反逆者の住処
ハジメは、体全体が何か温かで柔らかな物に包まれているのを感じた。随分と懐かしい感触だ。これは、そうベッドの感触である。頭と背中を優しく受け止めるクッションと、体を包む羽毛の柔らかさを感じ、ハジメのまどろむ意識は混乱する。
(何だ? ここは迷宮のはずじゃ……何でベッドに……)
まだ覚醒しきらない意識のまま手探りをしようとする。しかし、右手はその意思に反して動かない。というか、ベッドとは違う柔らかな感触に包まれて動かせないのだ。手の平も温かで柔らかな何かに挟まれているようだ。
(何だこれ?)
ボーとしながら、ハジメは手をムニムニと動かす。手を挟み込んでいる弾力があるスベスベの何かはハジメの手の動きに合わせてぷにぷにとした感触を伝えてくる。何だかクセになりそうな感触につい夢中で触っていると……
「……ぁん……」
(!?)
何やら艶かしい喘ぎ声が聞こえた。その瞬間、まどろんでいたハジメの意識は一気に覚醒する。
慌てて体を起こすと、ハジメは自分が本当にベッドで寝ていることに気がついた。純白のシーツに
さっきまで暗い迷宮の中で死闘を演じていたはずなのに、とハジメは混乱する。
(どこだ、ここは……まさかあの世とか言うんじゃないだろうな……)
どこか荘厳さすら感じさせる場所に、ハジメの脳裏に不吉な考えが過ぎるが、その考えは隣から聞こえた艶かしい声に中断された。
「……んぁ……ハジメ……ぁう……」
「!?」
ハジメは慌ててシーツを捲ると隣には一糸纏わないユエがハジメの右手に抱きつきながら眠っていた。そして、今更ながらに気がつくがハジメ自身も素っ裸だった。
「なるほど……これが朝チュンってやつか……ってそうじゃない!」
混乱して思わず阿呆な事をいい自分でツッコミを入れるハジメ。若干、虚しくなりながらユエを起こす。
「ユエ、起きてくれ。ユエ」
「んぅ~……」
声をかけるが愚図るようにイヤイヤをしながら丸くなるユエ。ついでにハジメの右手はユエの太ももに挟まれており、丸くなったことで危険な場所に接近しつつある。
「ぐっ……まさか本当にあの世……天国なのか?」
更に阿呆な事を言いながら、ハジメは何とか右手を抜こうと動かすが、その度に……
「……んぅ~……んっ……」
と実に艶かしく喘ぐユエ。
「ぐぅ、落ち着け俺。いくら年上といえど、見た目はちみっこ。動揺するなどありえない! 俺は断じてロリコンではない!」
ハジメは、表情に変態紳士か否かの瀬戸際だと戦慄の表情を浮かべながら自分に言い聞かせる。右手を引き抜くことは諦めて、ハジメは何とか呼び掛けで起こそうと声をかけるが一向に起きる気配はなかった。
その内、段々と苛立ってきたハジメ。ただでさえ状況を飲み込めず混乱しているというのに何をのんびり寝ていやがるのかと額に青筋を浮かべる。
そして、イライラが頂点に達し……
「いい加減に起きやがれ! この天然エロ吸血姫!」
〝纏雷〟を発動した。バリバリと右手に放電が走る。
「!? アババババババアバババ」
ビクンビクンしながら感電するユエ。ハジメが解放すると、ピクピクと体を震わせながら、ようやく目を開いた。
「……ハジメ?」
「おう。ハジメさんだ。ねぼすけ、目は覚め……」
「ハジメ!」
「!?」
目を覚ましたユエは茫洋とした目でハジメを見ると、次の瞬間にはカッと目を見開きハジメに飛びついた。もちろん素っ裸で。動揺するハジメ。
しかし、ユエがハジメの首筋に顔を埋めながら、ぐすっと鼻を鳴らしていることに気が付くと、仕方ないなと苦笑いして頭を撫でた。
「わりぃ、随分心配かけたみたいだな」
「んっ……心配した……」
しばらくしがみついたまま離れそうになかったし、倒れた後面倒を見てくれたのはユエなので気が済むまでこうしていようと、ハジメは優しくユエの頭を撫で続けた。
それからしばらくして、ようやくユエが落ち着いたので、ハジメは事情を尋ねた。ちなみに、ユエにはしっかりシーツを纏わせている。
「それで、あれから何があった? ここはどこなんだ?」
「……あの後……」
ユエ曰く、あの後、ぶっ倒れたハジメの傍で同じく魔力枯渇でフラフラのユエが寄り添っていると、突然、扉が独りでに開いたのだそうだ。すわっ新手か! と警戒したもののいつまでたっても特になにもなく、時間経過で少し回復したユエが確認しに扉の奥へ入った。
