リスタート
結局ロデオとの特訓は朝まで続いた。
激しい特訓のせいで意識を失っていたヘルベルトが起きると、既に時刻は朝十一時。
当日の授業に出席だけでもしようかと立ち上がったが、元々彼は真面目な生徒ではなかった。
決闘のために少しでも休んでおかなければと、残りの時間は休養と準備に充てることにした。
それほどまでに、訓練で参ってしまっていたのだ。
魔法を真剣に使うのも、剣を必死に振るのも、ずいぶんと久しぶりのことだった。
鍛錬を怠った身体はかつてのように、思うがままに動くことはなく。
魔法の腕だって、ずいぶんとさびついてしまっていた。
時空魔法という下駄を履いても、果たして敵うかどうか。
ヘルベルト自身も、真っ向からやれば勝てないとどこかで思っている。
だが、手立てはある。
彼は勝つために、睡眠時間まで削って自分にできることをやった。
もし負けたとしても、後悔することはないだろう。
ヘルベルトはたしかに、変わり始めていた――。
ヘルベルトは、王立魔法学院が誇る闘技場の中心に立っていた。
決闘の話は気付けば大事になっており、今観客席には同級生だけではなく先輩たちの姿まである。
みなが魔法学院では久方ぶりに行われる決闘を、見に来ているのだ。
なんでもヘルベルトとマーロンどちらが勝つかで、食券を賭けた賭博まで行われているらしい。
オッズは驚きの1:43、どちらがヘルベルトなのかは考えずともわかるだろう。
勝敗ではなくヘルベルトが何秒保つかで勝負しているような輩までいるという。
「えー、それではこれより決闘に関する注意事項を説明させていただきます。まず最初にヘルベルト、マーロンの両名は陛下の名の下に公正な戦いをすることを誓っていただきます。武器の使用は模造刀のみ可、魔法の使用も可とします。どちらか一方が得物を落とすか、降参をしたらその時点で勝敗がついたものとみなします。何か質問はありますか?」
「大丈夫です」
審判を務めるのは、魔法学院の先輩であるリガット・フォン・エッケンシュタイン先輩だ。
この学院で強い権力を持つ生徒会の役員の一人で、伯爵家の一人息子でもある。
けれどヘルベルトの向く先は、彼ではなくその先にいる男だった。
茶色いくせっ毛に、真っ赤な瞳。
模造刀の握りを確かめるための素振りは、未だ生徒のそれとは思えないほどに素早い。
彼がマーロン――ヘルベルトの決闘相手だ。
『マーロンは後に勇者になり世界を救う男だ。そして俺とは仲が悪く、何度か殺し合ったこともある。今世では勇者と賢者が、互いに刃を向け合うことになったわけだな』
マーロンが少しでも動く度に、観客席から黄色い歓声が上がる。
貴族の女子たちの間でも、彼の人気は非常に高い。
今の彼は学院で話を聞かぬことのないほどのない有名人である。
話題に上がっても、そのほとんどが陰口であるヘルベルトとは大違いである。
マーロンは、強い意志を宿す瞳でヘルベルトのことを睨んでいる。
自分を見つめているその瞳には、強い怒りが宿っていた。
ヘルベルトはそのキツい視線をどこ吹く風と受け流し、腕を組んで片目をつむる。
彼はあくまでも、未来の自分から言われたとおりの言葉をトレースし続けていた。
「勝者の特権についての説明がないが」
「ああ、そうでしたね……決闘において、勝者は敗者に一つなんでも言うことを聞かせることができます。願いの発表はこの場で行いますか?」
「俺が勝ったら……お前にはヘレネに謝ってもらう」
マーロンがこれほど怒っているのには、もちろん理由がある。
ヘルベルトは少し前、気まぐれからヘレネという女生徒へ話しかけた。
彼女はマーロンと一緒にこの学院の特待生として入学した、気弱な女の子だ。
なんでもマーロンとは幼なじみであり、二人で一緒に勉強を頑張り魔法学院へ入学したのだという。
ヘルベルトはある日、気まぐれからヘレネを公爵家のパーティーに誘った。
今思えば特待生と仲良くなっておきたいという気持ちが、どこかにあったのかもしれない。
だが彼はいつも通りの尊大な態度を取っていたので、ヘレネはおどおどしながらもそれを断った。
「平民風情が俺の誘いを断るなど!」
キレたヘルベルトは、そのまま手を上げようとする。
「おいヘルベルト、その手をどけろ」
ヘルベルトの腕をマーロンが掴み、それを阻止した。
そしてヘルベルトに対し、対等な言葉遣いで話しかけてきたのだ。
「公爵家嫡男を相手にその口の利き方はなんだ!」
とブチ切れたヘルベルトは、取り巻きの静止も聞かずに決闘を申し込んでしまったのである。
魔法学院に入っている間は、位階や地位に関係なく平等に暮らしてゆく……ということになっている。
