イベント乗っ取り
「スジがいいなあムトウは。本当に初めてなのか?」
放課後の剣道部道場で、お試し的に素振りをやらされている俺と、指導してくれている倉。
褒められるのは純粋に嬉しい。リアルではそうそう機会はなかったし。この世界で与えられた、運動神経と筋肉に感謝する。
なし崩し的に剣道部の入部届を提出するハメになったときは、「あとで『合わなかった』とか言ってこっそり退部すればいいか」と思っていた。リアルでもそんな感じで適当に部活をやめたという、立派な経験値がある。(立派?)
でも今は、他に特に入りたい部があるわけでもないし、しばらくこのままでいいかという気持ちになっていた。
それに、剣道が出来るのって普通にかっこいいんじゃないだろうか。
今野さんが悪漢に襲われたところに颯爽と現れ、近くにあった適当な棒状の物を手にして立ち回る姿を妄想する。
わくわくしてきた。そんなイベントのひとつやふたつ! お願いします! あきらかに剣道の動きではないものまで都合良く夢想しておきながら、どこかのゲーム制作者に向かって祈る。
あれ、でもそういうのは暴力事件的な問題になるのか? 剣道部に迷惑をかけてしまうのは困るな。俺だけ責任を取って退部と言うことでなんとかならないかな?
「……ムトウって面白いなあ。ニヤニヤしたり急に真顔になったり」
倉が見ていることを忘れていた。咳払いをして誤魔化す。
「とにかく、部員が少ないんで、仲間が出来て嬉しいよ! これからよろしくな!」
倉の汗だくの太い腕が自分の肩に絡んできて、一瞬「うわっ」と身体をこわばらせる。
あれ……?
なにこのさらさら感……? さわやかでフルーティーな香り……?
すごいな、乙女ゲーはこんなでかい男の汗の質まで変えてしまうのか!
これなら胴着の臭いも安☆心じゃないか! よく出来ているな!
変な感動をする俺だった。
帰り道、倉とファストフード店に寄った。
追試対策を教えると、とても感謝された。
一日で友情度が爆上げだ。
身体を動かしたおかげかぐっすりと眠ることができ、翌朝もすっきりと気持ちよく目覚め、さわやかな気分に満ちて登校した。
これぞ、リアルではかなわなかった、健全な高校生活だ!
教室に入り、習慣で真っ先に今野さんの席をチェックする。彼女はすでに来ていて、難しい顔をしてノートを見ていた。
3秒考えてから話しかける。
「おはよう、今野さん。何かあったの?」
「あ、おはよう、武藤くん。あのね……。わたし、今日、英語、追試なの……」
そう言って今野さんは、恥ずかしそうにノートで顔を半分隠した。
彼女の言葉が脳に到達して状況を理解するまで、5秒かかった。
え。あれ?
今野さんも追試?
俺は昨日、下校時間まで部活に参加して、しかもそのあと男の勉強を見てしまったんですけど?
「昨日、放課後に教室でうんうんうなってたら、古波鮫くんに見られちゃって。そしたら少し勉強見てくれたんだけど」
しかも他の男にイベント取られてるんですけど!?
さわやかな気分は一瞬で全て吹き飛んだ。
しくじった。やってしまった。部活なんてしている場合じゃなかった。
せっかくの、この世界で与えられた高い学力を生かせるイベントをスルーしてしまった。
野郎に褒められ、野郎と過ごし、野郎と親密度を上げて野郎と青春しているくらいなら、その時間で今野さんストーキングをしていた方が有益だった……!
選択ミスとしか言いようがない。これはもう、今日中にでも退部届を出さなければならない。
「古波鮫くんの教え方、すごくポイントをおさえていてわかりやすかったよ」
「そうなんだ……」
あからさまに低いトーンで答えてしまう俺。
俺もそんな風に、今野さんに感謝されたかった……。
「古波鮫くんって、ほんと、すごくかっこいい声だよねえ。私、なんかぼんやりしちゃって」
今野さんの口から、俺を褒める言葉を聞きたかった……。
もういい。それ以上、やめてくれ。
「そのせいなのかな、最後の方、ちゃんと聞けていたかどうかわからないの」
そうか、聞けてないか……。
……あれ?
「一応、昨日の夜も登校中も一生懸命見直したんだけど……。うう。せっかく教えてくれたのに、追試でいい点取らなかったら、古波鮫くん、がっかりするかなあ……」
ぎゅっと拳を握る俺。じわっとした手汗を感じる。
もしかして。
勉強イベント、終わってない?
まだ行ける?
「で、古波鮫は? 今は?」
「もう学校に来てはいるみたいだけど、忙しいみたい」
ドキドキしながら、勇気を振り絞って言ってみる。
「あ、あの……俺に答案、見せてくれない?」
「えっ……?」
「い、いやならいいけど。でも俺、結構頭良かったりするから」
「????」
今野さんはきょとんとしている。もっとちゃんと言わなくちゃ駄目か。
「満点なんだ」
「うわあ、すごい……!」
そうじゃなくて! 俺も今野さんも!