神水の効果で少しずつ回復しているとは言え、ハジメが重傷であることに変わりはなく、依然危険な状態である。強靭な肉体が一命を取り留めているが、極光の毒素がいつ神水を上回るかわからない。そんな状態で新手でも現れたら一巻の終わりだ。そのため、確かめずにはいられなかったのだ。
そして、踏み込んだ扉の奥は、
「……反逆者の住処」
中は広大な空間に住み心地の良さそうな住居があったというのだ。そのあと、危険がないことを確認して、ベッドルームを確認したユエは、ハジメを背負ってベッドに寝かせ看病していたのだという。神結晶から最近めっきり量が少なくなった神水を抽出し、ハジメに飲ませ続けた。
遂に極光の毒素に神水の効果が勝ったのか、通常通りの回復を見せたところで、ユエも力尽きたという。
「……なるほど、そいつは世話になったな。ありがとな、ユエ」
「んっ!」
ハジメが感謝の言葉を伝えると、ユエは心底嬉しそうに瞳を輝かせる。無表情ではあるが、その分瞳は雄弁だ。
「ところで……何故、俺は裸なんだ?」
ハジメが気になっていたことを聞く。リアル朝チュンは勘弁だった。別にユエが嫌いという訳ではないのだが……ほら、心の準備とかね? と誰にともなく内心ブツブツ呟くハジメ。
「……汚れてたから……綺麗にした……」
「……なぜ、舌なめずりする」
ユエはハジメの質問に、吸血行為の後のような妖艶な笑みを浮かべ、ペロリと唇を舐めた。何となくブルリと体が震えたハジメ。
「それで、どうしてユエが隣で寝てたんだ? しかも……裸で……」
「……ふふ……」
「まて、何だその笑いは! 何かしたのか! っていうか舌なめずりするな!」
激しく問い詰めるハジメだが、ユエはただ、妖艶な眼差しでハジメを見つめるだけで何も答えなかった。
しばらく問い詰めていたハジメだが、楽しそうな表情で一向に答えないユエに、色々と諦めて反逆者の住処を探索することにした。ユエがどこから見つけてきたのか上質な服を持ってくる。男物の服だ。反逆者は男だったのだろう。それを着込むとハジメは体の調子を確かめ、問題ないと判断し装備も整える。一応、何かしらの仕掛けがあるかもしれないので念のためだ。
後ろで同じく着込んでいたユエも準備が完了したようなので振り返るハジメ。ユエは、
……何故かカッターシャツ一枚だった。
「ユエ……狙ってるのか?」
「? ……サイズ合わない」
まぁ、確かに男物のサイズなんて身長が百四十センチしかないユエには合わないだろう。しかし、それなりの膨らみが覗く胸元やスラリと伸びた真っ白な脚線が、ユエの纏う雰囲気のせいか見た目の幼さに反して何とも扇情的で、ハジメとしては正直目のやり場に困るのだった。
「……天然なら、それはそれで恐ろしいな……」
狙っているのか、天然なのか分からないが、いずれにしろ色々な意味で恐ろしいユエだった。
ベッドルームから出たハジメは、周囲の光景に圧倒され呆然とした。
まず、目に入ったのは太陽だ。もちろんここは地下迷宮であり本物ではない。頭上には円錐状の物体が天井高く浮いており、その底面に煌々と輝く球体が浮いていたのである。僅かに温かみを感じる上、蛍光灯のような無機質さを感じないため、思わず〝太陽〟と称したのである。
「……夜になると月みたいになる」
「マジか……」
次に、注目するのは耳に心地良い水の音。扉の奥のこの部屋はちょっとした球場くらいの大きさがあるのだが、その部屋の奥の壁は一面が滝になっていた。天井近くの壁から大量の水が流れ落ち、川に合流して奥の洞窟へと流れ込んでいく。滝の傍特有のマイナスイオン溢れる清涼な風が心地いい。よく見れば魚も泳いでいるようだ。もしかすると地上の川から魚も一緒に流れ込んでいるのかもしれない。
川から少し離れたところには大きな畑もあるようである。今は何も植えられていないようだが……その周囲に広がっているのは、もしかしなくても家畜小屋である。動物の気配はしないのだが、水、魚、肉、野菜と素があれば、ここだけでなんでも自炊できそうだ。緑も豊かで、あちこちに様々な種類の樹が生えている。
