強さと報告書
ボタクーリが冒険者ギルドにやってきた日から、一週間が経過していた。
「どうやら奴さん達は、お前のことを色々と嗅ぎ回っているみたいだな」
「まぁ疚しい事はしていませんから、嗅ぎ回られても構いませんけどね」
「そうだが、ルシエルをボタクーリが嗅ぎ回っている。そうすると、あいつに恩を売りたい奴が、ルシエルと敵対する可能性が出てくる」
「・・・いつの間にか、悪循環に陥った」
ムンクの叫びのように顔を押さえながら俺はうな垂れた。
「だから今日から、お前を治癒士として鍛えることは止めにする」
ブロド教官が、そう宣言した。
「はっ?」
もしかして壊れた? そう思っていると続きを話し出した。
「今日からお前は成り立ての拳闘士や聖騎士としてスパルタで行く」
「あのぉ? ブロド教官?」
何? どうしてやる気スイッチが入っちゃったの? ねぇ?
「まぁ安心しろ。軽く今までの倍程度の密度で鍛え上げて、食事もあれも、量を増やすだけだから」
「えっ? 全く安心出来ませんけど?」
すると徐にブロド教官は俺の肩に手を乗せて言った。
「男には、やらなければいけない時がある」
「えっ? 何で今、その言葉で俺を説得出来ると思ったんですか?」
「死にたくなかったら、黙って従え」
ブロド教官から発せられた低い声は威圧感が半端なかった。
「イエッサー」
俺は敬礼した。
「よし来い」
冒険者ギルドの地下の訓練場では、朝からブロド教官の叱責と俺の悲鳴や叫び声が、そしてたまに泣き声が聞こえてくるようになった。
これを聞いていた新人冒険者達は、治癒士があれだけ頑張っているんだからと、訓練に勤しむようになっていった。
こうして俺の知らないところで、冒険者の生存率は上がっていき、冒険者ギルドを好循環に導いた俺は、何年にも渡って語り継がれていくことになる。
ただ俺の二つ名が、〔治癒士のドMゾンビ〕と全く有り難くないものなのだが、このとき俺は、そんなことを一切考えずに、ブロド教官から逃げることばかりを考えているのだった。
「もうバリアは使えるんだよな?」
「はい。おかげ様で、バリアは中級まで使えるようになりました」
「そうか。じゃあ早速自分に掛けておけ」
「あ、はい」
俺がアタックバリアを発動させた次の瞬間、視界がぐるりと変わった。
次の瞬間、胸と背中に激痛が走り、息も出来なくなった。
「ふむ。全力で投げたが、死んでいないし、意識はあるし、骨折もしてないな」
そんな暢気なことを言われているけど、息が出来ない状態が続く。
「見えなかっただろうが、俺の全開でルシエルを投げ飛ばしたんだ。徐々に鍛えるつもりだったが、お前が死んだら元も子もないからな」
「・だ・だ・・も・やり・方があるでしょう」
「あん? だからバリアを掛ける時間を与えただろう? 世の中には、不意打ちってもんが存在するんだぞ」
「それは、そうでしょうけど」
「今までやってきたのは訓練だ。死なないし、ダメージもそこまでなかっただろ? でも今日からは、それに痛みも加えていく」
えっ? 今までも痛みはありましたよ? 何故急にこうなった? もしや…
「・・・そんなに状況が悪いんですか?」
「いや、全く」
ブロド教官は首を横に振った。
「はっ? だったら何で?」
「この一年間で、身体の土台は出来上がった。下手な癖もない。 天賦の才はないが、努力を継続することは出来る。そんな素材があったら、弟子にしたくなるじゃないか」
「まさか?」
「これからは俺の弟子として鍛える。あ、そうだ、俺が良いと言うまでステータスやスキルを見るのは禁止する」
「・・・何でですか?」
「数値だけを追いかける様になったら、強者の臭いを嗅ぎ分けられなくなるからだ」
「強者の臭いですか?」
「ああ。ステータスがいくら高かろうが、首と胴が離れれば人は死ぬ。今のルシエルでも、無防備な俺の首に、剣を突き刺せば、俺は死ぬ。ステータスに囚われた奴は、本当の窮地では役に立たなくなるからな」
妙な説得力があった。
「・・・分かりました」
「今度は不意打ちをしないでやるから、きちんとバリアを張れ。そしたら戦闘を始めるぞ」
「はい。宜しくお願いします」
「対面している敵の身体の全てに意識を集中しろ。目でフェイントを仕掛けたり、重心でフェイントを仕掛ける奴もいるが、今のお前の技術ではフェイントすら分からないだろう」
「まぁ自覚はあります」
「最初は相手の動きを捉えろ。次に防御、受け流し、回避と段階を踏んでいく」
「今までやってきたことと一緒ですね」
