兄と弟
『覇究祭』当日、リンドナー王立魔法学院には沢山の貴賓が来場していた。
リンドナー王国の魔法教育の素晴らしさを伝えるため、そして未来を担うことになる若者達の勇姿を見せるため、この日だけは学院の門戸は所属する国や、貴族の爵位の高低に関係なく幅広く開かれる。
ただしもちろん、爵位によって貴賓席のエリアは明確に分けられている。
――ここでリンドナー王国の爵位について少し説明をしておこう。
爵位は上から順に公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵・騎士爵となっている。
要は公爵が一番偉く、騎士爵が貴族の中では一番下だ。
騎士爵は当代で武勲やなんらかの功績を立てた者が王から与えられるものであり、その爵位は一代限りで世襲ができない。
そのため家名を世襲する権利を持つ――つまりリンドナー王国へ子息を送ることのできる貴族は、最低でも男爵の家格を持たなければならないということになる。
だが男爵と公爵ではその影響力から持っている領地の広さまで、あまりにも差が大きい。
より爵位の高い貴族が低く、かつ自分の領地の周囲にいる貴族達の面倒を見る寄親・寄子制度も存在するため、物理的に顔を上げられないという事態に発展することも十分に考えられる。
そのための、爵位によるエリア分けなのだ。
『覇究祭』においては色の違いや組の違い、ではなく爵位によって応援席の場所が決められている。
競技が行われるのは闘技場であり、それが以下のように時計回りに四つに区切られている。
1 他国からの賓客・国王・公爵エリア
2 侯爵・伯爵エリア
3 子爵・男爵エリア
4 関係者席
闘技場を区切っただけでは向かいや隣にいる他の貴族達の顔が視界に入ってしまう……などと心配する必要はない。
この『覇究祭』はリンドナー王国が他国に自国の魔法技術を見せつけるために、惜しみなく魔道具や魔法が使われている。
そのため闘技場のステージや階段下に立っている生徒達しか視界には入らないようになっていたり、外にある貴賓室からでも闘技場の映像を見ることが可能になっている。
一応、各エリアの間での往き来をすること自体は可能だ。
そして問題が起こらぬよう、各エリアをつなぐ場所には緩衝地帯が設置されており、仕切りなどで細かくパーテーションがされている。
これによりエリアが違う者同士でも顔を合わせることができるようになっているのだ。
「ローゼア、ほらこっちにいらっしゃい。そろそろ競技が始まるみたいよ」
「ちょ、母様、強引にっ……」
第一エリアと第二エリアをつなぐところにある仕切りで覆われた半個室。
その場所に、現ウンルー公爵であるマキシムとその妻ヨハンナの姿があった。
ヨハンナに腕を掴まれ、連れられてきているのは少し幼さの残る少年だ。
優しそうな目はヨハンナに似て、口許のあたりの厳格そうな感じは父であるマキシムに似ている。
そしてその見た目には、どこかダイエットに成功した現在のヘルベルトの面影がある。
身長は未だ伸び盛りで、着ている服は仕立てのよいひだの付いたシャツだ。
彼の名は、ローゼア・フォン・ウンルー。
その名前からわかるように、ウンルー家の次男である。
端正な顔をしかめていることからもわかるように、その胸中は複雑そうだった。
ローゼアのヘルベルトに対する気持ちを、一言で表現するのは難しい。
「母様、僕は……」
ウンルー家の人間は情に篤く、そして基本的には頑張り屋だ。
ローゼアの持つ、ヘルベルトへの思いは、その時期によって二つに分かれている。
彼が幼年期だった頃の、自分が公爵を継ぐと信じて疑っていなかった頃の、華々しく輝かしいヘルベルト。
そして傲り高ぶり、婚約者からも父からも見離された、豚のように太ったヘルベルト。
ローゼアは前者のヘルベルトが大好きだった。
そして後者のヘルベルトが、憎くて憎くてたまらなかった。
ローゼアは美人で気立てのいいネルを放っておくヘルベルトが信じられなかった。
そして両親を悲しませても平気な顔でいるヘルベルトを見て、自分の兄は変わってしまったのだと理解した。
その時のローゼアは泣きじゃくり、自分が好きだった兄がもういないことを悟り、そして固い決意を固めたのだ。
――あんな豚に、ウンルー公爵家を継がせるわけにはいかない。
自分こそがウンルー公爵となり、領地を、そして領民を守るのだと。
父であるマキシムもヘルベルトを見切り、ローゼアの熱意に押される形で領主教育を叩き込むことにした。
そんな生活が数年続き、ヘルベルトがもうすぐ廃嫡されるというところで、事件は起こった。
ローゼアはマキシムに呼び出され、そしてこう言われたのだ。
「ヘルベルトの廃嫡は辞めることに決めた。無論お前に施した領主教育を無駄にするつもりはない。ローゼアには然るべきタイミングを見計らって、新たに家を興してもらうつもりだ」
そんなことを言われて、はいそうですかと受け入れられるはずがない。
自分がしてきた努力はいったいなんだったのか。
領民のためにと立ち上がった自分が、哀れな道化ではないか。
かつてのヘルベルトが帰ってきた?
ヘルベルトにはとんでもない力がある?
――だからどうしたというのだ。
そんなにコロコロと事情を変えられては、自分の立つ瀬がないではないか。
この数年間愚直に頑張ってきた自分が……バカみたいではないか。
ローゼアは、マキシムの沙汰にまったく納得していなかった。
だからこそヘルベルトとまともに顔を合わせていないし、ヨハンナの再三の会食の申し出も全て断っていた。
けれど魔法学院の『覇究祭』には、来なくてはならなかった。
来年入学するローゼアに、今後の顔見せのためにも来ないという選択肢を採れるはずもなかったのだ。
そして現在は挨拶をつつがなく済ませ、堅苦しいエリアを抜け出して小休止を取っているところだった。
マキシムが仲の良い貴族達と個人的に話をしているうちに時間は経ち、『覇究祭』が始まろうとしている。
「ローゼア、お前が言いたいことがあるのはわかっている」
「……父様」
「きっと私が何を言っても、通じはしないだろう。私は良き夫ではあるかもしれないが……父としては、どうにも未熟なようでな。二人も息子がいるというのに、どちらにも理想の父親でいてやることができなかった」
スッと、ヨハンナがマキシムの腕を取る。
二人は互いに軽く視線を交わし、一瞬笑みを交わす。
そしてマキシムは、そのあとすぐにローゼアの方へ身体を向ける。
彼の表情は、真剣そのものだった。
「だからできることなら、この『覇究祭』で見極めてやってほしい。ヘルベルト・フォン・ウンルーという一人の人間を」
「……はい」
到底、納得はできなかった。
だがローゼアは、頷いた。
当主の決定に逆らうことはできないというのが、その一番の理由だ。
――けれど、心のどこかで、こう思ってもいた。
かつての兄が。
自分が絶対に敵わないと思い憧れた、あの兄が帰ってきたというのなら。
(それなら、僕は――僕、だって――)
ローゼアは歯を食いしばり、顔を上げる。
魔道具から、第一種目の開始五分前を告げるアナウンスが入る。
色々な人の思いと願いを乗せて、『覇究祭』が始まる――。
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