文化祭
今朝はラッキーだ。登校の途中で今野さんに会えたから。
とは言え、彼女は俺が挨拶する間もなく走り抜けていったけど。
「どうしたんだろう……」
呆然と突っ立っていたら、羽原に見つかった。
「璃子ってば、ダイエット兼、冬のマラソン大会に向けて走り込みだって」
「今から?」
「付け焼き刃じゃ意味がないと思っているんでしょ。あの子は努力できる子だもの。だから好き」
そうだ。今野さんは、ただヒロイン力でイケメンたちにちやほやされているだけではない。勉強からオムレツに至るまでさまざまなことを、いつもとても全力で頑張っている。ああしていつか、ハイスペックイケメンたちに完璧に釣り合う女性になるのだろう。
俺はどうだろうか。
そんなことを考えていると、見知った顔が横を通り過ぎていった。
木南一彦だ。
リアル世界に戻った夢を見たあの日以来、彼のことが気になって仕方がない。
……夢? それとも夢から覚めたのか? どちらにしろ、あれは本当に恐ろしい体験だった。
とにかく、この世界の木南とは、入学早々に気まずいやりとりをした後はほとんど交流を持っていないままだ。
そろそろ前に進もう。
第一、俺にはまだまだ友達が少ない。
昼休み。
一彦に声をかけて、校舎裏の木陰に来た。人目を避けて食事をしていた頃に見つけた場所だ。
「こんなとこあったんだ」一彦はきょろきょろとあたりを見回している。「で、話ってなんだよ」
いぶかしげな目でこちらを見る。
会話のきっかけづくりには毎回困っている俺だが、今回ばかりはアドバンテージがある。
俺はこいつのことを”知っている”。どんな人間で、何が好きで、何が地雷か、全て知っている。
ただ、張り詰めた空気に長く晒されることに耐えられない俺は、いきなり切り札であろうワードを使って突破口を開くことにした。
一歩間違えると俺のポジションが崩れてしまう、禁忌の呪文だが……。
一彦の耳元で、ささやく。
「『とくラブは現実』」
一彦は黙っている。
やがてその顔から警戒の色が消えた。
「……え? 武藤って……こっち側の人間? 俺ら側の人間?」
そう。
色んな意味で「同じ世界」の人間だよ!
とくラブ。
俺達の間で神ゲーとして崇められていたギャルゲーのタイトルだ。
一彦から反応が返ってくるまでは、「もしかしてとくラブってこの世界にないのか?」と焦ったが、杞憂だったようだ。
一気にたたみかけることにする。
「俺、ゲームの話とかする友達とかいなくてさ。前に、かずひ……木南がプレイしているのみかけて……」
「マジか―。武藤ってとくラバーかー」
とくラバーとは、とくラブ愛好者のことだ。
「あっで、でも、ギャルゲーやってることは、他の人にはヒミツにして欲しいんだ」
「いいぜ! いやーとくラバーかー」
にやにやと嬉しそうに繰り返す。すでに過去は水に流されたようだ。本当にオタクって、自分と同じものが好きな人間に弱いし甘いよな。
「で? 誰派?」
「本命は桃乃かな~。ちゃなとかも可愛くて捨てがたいんだけど。あのめんどくさい感じが」
さりげなく一彦が好きなキャラのことも褒めておく。
「ちゃないいよな! ツンデレ最高! お前は桃乃派かー。王道だな」
「普通に可愛い子が好きなんだよ! 桃乃が現実にいればと何度思ったことか……!」
「は? リアルだし。いるし」
真顔で返される。
「そ、そうだったな! 『とくラブは現実』だしな!」
「なんてな。武藤はそこまで入り込んでないか」
いたずらっぽく笑う一彦。
そんなことはない。リアル世界でのギャルゲー本気度を比較するなら、一彦より俺の方が何倍も真剣で廃人でヤバかった。
和やかな雰囲気に任せて、この機会に聞いてみたかったことをたずねる。
「木南……お前さ……。ギャルゲー世界に行けたらって思ったことはある?」
「そりゃあなくはないよ」
あっさりと返ってきた答えに安心する。
「だよなあ。可愛い女の子たちとあれやこれやしたいよなあ」