だが学院が出しているこのルールは、実質的には形骸化していた。
将来自分の上に立つ人間にタメ口が利ける人間など、普通はいないからだ。
つまりはこれは建前というやつで、平等な学び舎という旗を掲げるためのお題目に過ぎない。
だがマーロンはこのルールを頭っから信じ込み、誰に対しても平等に接していた。
そのせいで王女イザベラは彼を面白い男と感じ、ヘルベルトはそのあまりの無礼さに決闘まで申し込んでしまった。
彼の態度をどう評価するのかは、人によって大きく違う。
(幼なじみに手を上げられそうになり、嫌な気持ちにならないはずがない。俺もティナに危害を加えられようとしていれば、怒っただろうからな)
ヘルベルトは腕を組んだまま、審判のリガットの注意説明を聞き流している。
どこからどう見ても、悪いのはヘルベルトの方だった。
学院で彼の味方をしているのは取り巻きのごく一部の人間だけ。
観客たちは既に『マーロン! マーロン!』と
コールまで始めており、明らかに自分はアウェーだった。
ネルとティナのことが脳裏をよぎり、ぐるりと観客席を見渡す。
彼の目に、婚約者とかつて仲の良かった幼なじみの姿は映らなかった。
今は他のことに意識を向けている場合ではないと、小さく自分の頬を張り、気合いを入れ直す。
未来の自分に喝を入れられ目が覚めた今では、自分に非があることは理解している。
だが――。
「ハッ、俺が勝つに決まっている。願いは勝利の後で、ゆっくりと決めさせてもらおうじゃないか。ヘレネを我が家に呼び出すというのも、面白いかもしれないなぁ?」
素直に謝りたい気持ちをグッとこらえ、ヘルベルトは少し前までと変わらぬ不遜な態度を敢えて取り続ける。
生意気そうな顔をして、ぶひぶひと鼻を鳴らし、下卑た表情を作った。
「あいつは関係ないだろう!?」
「おぉなんだ、お前はヘレネが好きだったのか? まぁ同じボロ屋で育った幼なじみ、そういう関係の一つや二つ、あって当然だろうな」
「――っ!! 俺とヘレネは、そんな関係じゃない! お前はいったいどこまで、俺たちをバカにすれば気がすむんだ!」
決闘で勝つためには、マーロンの正常な判断力を奪っておく必要があった。
そのために最も効果的なのは、幼なじみであるヘレネについて言及すること。
そうすればマーロンの怒りのボルテージが上がることは、事前に未来の自分から教えてもらっている。
ヘルベルトは、決闘が教えてもらった展開をなぞってくれるよう、マーロンを誘導しなければならない。
自分が勝てるかどうかは、マーロンがどれだけ想定通りに動いてくれるかにかかっている。
持久戦ができる体力のないこの身体では、短期決着しか勝ちの芽がないからだ。
「俺の願いは……ハッ、やめておこう。どうせ俺が勝つのだ。敗北の土の味を教えてやる。光栄に思うといい」
だからこそ、マーロンに何も気取られてはいけない。
一言一句未来の自分に言われた通りの言葉を吐いてやると、目の前にいるマーロンはみるみるうちに激昂していく。
後ろから聞こえてくる幼なじみや王女の声も耳に入っていないようで、彼の意識は完全にヘルベルトの方に向いていた。
概ね言われている通りの状況再現はできただろう。
もう一度脳内でシミュレーションを終え、顔を上げる。
するとそこには説明を聞き終え、準備を整えたマーロンの姿がある。
彼は剣を構え、こちらにその切っ先を向けていた。
マーロンの現在の肩書きは、男爵家の騎士見習い。
魔法も使えるとはいえ、遠距離で打ち合いをすれば有利なのはヘルベルトである。
そのためマーロンは、自分が有利になる近接戦に持ち込もうとしている。
マーロンが長剣を持っているのに対し、ヘルベルトが手にしているのは取り回しの利く片手剣である。
傍から見れば決闘のルール上剣を持っているだけで、あくまでも魔法でけりをつけようとしているように見えるだろう。
言われた通りの状況にトレースはできている。
現状は想定通りに上手くいっていた。
しかし胸中には、それでも不安が押し寄せてくる。
果たして、本当に勝てるのだろうか。
かつての自分が勝てなかった相手に。
(勝てるだろうか……いや違う、勝つんだ。俺は変わる、今日この瞬間から!)
今までの自分に別れを告げるため。
ここからもう一度、人生をやり直すため。
ヘルベルトは必死になって、過去の自分の幻影を振り払う。
「それでは――試合開始ッ!」
さぁ、ここから始めよう。
未来からの手紙によって生まれた可能性を掴み取り、己の未来を切り開く時は……今、この瞬間だ。
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