水着イベント/後編
みんなで遅めの昼食を取ったのち、海デートイベントは後半戦に突入した。
紅谷が「もうちょっとだらだらしたい」と荷物番を申し出てきたので、残りのメンバーで海に入って、ビーチボールを投げ合う。
羽原は相変わらずラッシュガードを着たままだ。最後まで脱がないつもりなんだろうか?
「なに?」
俺の視線に気付いた羽原が、ボールを手にしたままいぶかしげに聞く。
「いや……それ、脱がないのかなって……」
うっかりずいぶんはっきりと言ってしまった。セクハラだろうか。
「日に弱いのよ。綺麗に焼けるならともかく、赤くなって痛いの」
乙女ゲーの登場人物も、海に入るときまでそんなことを気にするのか。それにしては無骨だ。一応、彼女のラッシュガードは、ドット柄が入っていたり、ちょっとパーカっぽくなっていたり、可愛い感じの作りではあるけれども。
「……」
羽原は倉にボールを投げ渡し、無言でファスナーを下げ始めた。胸元が見え、白いお腹が……。
そこで、とめた。
「やっぱり前を開けると、水の中で動きづらいな」
そうぼやく羽原に、宗形が、
「だったら完全に脱げばいいじゃないか。脱ごう!」
躊躇のない直球過ぎる発言をした。俺はセクハラかどうかと迷ったのに……と思っていると、ラッシュガードの中で何かがきらりと光った。
「って、武藤くん、のぞかないでよ」
「し、仕方ないだろ、身長的に横からこう見るとさ……!」
今野さんの前で人聞きの悪いことを言うのはやめてくれ!
とても焦るが、しかしその今野さんは、
「でも美鳥ちゃんのラッシュガードいいよね~。私もそういうの欲しかった。日焼け止めを全身に塗るの面倒くさいもん」
などとのんきに言う。途端に、ボールが今野さんの頭に当たり、倉と彼女の二人で続けられていたリレーが終了した。
「ごめん今野!」
「ううん、よそ見したから……。そういえば、ソーマくんたちもあんまり焼けていないね」
確かに俺は普段からろくに日焼け止めも塗ってないのに、肌の色が変わらない。日焼けするようなキャラじゃないということだろうか。倉はもともと健康的に少し焼けているような肌の色だが、それもいつも以上には濃くなっている様子もない。
でも、今野さんに身体をまじまじと見つめられると、体中が火照り真っ赤になっている気がする。日射しより強力な視線。キミはまるでボクの太陽だ。なんて。いや嘘。いまの無し。サムかった。
ていうか、それよりも。
「”ソーマくん”?」
「あっ。麻未ちゃんがいつも『ソーマ』って言っているから、うつっちゃった。ごめん、いやだった?」
「そんなことはないけど」
むしろ、事故でも好きな女の子に下の名前で呼んで貰えるなんて、こんな僥倖はない。ありがとう紅谷、馴れ馴れしく俺を呼んでくれて。
「……嬉しい……よ……今野さんがそう呼んでくれるの……」
研究し尽くしたちょっとかっこいい角度でキメて、好意をほんのりアピールしてみる。さらに紅潮する。
「じゃあこれからもソーマくんて呼ぶね!」
さらっと受けられた。
前からうすうす感じていたけれど、今野さんはどこか鈍い。はっきりストレートに言わないと通じない。
人と話したりはしゃいだりすることにエネルギーをごっそりと持って行かれた俺は、再び荷物番をすることにした。
紅谷と羽原と宗形が、ひとつの小さなゴムボートを使って遊んでいる。元気だなあ。そしてよくこんな裸に近い格好で、男女でそんな風に近くにいられるなあ……。相変わらずの非モテ思考で、呆れているのか妬ましいのか羨ましいのかわからない感情で眺める。
倉はまたブイまで泳いでいる。もう何往復目になるのだろう。どれだけ体力が有り余っているんだ、そしてどれだけゴーイングマイウェイなんだ。
いや、今野さんも一人で泳いでいるなあ。海でクロールでガチ泳ぎなんて、泳ぐの好きだったのかな? ちょっとふらふらとしているけれど。でもなんで斜めに泳いでいるんだろう?
