卒業
揺れは続いている。
周囲の景色はまるで書き割りのようにばらばらに崩れて、その破片は集まりうねり大きな渦となった。
生徒たちは次々とそれに巻き込まれて消えていく。
「倉! 紅谷!」
そして。
「璃子……! 璃子――!!」
俺は必死に彼女の名前を叫び、手を伸ばす。しかしそれは届かず、彼女も渦に呑み込まれて目の前から消えた。落ちてきた赤いリボンを掴み取るも、それは手の中で粉々になって、同じく渦に吸い込まれていった。
俺と同じように、なぜか呑み込まれない生徒もごく少数いた。しかしその一人である一彦は、
「あれ? なんだこれ?」
そう言って目が覚めたような顔をして、その場でふっとかき消えていった。
残りの生徒たちも次々と消滅し、最後に残ったのは――。
「って、なんで”ソーマくん”は消えないの!?」
羽原と俺だった。
「なんでって……羽原さんが何かしたのか!? みんなを返せ!」
俺は思わず羽原につかみかかった。
「高校生活が終わったんだから、このゲームにこの先はないわよ!」
終わった?
渦の力で羽原の制服が大きくはためき、彼女のへそピアスが光る。俺の髪の毛も持ち上がり、軟骨部分のピアスがあらわになる。
「羽原も向こうから来ていた人間なのか……ただの同一存在じゃなかったんだ」
「ソーマくんもリアル世界の人間だったんだ。”武藤蒼馬”なんて、クラスにいたっけ?」
そこからかよ!
まあ俺みたいな地味な存在、名前もあやふやだったろうし、見た目まで変わっていたらわかるわけがないか。それに、
「俺も羽原の存在は知っていたけど、名前は覚えてなかったしな……お互い様か」
「だって私、羽原なんて名前じゃないもの」
「え?」
「今野璃子よ」
え?
は?
「え……? 羽原が今野璃子なら……。璃子は?」
「名前設定のないヒロインキャラ?」
はあ!?
待て待て待て。
つまり……。
「羽原が、プレイヤー?」
彼女はこくんとうなずいた。
「待て。確認するぞ。”今野璃子”は、羽原の名前だったんだな?」
「……私、本名プレイ派だから」
本名プレイ!!!!
「じゃあ、羽原美鳥は?」
羽原は、顔を赤らめ、うつむきつぶやく。
「……ペンネーム……」
ペ……ペンネーム!!!!!
衝撃的な告白が続いてくらくらする。
「え? ペンネームって……どこで使ってたの?」
「ブログにこっそり自作小説を載せたり……。もう、いいじゃないそんなことは!」
羽原は耳まで真っ赤になっている。
俺がリアル世界で彼女を「羽原」と呼んだとき、なぜあそこまで怯えたのかがわかった。
そりゃあ、よく知らない男子生徒に突然ヒミツのペンネームで呼ばれるなんて、恐怖でしかない。
”古波鮫叡”とかそんな名前の奴らばかりの世界だから気付かなかったが、”羽原美鳥”なんて、確かにちょっと出来過ぎな名前だ。
そうか。ここは、コンノリコがプレイする乙女ゲームの中だったのか。
あの海の日、ラッシュガードの下にあったのは、このへそピアスで。
羽原と璃子の誕生日は同じ日で。だからあんな言い方をして。
そうか。
さまざまなことが一気に呑み込めてきた。
「もう、何回目かなあ。このゲーム。攻略キャラは宗形くん以外は結構入れ替わるのよ」
「なんでうば……ごめん、混乱するから羽原でいいかな、羽原さんはどうやってこの世界に来たんだ?」
彼女はあきらめたように俺の問いに答え始めた。
「直接のきっかけはわからない。好きなキャラを壁紙にしたDSPを抱いて寝てたのよ。で、朝になったらお腹の下で壊れてて」
俺より酷いシチュエーションな気がするぞ。
羽原の話は続く。
「なんか入学式に戻ってるし、別の女の子も操作できるようになっていたし。一周目はよくわからないことも多くて、失敗も多かったけど」
「……そもそも羽原さんは、ゲームの世界に来たかったの?」
彼女は視線を逸らし、ぽそっと言った。
「乙女ゲーのヒロインになりたかったから」
「わからないなあ。俺はリアルでパッとしなかったけどさ、羽原は美人だしスタイルも良いし、成績も良くて友達もたくさんいて。なんの不満があったんだよ」
「ヒロインみたいな可愛げはないし……。それに私は、基本スペックがいいだけで、頑張れない人だから。小器用でなんでもある程度出来るけど、出来る範囲のことしかやらないの。受験で親や教師やらにいろいろ期待されているうちに、もうなんか全部いやになっちゃって」
出来る人には出来る人なりの悩みがあるんだなあ……。
コンノリコは、イケメンたちにちやほやされるシチュエーションではなく、くじけず明るく頑張る可愛いヒロインそのものに憧れたのか。
「……ソーマくん、まだ消えないの? ここにいたい気持ちが強いのね」
この世界オリジナルの人間と、リアル世界にもいた人間。