ハジメは川や畑とは逆方向、ベッドルームに隣接した建築物の方へ歩を勧めた。建築したというより岩壁をそのまま加工して住居にした感じだ。
「……少し調べたけど、開かない部屋も多かった……」
「そうか……ユエ、油断せずに行くぞ」
「ん……」
石造りの住居は全体的に白く石灰のような手触りだ。全体的に清潔感があり、エントランスには、温かみのある光球が天井から突き出す台座の先端に灯っていた。薄暗いところに長くいたハジメ達には少し眩しいくらいだ。どうやら三階建てらしく、上まで吹き抜けになっている。
取り敢えず一階から見て回る。暖炉や柔らかな絨毯、ソファのあるリビングらしき場所、台所、トイレを発見した。どれも長年放置されていたような気配はない。人の気配は感じないのだが……言ってみれば旅行から帰った時の家の様と言えばわかるだろうか。しばらく人が使っていなかったんだなとわかる、あの空気だ。まるで、人は住んでいないが管理維持だけはしているみたいな……
ハジメとユエは、より警戒しながら進む。更に奥へ行くと再び外に出た。そこには大きな円状の穴があり、その淵にはライオンぽい動物の彫刻が口を開いた状態で鎮座している。彫刻の隣には魔法陣が刻まれている。試しに魔力を注いでみると、ライオンモドキの口から勢いよく温水が飛び出した。どこの世界でも水を吐くのはライオンというのがお約束らしい。
「まんま、風呂だな。こりゃいいや。何ヶ月ぶりの風呂だか」
思わず頬を緩めるハジメ。最初の頃は余裕もなく体の汚れなど気にしていなかったハジメだが、余裕ができると全身のカユミが気になり、大層な魔法陣を書いて水を出し体を拭くくらいのことはしていた。
しかし、ハジメも日本人だ。例に漏れず風呂は大好き人間である。安全確認が終わったら堪能しようと頬を緩めてしまうのは仕方ないことだろう。
そんなハジメを見てユエが一言、
「……入る? 一緒に……」
「……一人でのんびりさせて?」
「むぅ……」
素足でパシャパシャと温水を蹴るユエの姿に、一緒に入ったらくつろぎとは無縁になるだろうと断るハジメ。ユエは唇が尖らせて不満顔だ。
それから、二階で書斎や工房らしき部屋を発見した。しかし、書棚も工房の中の扉も封印がされているらしく開けることはできなかった。仕方なく諦め、探索を続ける。
二人は三階の奥の部屋に向かった。三階は一部屋しかないようだ。奥の扉を開けると、そこには直径七、八メートルの今まで見たこともないほど精緻で繊細な魔法陣が部屋の中央の床に刻まれていた。いっそ一つの芸術といってもいいほど見事な幾何学模様である。
しかし、それよりも注目すべきなのは、その魔法陣の向こう側、豪奢な椅子に座った人影である。人影は骸だった。既に白骨化しており黒に金の刺繍が施された見事なローブを羽織っている。薄汚れた印象はなく、お化け屋敷などにあるそういうオブジェと言われれば納得してしまいそうだ。
その骸は椅子にもたれかかりながら俯いている。その姿勢のまま朽ちて白骨化したのだろう。魔法陣しかないこの部屋で骸は何を思っていたのか。寝室やリビングではなく、この場所を選んで果てた意図はなんなのか……
「……怪しい……どうする?」
ユエもこの骸に疑問を抱いたようだ。おそらく反逆者と言われる者達の一人なのだろうが、苦しんだ様子もなく座ったまま果てたその姿は、まるで誰かを待っているようである。
「まぁ、地上への道を調べるには、この部屋がカギなんだろうしな。俺の錬成も受け付けない書庫と工房の封印……調べるしかないだろう。ユエは待っててくれ。何かあったら頼む。」
「ん……気を付けて」
ハジメはそう言うと、魔法陣へ向けて踏み出した。そして、ハジメが魔法陣の中央に足を踏み込んだ瞬間、カッと純白の光が爆ぜ部屋を真っ白に染め上げる。
まぶしさに目を閉じるハジメ。直後、何かが頭の中に侵入し、まるで走馬灯のように奈落に落ちてからのことが駆け巡った。
やがて光が収まり、目を開けたハジメの目の前には、黒衣の青年が立っていた。
何時も読んで下さり有難うございます。
感想も有難うございます。厳しい意見もありますが、応援や労わって下さる温かい声がとても嬉しいです。