ていうか俺、うっかり満点アピールしすぎだろ。どれだけリアルで満点に飢えてたんだよ。
でも、自分に向けられた、今野さんの「すごい!」の顔。
その、彼女がする中で一番好きな顔に後押しされるように言葉がこぼれ出てきた。
「だから、よければ、教えてあげるよ」
そこまではっきり言って、ようやく今野さんは理解したようだった。おずおずと、ノートに挟んであった答案用紙を渡してきた。
次の日。
ひとりでトイレに行った帰り、教室前の廊下で、今野さんが古波鮫にお礼を言っている姿を見た。
古波鮫は眼鏡を光らせながら満足そうに頷いていたので、きっと、彼の好感度を大きくあげることが出来たのだろう。
めでたしめでたし。
って結局、他の男とのイベントを成功させるサポートをしただけだったのかよ。
自分の席に戻り、机に顔を伏せ、うめく。
むなしい。
いや、それも違うかもしれない。はっきり言って、俺の教え方は上手くない。それは、焦ると要点を得ない話し方をしがちなことでもわかる。昨日、今野さんの勉強を見ながら、勉強が出来るかどうかと指導に向いているかは別問題だということを痛感した。倉も今野さんも俺の説明を粘り強く聞いてはくれていたけれど、実質なんの役にも立っていない可能性はある。「俺の学力が生かせるイベントだ」なんて、思い込みにすぎなかったのかもしれない。
そんなことを考えていると、頭上で小さくパン!と何かの音がした。顔を上げると、視界に英字が拡がっていた。
「勝訴!!」
「えっ」
今野さんが、答案用紙をなぜか上下で持って広げていたのだった。
「えへへ、やってみたかっただけ! ありがとう、おかげで満点だよー。武藤くんのおかげで、自信を持って受けられたよ!」
ぴょんぴょんと軽く跳ねる。一緒にボブも揺れる。
今野さん、本当に嬉しそうだ。自分の行為にどれだけ意味があったのかはわからないけれど、こうやって感謝されると、やっぱり勉強を教えてあげて良かったと思う。
「合格だ! ありがとう、武藤!」
ギリギリ合格点の答案を誇らしげに持って、倉が割り込んできた。
それは良かった。うん。でももうちょっと二人の世界に浸らせてくれないだろうか、倉……。
「倉くんも、武藤くんに勉強教えて貰ったの?」
「そうだ! 武藤はいいやつだ! 一生懸命教えてくれた!」
うっ。
目をキラッキラに輝かせてそう言う相変わらずの彼のまっすぐさに、邪魔者扱いした自分が恥ずかしくなる。
「二人、仲が良いんだねー」
「同じ部だからな! 一昨日からだけど!」
しかも昨日は二日目にしていきなりサボったから、一日だけだけど。
「武藤くん、剣道部に入ったの?」
「う、うん……」
やめようと思っているけれど。
「そっか! きっと似合うねえ!」
似合うねえ!似合うねえ!似合うねえ……!
今野さんの言葉が、脳内でリフレインする。
「今度、練習しているところ、見ていい?」
「えっ? い、いや、まだ本当に始めたばかりで何も……そんな見るものは……」
「そっか。……じゃあ、見ていいことになったら教えてね!」
笑顔を向けられ、ときめきに打ち震える俺。
これはもう、しばらく退部届は出せないな。むしろ出す理由なんてないな!
しかし、衝撃的な言葉が続いた。
「倉くんは、全然見せてくれないんだもの。約束したのに」
約束?
約束????
「ごめん。俺が見学者を呼ぶのは、部長に禁止されたんだ。きりがないし、気が散るって」
「倉くん人気者だものね……女の子、たくさん来ちゃうかあ……仕方ないね」
そうだ。
していた!
俺が見た、倉と今野さんの「出会い」のシーンが蘇る。
登校途中の今野さんが、ノーリードの危険そうな大型犬に出会って。そこに通りがかった倉が、竹刀に犬をかみつかせて上手く捕獲して。そして、二人は……。
そう。「悪漢相手に大立ち回り」までは中二病全開じゃないけど、剣道部を生かしたかっこいい守り方を、すでに倉は今野さんにしていたのだ。
そのとき俺はどうしていたかって? ビビって影からこっそり見ていたんだよ!
「剣道部に入るのなら、問題はないぞ!」
「ごめんなさい、ちょっと無理……」
「うん、わかっている。前にも聞いた」倉が俺を見る。「でも、武藤が呼ぶのはまだ禁止されてないから!」
うっ。はい! わかりました!
外堀を埋められ、退部という道が断たれていく。
はあ。牽制どころか、アシストかもしれない役回りばかりな気がするんだけど。なんだこれ……?