「そうだ。だが、威力も速度も別物だ。それにフェイントを入れる」
「分かりました」
「慣れてきたら、俯瞰して自分と相手を想像しながら戦えるようになってもらう」
「達人の域じゃないですか!!」
「最初に言っておくが、逃げ出さないことを祈ってるぜ」
「・・・善処しますよ」
「普通そこは耐え抜いて見せますだろ? そういうところは本当に生意気だな」
「世の中には、絶対ってことはないのですよ。ブロド教官」
「・・・全力で行くから潰れるなよ。じゃあ頑張って耐えろよ」
「生意気言ってすみません。普通からでお願いします」
「・・・・。」
次の瞬間、五メートルは吹き飛ばれた。俺は気絶させられることもなく、ここから一時間、ずっとサンドバック状態になるのだった。
「良し。今日の特訓はここまでだ。この後はいつも通りの訓練で、体術、剣術、盾術、槍術、弓術と扱いていくからな」
「・・・りょ・う・・かい・で・・」
俺は前のめりに倒れたが、十五分後に水を掛けられて起き上がり体術の訓練を開始した。
「こういう基礎が俺を強くするんだ。基礎を徹底的に鍛えるんだ」と同じ言葉を呪文のように俺は何度も呟き、その言葉を聞いた冒険者達が基礎訓練をし始めたことでメラトニの冒険者達は強くなっていった。
週六日のこの世界で、光の日と風の日を体術戦闘。火の日を剣術と盾術。水の日を槍術。土の日を投擲と弓術。闇の日を勉強と魔法訓練日に割り当てられ、訓練していくことになった。
剣術と槍術の時は、戦闘中に切り傷で身体中が血で染まるが、流石にこの時はヒールを自分に掛けることを許された。初めて自分に魔法を使い、魔法の効果を実感した俺は此処から急速に魔法の理解を深めていく。そんな副産物を得ながら成長していった。
その頃、ボタクーリといえば報告書を読んでいた。
報告書 ルシエル 職業治癒士 年齢16歳
無知な村民だった彼が昨年、成人の儀で職業治癒士と聖属性魔法の適性を得る。
その後、6の月17日にメラトニを訪れて聖騎士ルミナ案内の下、治癒士ギルドに登録。
当初、ヒールすら使用することが出来ずにいたが、七日間ギルド宿舎に留まりヒールを習得する。
その後、治癒院ではなく冒険者ギルドへ赴き、何故か体術の訓練に勤しみ始める。
武術の稽古を一時間つける対価として、一時間銀貨一枚で常駐することとなり、それから一年間欠かさずに武術の稽古に明け暮れる。
今年のカード更新時に、聖属性魔法のスキルレベルがⅤに上がっていたことから、体術で怪我を負いながら自分に魔法を掛け続けたと思われる。
その証拠としてゾンビ治癒士、ドM治癒士、治癒士のドMゾンビという二つ名が影で囁かれている。
友好関係はギルドマスターを筆頭にギルド職員と冒険者だが、人付き合いよりも鍛錬を優先するため深い関係のものはいない。
但し、冒険者ギルド並びに冒険者達からの信頼度は絶大で、無理なことでなければ大半が彼の依頼を受けると思われる。
治癒士ルシエルの治療費だが、驚くべきことに彼が料金を設定することはなく、一律銀貨一枚の報酬となっている。
理由として、治癒士ルシエルは冒険者ギルドを住まいにしていることは雇われ始めた経緯が強く関係していると思われる。
報告書に目を通したボタクーリはワナワナと震え出したと思ったら、報告書を丸めて地面に叩きつけて踏み潰した。
「銀貨一枚じゃと、ふざけるな!!こんな奴がいるから他の治癒士が、この私が、金にがめついと思われるんじゃ」
ボタクーリはルシエルの治癒に対する金額設定が驚愕の安さだったことに苛立っていた。
「折角天に愛されてもらった才能を使うのに、裕福を望んで何が悪い。偽善者が!!」
何度も何度も報告書を踏み潰して、ボタクーリは「はぁはぁはぁ」と息を切らしながら机に座ると一通の手紙を書いた。
「おい。これを治癒士ギルド長に、あとこれも渡して来い」
「わかりました」
手紙には聖シュルール協会治癒士ギルド メラトニ支部に所属する若い治癒士が無茶苦茶な金額で治癒しており商売の邪魔になっている。
但し、有能なようなので契約期間が終わったら、どこか遠くへ出来れば本部に移動させて欲しい。
この金を預けるから、渋った時には魔法書を渡して命令を出してくれと書かれていた。
「これならば私が異動させたと分かっても悪評にはならないだろうな。くっくっく。あんなはした金で評判が善くなるなら儲けものだ」
こうしてボタクーリは一年間ルシエルの行動を黙認し我慢することにした。
この判断が後にボタクーリ自身の命運を左右することになろうとは、今はまだ想像することさえ出来なかった。