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告白


 ネルは一人、闘技場の観客席の上に立っていた。

 中でも真ん中あたりにある入場口から少し進んだ、柱の陰。

 自分の身を隠せるその場所が、彼女の特等席だ。


「……」


 既に日は暮れ、空には星が瞬き始めている。

 夜の帳が落ち、冷たい風が彼女の真っ白い頬を撫でる。

 撫でつける風にたなびく髪をそっと抑えながら、息を吐く。

 気温が下がっているが、まだ息が白くなるほどではないらしい。


 けれどずっとこの場にいたせいかかなり身体は冷えており、指先がかじかんでいるのがわかった。

 だがそれでもネルはこの場所を立ち去ることはなく。

 何も語らず、ただ黙ったまま、一人闘技場のステージをジッと見つめていた。


(『覇究祭』が終わり、後夜祭が始まっている。でも正直……参加する気分にはなれない)


 自分が所属するA組が学年二位で終わったことはどうでもいい。

 いや、別にどうでもいいわけではないのだが……もっと切羽詰まった事情があるということだ。


 ヘルベルトが率いるC組が学年優勝を果たした。

 それはつまり彼が以前より公言していた『学年優勝をしたらネルに告白する!』という目標が、達成されることを意味している。


 もしA組の皆がいるあたりで後夜祭を過ごしたら、まず間違いなくヘルベルトはやってくるだろう。

 そして衆人環視の中で、それでも堂々と告白をしてくるだろう。


 ヘルベルトという人間はそういう男だ。

 彼はいつも自信に満ちていて、自分が正しいのだと信じて疑っていない。


 それがいいか悪いかは賛否両論別れるところだろう。

 そのせいで迷惑を被ってきたネルは、もちろん否の側である。

 ただしたまに賛成側に回ることもあるというのが、女の子の難しいところでもあるのだが。

(でもヘルベルトが告白をしてきたら……私はなんて答えればいいんだろう)


 きっと……いや間違いなく、ヘルベルトは自分が告白を断られるところなど想像すらせずに好意を打ち明けてくるだろう。

 彼の気持ちに対し、自分はどんな答えを返すべきなのか。


 この闘技場にやってきてからというもの、ネルはそればかりを考えていた。

 考えがグルグルと頭の中を巡るが、なかなか答えは出てこない。


 遠くからは、後夜祭を楽しむ生徒達の声が聞こえてくる。

 ネルはああいう人ごみはあまり得意ではない。

 そういう意味ではここにいる口実ができて、助かった面もあるのかもしれない。


(私、は……)


 ヘルベルトに対するネルの気持ちは複雑だ。


 最初は大好きだった。

 次に大嫌いになった。

 そして今は……一体どっちなのだろう。


 自分の気持ちに名前を付けることもできぬまま、時間だけが過ぎていった。

 気付けば、この闘技場へ足を運んだ回数は十を超え、二十を超え……来る度に、ヘルベルトのことを目で追っていた。


 ヘルベルトは変わった。それは紛れもない事実だ。

 彼はまだ二人の婚約が決まったばかりの頃の――あの自信に満ちあふれ、自分が願ったこと全てを叶えてしまう人へと戻っている。


 であれば、自分は……?


 その問いに答えを出すことができぬうちに、ダダダダダッと階段を上る音が響いた。


「はあっ、はあっ、はあっ……」

「……ヘルベルト」


 今のヘルベルトは、豚貴族と呼ばれていた頃の面影など微塵もない、眉目秀麗な美少年へ変貌している。

 その白皙の美貌は以前よりいや増し、最近は男らしさも兼ね備えるようになっている。


 ヘルベルトを見てキャーキャーいう学院生達が現れだしたのも、頷ける話だと思う。

 こうして面と向かうと、その端正な顔立ちにやられる人も多いのだろうなとは容易に想像がついた。


 ただネルは、ヘルベルトの見た目や体型はさほど重視していない。

 更に言えば父がよく言う遺伝する魔法の才能や、ヘルベルトが持っているらしい系統外魔法の才能についても、実はそれほど重要視していない。

 そんなものよりも大切なものがあると、彼女は信じていた


 ネルはヘルベルトを見つめる。

 ヘルベルトがそれを見つめ返した。


 何を言われるかはわかっている。

 どんな風に言われるかもわかっている。

 ネルは全てをわかった気になっていたが……その予想は半分当たって、半分外れた。


「ネル、俺はお前を――愛している。もう手遅れかもしれないが……気持ちが少しでも残っているのなら、婚約を解消しないでほしい。そして俺と共に、同じ道を歩んでほしい」


 そういってヘルベルトは、頼りなさそうに手を差し出してくる。

 その自信のなさは、不安の表れだ。


 彼でも不安になることがあるのか。

 そしてそんな風にいつも自慢げな彼を不安定にさせているのは、自分なのか。

 心の片隅で、暗い喜びが渦を巻く。


 けれどネルはそんな薄暗い気持ちをすぐに掻き消した。

 ヘルベルトと向かい合うのに、そんな気持ちは不要だとわかっていたから。


「私はヘルベルトが嫌いです」

「そうか」

「嫌い……でした」

「……そうか」

「……」

「……」


 沈黙。

 数時間ほど前までは熱狂の渦に包まれていたはずの闘技場が静寂に包まれる。

 外から聞こえる管弦楽器の音。

 どうやら目玉であるキャンプファイアが始まったようだ。


 お互い黙っている。

 黙ったまま見つめ合っているのは流石に気まずかったので、自然二人の視線は空に浮かぶ星々に移っていた。


「とりあえず……出ましょうか?」

「そうか?」

「はい。そのまま皆と一緒に……踊りましょう」

「――ああっ!」


 一緒に踊った相手とは、今後も悪くない関係を築ける。

 そんなジンクスを孕んだダンスの催しに共に参加する。

 その意味がわからないヘルベルトではない。


 ヘルベルトは童心に返ったような笑みを浮かべた。

 どうやらネルの答えを聞いてはしゃいでいるらしい。


(もう、本当に……子供なんですから)


 踊ることで頭がいっぱいになっているせいで、その足は速く。

 ヘルベルトに手を引かれている形のネルは、小走りにならなければいけなかった。


 一つのことしかできないけれど、それをしている最中は誰よりも真っ直ぐに突っ走ることができる。

 ネルはヘルベルトのそんなところに――惹かれたのだ。


 ネルが駆けながら、笑う。

 そのくしゃっとした笑みを見てヘルベルトは驚き、声を出して笑う。


 笑うと途端に不細工になる、ネルの笑顔。

 ずっと見たかったそれをまた見ることができた。

 それなら自分がしたことはやはり間違いではなかったのだ。

 ヘルベルトは満面の笑みを浮かべながら、ネルを連れてキャンプファイアの会場へと向かうのだった――。

これにて第一章は終了となります。


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