そこではたと気付いた。
個人行動をしているのではなくて、倉と今野さんは一緒に泳いでいるんじゃないのか。
今野さんは、自分ではまっすぐ泳いでいるつもりなんだけど、どんどん横に流されているのではないか。
いやな予感をさらに煽るように、今野さんの動きが何かおかしくなる。
どくん、と俺の心臓が大きな音を立てた。
皆は彼女の異変に気づいていない。俺だけだ。
俺は走り出し、そして、海に飛び込んだ。荷物なんて知るか! 懸命に水をかき分け進み、泳ぎだし、彼女の元に向かう。
少しずつ、彼女の水面から見えている部分が減ってくる。
今野さんが溺れている!
チャラ男ナンパといい、溺れるヒロインといい、なんてベタな展開が用意されているんだ!
そんなつっこみを入れる余裕もなく、俺は、今野さんの腕に必死に手を伸ばし、掴んだ。
二人で一度海中に沈み、抱き合う形になる。
全身の肌と肌が触れあう。
無我夢中で今野さんを抱えて泳ぎ、なんとか陸地にたどり着いた。
ビーチの端にある、人気のない岩場。みんながいる場所からだいぶ離れてしまった。
今野さんは最初こそ少しケホケホと咳き込んでいたが、特に身体に大きな問題はなさそうだ。
しかし、まさかの命の恩人的救出イベントがきた。
これはさすがに今野さんも、俺に落ちただろうか。期待はいやがおうにも高まる。
「あ……ありがとう……ソーマくん」
「大丈夫? 今野さん」
「うん。突然足がつっちゃって、びっくりしたけど……」
「こっちだってすごくびっくりしたよ」
「……あはは、そうだね。ごめんね」
今野さんが笑った。本当に大丈夫そうだ。
彼女の笑顔を見ていると、ときめきと切なさで胸が締め付けられそうになる。
彼女を落としたと言うより、俺が落とされているみたいだ。
救出したときの感触を思い出す。ゴムボートなんて目じゃない距離。
全身で密着したときめきも。彼女の笑顔も、感謝の言葉も。どれも俺を落としてきている。
いや、これは乙女ゲーなんだし、それで正しい。
問題は、もうすでに俺は何十回も今野さんに「落とされて」いることだ。すでに攻略済みたいなものなんだ。
でも、このゲームは終わらないのか。
どうすればいいんだ。
もう攻略手順なんてすっ飛ばして、俺が今野さんに「好きだ」って言えばいいのか。
……そんなこと、言えるわけないじゃないか。
大体、彼女が「俺ルート」に入っていなければ、例え告白したとしてもそれはストーリー上のただのスパイス一粒、イベントのひとつにしかならないんじゃないか?
見つめていると、今野さんは恥ずかしそうに目を伏せた。
「早くみんなのところに戻らなきゃ……。みんなが探しているかもしれないし」
水に濡れた髪と肌。唇。赤らんだ頬。
すごく綺麗だ。ずっと見ていたい。
俺は、勇気を振り絞ってこう言った。
「まだここにいたい」
まだ、今野さんと二人きりでいたい。
静かな空間に、遠くで人のはしゃぐ声と岩に波がぶつかる音のみが響く。
今野さんは一瞬の間ののち、「わかった」と真面目な顔でうなずいた。
俺を……受け入れてくれたのだろうか?
「じゃあ私だけ先に戻ってみんなを安心させるね。ソーマくんはゆっくりしていて」
違う!!!!!!!!!!!!!!!!
ようやく俺は確信した。
乙女ゲーヒロインていうのは天然で、スルー力がハンパなくて、一級フラグクラッシャーなんだ。
岩場に残された俺は、ひとりで呆然としていた。