子爵令嬢の(そのうち)友人
王宮で開かれる華やかな舞踏会。
絢爛な時間も終わりを迎え、招待客は会場から去っていく頃合いだ。
王宮の控え室にいるコルエン伯爵とバーンズリー伯爵も王都の邸へと下がらなければならないのだが、バーンズリー伯爵が憤りをあらわにしていて、人目がある室外に出れる状況ではなかった。
「私は自分の好きな女性を馬鹿にされて不愉快だ! 彼女のことを知りもしないのに、根も葉もない噂を並べ立てるなど、恥知らずな所行だ」
「ふーん」
「特にあの、リベルダート子爵令嬢は最悪だ。頭の軽そうな顔立ちで偉そうに私のフローラを貶したのだぞ!?」
「へー」
「君はさっきからどうしたんだ? 友人の話を真面目に聞いてくれないか」
「すまないな。不機嫌なんだよ……好きな女性が、根拠の無い思い込みで馬鹿にされているから」
幼少の頃から付き合いのあるコルエン伯爵だが、彼が不機嫌などという感情を持つことをバーンズリー伯爵は初めて知った。
いつだって飄々としていて、本心をなかなか掴ませない男である。ましてや、恋心など。噂話を愛する貴婦人たちが、何をおいても知りたいと望むだろう。
「うむ、愛する女性が傷つけられるのは男として耐えがたい事であるからな。ゆえに私もフローラの傷ついた心を想って憤慨したのであるし。他人を貶める女のせいで、お互い嫌な一日になってしまったな」
「いや、ちがう」
常の笑顔をどこに落としてきたのか、まったくの無表情でコルエン伯爵は自身の怒りを掻き立てた存在を見つめた。
「僕の婚約者であり、唯一愛する女性であるセリーヌを頭の軽そうな顔立ちなどと貶し、彼女の行為を他人を貶めるものと決めつけた。君のせいで、最低の一日になったんだ」
「なんだって!?」
目を白黒させる友人――だった男――に構わず、足早に控室を出る。突き進むように出口へ向かっていたが、違う方向へ歩き出したのは話し声が聞こえたからだ。
人目につきにくい通路の陰で、甲高い声が響いている。
それに相対するのは、コルエン伯爵の愛してやまない存在だった。
「ちょっとあんた、いーかげんにしてよね! わたしが下町にいたとか、そんなこと言いふらすなんてひどいじゃないの! これで変な評判が立ったらどうするのよ!」
「貴女が下町にいたことは事実だし、血縁関係のないロペス子爵の好意で教育を受けているのでしょう。子爵が外国へ商談に出ている間に社交界に出たりして、お付き合いなさっているバーンズリー伯爵はそのことをご存じなの? 子爵はたしか、貴女には教育を施した後に平民として生きるよう仰っていたはずよ」
「うるさいなあ! 目の前にお貴族様の生活があるのに、なんだって平民に戻らなきゃならないのよ。じいさんだって、養子のわたしが格上の伯爵を捕まえたんだから、文句なんて言わないわよ」
「……血縁関係のない、以前屋敷に勤めていた使用人の娘が路頭に迷うのは忍びないと、ありていに言えば同情で貴女を屋敷に住まわせているのよ。慈善行為の一環でしかないのに、養子縁組なんてするわけがないでしょう」
傲慢な態度を隠しもせずにセリーヌを怒鳴りつけていたフローラは、思いがけない事実にぎょっとしたように後ずさった。
「う、うそでしょう? だって、わたしは跡取りのいない子爵家の相続人だって、そう言われたのよ」
「誰がそんなことを?」
「だれって……」
おそらくは、ロペス子爵が屋敷を離れた隙に近づいた遠縁の者たちだろう。平民が貴族と偽って社交界に入り込んでいたとなれば、相当な醜聞である。子爵の地位や利権は剥奪され、残ったわずかな財産も遠縁の者たちがむしり取る筋書きに違いない。
お人よしなロペス子爵は、何も知らず、何もできないうちに自分の人生を脅かされているのだ。
「そんな、ばかな……」
途方に暮れた言葉は、目の前で言い争う女性たちのものではなかった。コルエン伯爵の後ろから聞こえてきたのである。バーンズリー伯爵だった。
よく通る声はセリーヌとフローラの耳にも届いており、セリーヌは呆れた顔を隠すように視線を外し、フローラは蒼白な顔色となって今にも倒れそうな風情だが、倒れたとして、誰が彼女を介抱してやるというのだろう。
今やフローラは警吏に突き出されるべき犯罪者なのだ。ロペス子爵令嬢を騙り、王宮の中にまでずうずうしく入り込んだ詐欺師。
巷で正義感溢れる紳士と評判の高いバーンズリー伯爵の瞳は、憤怒の炎を宿していた。
衝動のままに、数時間前は花びらにたとえた頬を殴ろうとした彼を止めたのは、コルエン伯爵と、その婚約者であるセリーヌだった。
「落ち着け、殴ってどうするというんだ」
「そうですわ、人目につかないところで穏便に事態を解決しようとしたのに、話も聞かずにこちらが間違っていると決めつけた方がそんなことをする権利はありませんのよ」
「セリーヌ、話がずれていないか?」
「なんにせよ、フローラ嬢のことが知られる前に、安全なところに連れて行って差し上げるべきですわね。本当は、バーンズリー伯爵にそのことをお任せしたかったのですが、この様子では無理そうなのでジョゼフ様にお願いしてもよろしいかしら?」
「ああ、もちろんだ。クレマン、お前の人を見る目の無さをとやかく言う気はないが、フローラ嬢一人を責めたところで、無関係のロペス子爵が苦しむことになるだけだ。この件は内密に処理して、表沙汰にはしない。文句があるなら彼女を焚き付けた者たちにでも言うんだな」
バーンズリー伯爵を一人残して、三人は去っていった。もっとも、フローラは呆然としている状態を腕を引かれるままに歩いただけであるが。
こうして、絢爛な舞台の上で一つの恋が失われたのだった。
~後日談~
「フローラ嬢、貴女ってとても逞しいのね」
「とーぜんでしょ! じいさんも喜んでくれたわよ。普通に街で働くより給料は高いし、周囲の評価もよくなるってさ」
「けれど、人目のあるところではその言葉遣いはやめてちょうだいね」
「まかせてよ! 堅物な伯爵様だって騙されるくらいの猫を飼ってるんだから!」
王宮で開かれた舞踏会より一月後、リベルダート子爵令嬢付きのメイドとして新しく雇われた女性は、ロペス子爵家の紹介状を携えたセリーヌだった。