「いやいや。俺はモブで十分だよ。ちゃなと同じ世界の空気を吸えるなら!」
今まさにゲーム世界でモブをやっている人間に、メタな発言をされてしまった。
一彦は急にはしゃぐのをやめ、俺を上から下までなめるように見てきた。
「武藤ってさ。コスプレとかしないの?」
なんでオタクって、見た目がいい人間を見るとすぐコスプレとか言い出すんだ。人のことを全く言えないけれど。
「したことはないなあ。したいと思うほど好きなキャラもいないし。『とくラブ』にも男キャラっていないじゃん。プレイヤーの男の容姿すら不明で」
「『とくラブG』の”相楽様”がぴったりだよ!」
「Gって……女の子向けの方か」
サガラサマは超有名な乙女ゲーのメインキャラということもあって、俺でも見聞きしたことがある。確かに俺と同じ系統のイケメンな気もしなくもない。
「でもコスプレなんてやる機会もないし」
「文化祭でやろう! 何を着てもいいらしいし」
「学校で!? 俺はオタバレしたくないんだよ」
「今どき、イケメンがオタクカムアウトしても、好感度があがるだけだと思うけどな。ま、変なキャラがつきたくないのなら、『俺はよく知らないんだけど、木南のやつに無理矢理やらされて困ってるんだ』みたいな態度でいればいいよ」
それはとても甘美な香りのする誘いだった。せっかくスタイルの良いイケメンになれたんだし、一度くらいコスプレしてみたいのは本音だ。
文化祭当日が来た。
一彦の姉が張り切って作ってくれた衣装を着る。
真っ白な服に、勲章みたいなものがたくさんついている。きらきらして結構派手で、ちょっと恥ずかしい。
サガラサマは、学校ではその整った顔に眼鏡をかけてオーラを消しているけれど、実はどこかの国の王子様という設定らしい。相楽というのも偽名だとか。すごいキャラだな。
マスコットキャラ的な着ぐるみを着た一彦と一緒に廊下を歩いていると、早速、紅谷がめざとく気付いて食いついてきた。
「ソーマ何そのかっこー?」
「王子様コス」
「何それウケる」
その後も次から次へと女の子たちがやってきては、俺と一緒に写真を撮りたがった。
黙っているだけで、こんな近くに女の子たちが寄ってくる。場合によっては密着する。なんて天国だ!
コスプレしてみて良かった。
一彦も俺のついでに女の子たちにいじられて、まんざらでもないようだ。
「やっぱり武藤、ハマってるよ。王子様って感じだもん。そりゃ女の子たちもおおはしゃぎだよ」
「みんな俺たちがなんのキャラかわかっていないみたいだけどな」
「まあいいじゃん。俺らが楽しければ」
リアル世界で一彦と二人でオタク談義に没頭していた記憶が蘇る。もう大分昔の事みたいだ。
何気なく人だかりの向こうに目をやると、目を丸くしてこちらを見ている羽原がいることに気がついた。
このノリにひいているんだろうか?
「……さがっ……」彼女は何かを言いかけてやめた。「どうしたの、その格好」
「木南のやつに着せられた」
「そう……。似合ってるじゃない」
「ありがとう」
「璃子なんて見とれちゃってたいへん」
羽原の後ろには、今野さんが隠れていた。
初めて会ったときみたいに、潤んだ瞳と紅潮した頬をして。
やっぱり、可愛い。
なぜリアル世界に帰りたくないのか。
なぜあの夢があんなに恐ろしかったのか。
確かにあの世界での生活はつまらなかった。ぱっとしなかった。やり直したくて、ゲームの世界に行きたくてたまらなかった。
でも、そこまで絶望的でもなかったのではないんじゃないか。こうやって一応、好きなことで盛り上がれる友達だっていたんだ。
でも。
今の俺にとってあそこは、「好きな女の子がいない世界」なのだ。
だから、戻りたくないんだ。
ボール紙で出来た王冠を今野さんの頭に被せると、彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。