グラハムという男 1
「ふあぁ……ねむ」
そう言って彼――グラハムは寝床から起き上がる。
布団をめくれば、そこには一糸纏わぬ全裸がいた。
彼は寝る時は、一切の衣類を纏わない。
その癖のせいで夜襲の際に危うくやられかけたこともあったが、彼はそれでも己の信条を曲げぬ変わり者だった。
「飯食うか」
立ち上がり、机の上にある肉をもぐもぐと頬張る。
何の面白みもない、安物の魔物の干し肉だ。
塩味が強く食べ過ぎれば早死にしそうだが、手っ取り早く食事を済ませることができるので重宝する一品である。
グラハムは食事にあまり興味がない。
更に言えば地位や金、女といった道楽にもまったくといっていいほどに頓着していない男だった。
帝国相手に八面六臂の活躍をした彼は、別に戦うことが好きなわけでもない。
「……」
グラハム・フォン・シュテーツ。
『重界卿』の異名を持つ彼は、誇張なく救国の英雄だ。彼が戦線を支えきれなければ終わっていたという戦いはいくつもあったし、一騎打ちで倒した将軍の首の数は五つを超える。
その英雄の視線の先には――自分と女性、そして子供の三人の描かれた肖像画があった。
絵画の中では細身の女性が優しく笑っており、彼女の腰を抱き寄せる男が鼻の下を伸ばし、前にいる子供は思いきり胸を張ってふんぞり返っている。
躍動的で、今にも動き出しそうな精巧な絵を見て、グラハムは笑った。
「――ハッ」
普段の彼が見せない、どこか陰のある笑みだ。
当然ながら、彼にも好きなものはあるし、譲れないものもある。
ただそれが……既に己の手では、届かないところに行ってしまったというだけで。
グラハムは傭兵をやっている両親の下で育った。
戦場へと向かう中で見つけた、藪の中に捨てられた赤子。
そんな血のつながりのない彼のことを、両親はしっかりと愛を持って育ててくれた。
戦いのイロハや戦場で必要なドライな物の考え方。命を扱う仕事をしているからこそ身内には大量に注ぐ愛。
両親が受け継いでほしいと思ったものも、見てほしくないと思っていたものも、その全てを吸収しながらグラハムは成長していった。
捨て子である彼が生きていくことができたのは、幸運に恵まれたからだ。
けれど彼の人生は決して、順風満帆ではなかった。
共に戦場を駆けるようになった、未だ十に満たない年齢の頃、グラハムの両親はバードという二人の右腕をしていた男と、彼が唆した団員達によって殺された。
給料の不払いや不正な蓄財がその理由だという。
傭兵団の会計を担っていたのはその男だったことをグラハムが知るのは、もっと後になってからのことだった。
流石に子供には罪はないと、グラハムは一人放逐されることになった。
彼は一度両親に捨てられ、愛ある家族に拾われた。
そして家族も同然と思っていた傭兵団に両親を殺され、再び天涯孤独の身となった。
もう何も信じられないとこの世に絶望した彼は崖から飛び降りた。
たった二人だけ誰よりも信じられる、両親の下へ向かおうとしたのだ。
けれど着地する間際、生への執着が絶望を凌駕した。
(死にたくねぇ死にたくねぇ死にたくねぇ! 俺は父ちゃんと母ちゃんの分も生きなくちゃいけねぇ! こんなところで――死んでたまるかよっ!)
この世を儚んだ少年が崖から飛び降りて自死をした。
普通ならそこで話は終わりだ。
けれどグラハムの物語はここで終わらない。
いやむしろここからが、彼の人生のスタートラインだ。
パリンパリンパリンッ!
何かが割れる音がした。
身体から何かが抜けていくような感覚があった。
彼は無我夢中で必死になりながら、落下速度と衝撃に抗った。
そして……誰も助からないと言われている断崖絶壁から飛び降りて、傷一つなく降りることに成功したのだった。
「なんだよ、これ……」
これがグラハムの界面魔法との出会い。
花開いた幸運とそれを奪おうとする不幸に見舞われることを、当時の彼はまだ知らなかった……。