選出はてっきりランダムだと思っていたが、そんなことはなかった。
きっと、ゲーム世界に行きたいと強く願ったものたちだけが来たのだろう。
そしてその思いが強ければ強いほど、この世界で大きな力を持てたのだ
一彦はそれが軽かった。だからゲーム世界における存在や、彼の持つ記憶もふわふわしていた。あいつよりは俺の方がこの世界を求めた。そして、羽原は……俺と同じくらいか、もしくはそれ以上だ。
スペックは願ったように変更が利くが、性格や思考は変えられない。そこまで矯正したら、もはやその人そのものが消えたようなものだからだ。
もともとスペック的に恵まれていた羽原は、そこに新たに求めるものはなかった。ただ、乙女ゲーのヒロインのような性格になりたいとだけ願っていたのだ。しかし性格を変えることは不可能だったため、願いの強さで彼女はプレイヤーも兼任した。
普段は別の人間として暮らしているが、選択が必要なシーンでは意識が繋がり操作ができ、また、重要なシーンも体験できているという。
あれもこれも羽原に見られていたかと思うと、顔から火が出そうだ。
「まあたまに『なんでここで選択肢ないの!?』とか『なぜこれ気付かないの!?』とか思うけど」
「わかる」
ギャルゲーをプレイしているときの、「なんでこのプレイヤーキャラ、女の子たちが好意を告げている言葉だけ聞こえないんだよ…」的なシーンの数々が頭をよぎり、深く同意する。
「この世界は高校の三年間を繰り返すの。何度も何度も。永遠に。卒業式までにカップルとして結ばれても、またすぐに高一の4月に戻る。そしてヒロインは入学式の日に電車内で宗形くんに会い、途中で謎の美少年とぶつかるの」
「でも、俺を選んでくれたんだ」
「……まあね」
「……あっ乙女ゲーやる人ってことは、俺の見た目が”サガラサマ”っぽかったからとかそんな理由じゃないだろうな」
「私、相楽様派じゃないもの! まふみ担だから!」
「そのキャラ知らないよ!」
「あのねえ。相楽様は独特のしゃべり方とか王子様キャラがネットでネタにされがちだから目立つし一般知名度もあるけど、実際は二番人気で、普通に一番人気はまふみだから」
そうなのか。
羽原による、”まふみ”とやらの魅力についてのマシンガントークはとまらない。
ていうか、羽原、ほんとにオタクなんだな……。
あの、「全然違う世界にいる」と思っていたリアル世界での学校生活の時点から、俺と羽原の世界はつながっていたんじゃないのか? そんな風にも思える。
「じゃあなんで選んでくれたんだ」
「……今回の謎の美少年、”ソーマくん”、不器用でヘタレだけど、なんか一生懸命でほっとけなかったから」
「一生懸命キャラに弱かったのか」
「そうよ。『なにこの一生懸命カップル、可愛い』って。そう思ってたの」
なんだか恥ずかしいな。
照れ隠しに眼鏡を直そうとして、自分の手が透け始めていることに気付く。
世界の巻戻りと異物の排除は続いているんだ。
羽原に異変は見えない。強い。
「もしかして、璃子は宗形と付き合ったこともあるのか?」
「そりゃあるわよ。メインだもん、とりあえず落とさないと。良かったよ? シナリオ」
「聞きたくないよ! なんだよ、璃子は俺のだよ! 何すんだよ!」
自分で聞いておきながら、嫉妬のあまり逆ギレする俺。
「あんまり璃子璃子言わないでよ……。そういうゲームなんだから、仕方ないでしょ?」
「羽原さんだって、その”まふみ”とか言うやつが実際にいたとして、自分以外と付き合ったらいやだろう?」
「別にリアルで付き合いたいタイプじゃないし。二次元だからいいって言うか」
なんだと!? くっ、オタク同士なのに話が通じない。
「と……ともかく、今後は無しだ! ”今野さん”は、俺以外攻略したくない、何度プレイしてもつい俺のルートに入ってしまう。そういう風にしてやる!」
「それは……つまり、私にあなたを毎回選ばせるってことなんだけど」
「そ……そうだ! 選ばせてみせる! 落とさせてみせる!」
まずい。だんだん目も見えなくなってきた。
「ゲームでそんな必死なのってどうなの……ソーマくんってリアルでどんな感じなのよ」
「俺の大切な世界なんだよ! ていうか、お前がゲームの世界を馬鹿にするなよ!」
確かに俺は最初、リアルに絶望してこちらに来たいと願った。ただの逃避だった。
ゲームは所詮ゲームでしかないかもしれない。でも、逃避以上のものは決してないとは思いたくない。
残りの力を振り絞り、やけくそのように叫ぶ。
「わかった。両立してやる。ゲームの世界も。リアルの世界も。俺は、どちらもハッピーエンドにしてやる!」
「……変わったね、武藤くん」
そうだ、俺は変われたんだ。この世界で。
性格や思考は、自分の力では変えられるんだ。
最後に見たのは、羽原の優しそうな口元だった。