プロローグ
リンドナー王国を西へ進んだところには、大樹海と呼ばれる魔物の生息領域が広がっている。
王国も開拓に着手できていない、未踏破地域である。
出てくる魔物が凶悪であるのもその理由の一つではあるのだが、王国が大樹海に手をつけていない一番の理由は、そこを抜けた先には人ならざる者達が多数暮らしているという部分にある。
王国は彼らを刺激して争いにならぬよう、大樹海を通して行われている小規模な交易を除き、長年不干渉を貫いていた。
人ならざる者とは、人に似てはいるが人ではない者達――つまりは亜人である。
亜人と言っても、その種類は多い。
有名なところを言えば獣の特徴を持つ獣人や、長い耳と寿命を持つエルフなどを挙げることができる。
エルフほどの長寿ではないものの人と比べれば長命であり、鍛冶に秀でた才を持つ者の多いドワーフもそうだ。
魔物の特徴を持つ魔人も、分類的には亜人とされる。
それ以外にも例えば魔物によく似た見た目をしているせいでかつて迫害されていた歴史のある緑鬼種や鱗人種などの少数しかいない亜人達も存在している。
この大樹海を抜けた先には、魔人を除くあらゆる亜人達が暮らしている。
ちなみに魔人達もどこかで定住をしているはずなのだが、そこがどこなのかは長年判明していない。
大樹海の奥地には、亜人達の寄り合いが存在している。
獣人達が集落を築き上げており、エルフ達が家樹と呼ばれる樹を加工して家を作って暮らし、ドワーフ達は鉱山を独占して気ままに武器や細工品を製作する。
それは国というほどの強固な集合体というわけではなかったが、有事の際には種族の垣根を超えて協力できるだけのまとまりがある。
かつて一度痛い目を見たことのある王国は、それほど規模の大きくない鉱山や、旨みのない土地を得るより、友好的に接することを選んだ。
人間と比べれば長い寿命を持つ亜人達は基本的に争いを好まず、王国の意志を汲み、良き隣人であろうとしてくれた。
そのため両陣営の仲は良好で、大樹海をむやみに切り開く行為は禁止されることとなった。 大樹海は緩衝地帯であり、そこがなくなることを誰も望まなかったからだ。
色々と税制面での制限がかけられたことで、大樹海にやってくる冒険者達も今ではほとんどいない。
だがそのように誰の目も入らぬからこそ、大樹海には時折特殊な境遇の者達がやってくる。 人の目の届かぬこの場所を、隠れ蓑とするために……。
そこは大樹海の奥深く。
中でも特に閉鎖的なことで知られている非常にリザードマンによく似た亜人である鱗人種という亜人種の暮らしている水辺の村……から少し離れたところに、ポツンと一軒の小屋が建てられている。
周囲に森が鬱蒼と茂っているせいで元々視認がしづらいところに、更に工夫を凝らしていた。
屋根の上や側面の壁に、保護色のように緑や茶の色の枝葉達を重ねることで、その小屋を完全に周囲に溶け込ませることに成功しているのだ。
明らかに人に見つからぬような位置にある、周囲に溶け込むための創意工夫がなされた小屋。
窓もないその家の中には、二人の人物が住んでいた。
「パリス……もう出かけるの? まだ食料なら十分にあるけれど……」
「ヘレネ、そうも言ってられないよ。この大樹海には人の手は届かないとは言っても、決して絶対なんてものはない。いつどんな魔手が迫ることになるのかわからないんだから、いつだって用心はしておかなくちゃいけないんだ……」
まず一人目は、非常に見目麗しい女性だった。
目鼻立ちがすっきりとしていて、全ての造形が美しく、そして均等に配置されている。
栗毛とくりくりとした目から、小動物のリスを連想させるような見た目をした女性だ。
ヘレネと呼ばれていた彼女が見つめる先にいるのは、一人の男性だ。
「大丈夫だよヘレネ、僕は強い。絶対に……絶対に帰ってくるから」
そう言い切り、強い決意を内に秘めているのは一人の男性だ。
年かさは三十前後だろうか。
全体的に線が細く、なよっとした印象を与える相貌。
髪の色と瞳は共に青いが、目を引く部分はそこではない。
彼――パリスと呼ばれていた男性の額には……小さな二本角が生えていたのだ。
そして薄暗い光に照らされたわかりにくいが、その皮膚は彼の手を握るヘレネと比べると、少しだけ紫がかっていた。
パリスは、魔人なのだ。
そして彼と心を通い合わせたパートナーであるヘレネは、純粋な人間種だった。
魔人は常に、あらゆる者達の敵だった。
彼らは魔物の特徴である残虐さ、残酷さ、残忍さを併せ持った人間だ。
歴史的な災害や大規模な事件には、いつも魔人の影がある。
その言葉も決して間違いとは言い切れないほど、彼らは歴史の影で暗躍を続けてきている。
だが、何事にも例外がある。
好戦的で残忍と言われることの多い魔人の中にも、稀ではあるが争いを好まぬ存在もいるのだ。
ここにいるパリスは、そんな数少ない例外だった。
彼は争いよりも植物や絵画などの、自分が美しいと感じたものを愛でる、風変わりな魔人だ。
そしてパリスは自身が愛している美しい者の枠組みの中に入ったヘレネに一目惚れし、熱烈なアタックの末に交際をスタートさせた。
だが魔人というのは、魔人社会以外の全てにおいて迫害の対象とされている。
魔人との交際などは地域や宗教によっては姦通扱いとされることも多いため、二人の関係性は気軽に公言できるような類のものではなかった。
魔人からも人間からも迫害されてきた彼らは、今は大樹海の中で、ひっそりとつつましやかな生活を続けていた。
余人と関わることがなく、そのため対人関係で問題が起こりようのない空間は、二人にとっては正しく楽園だった。
二人とも、これが永遠に続くものでないことはわかっている。
それでも、いやだからこそ。
二人はここで共に暮らせる幸せを噛み締めながら、充実した毎日を過ごしていた――。
ヘレネは元は行商人の娘であり、計算や読み書き以外の技能はほとんど持たぬ子だった。
彼女に戦闘技能などあるはずもなく、そのために大樹海で生きていけているのはそのほとんどがパリスの努力の賜物だった。
有事の際に戦うのは、パリスの仕事。
食料の確保をするのもパリスの仕事。
そしてうちで料理や裁縫をしたりといった家の内のことをするのが、ヘレネの仕事だ。
二人ともそれをなんら苦とも思っていなかった。
その事実から、これまで二人がどのような歴史を歩んできたのかを想像することは容易いだろう。
(そう、今日という幸せが、いつまでも続くとは限らない。けれど、できることなら、少しでも、一日でも長く――)
瞬間、柔和そうなパリスの瞳がキッと鋭くなる。
彼は息を潜め、己の得物である青い双剣を構える。
ヘレネに笑いかけていた時とは違う、戦う男の顔をしていた。
「何者だ、出てこい」
「――ああ」
パリスが睨む先、ゴツゴツとした木のうろから人影が歩み出てくる。
そこにいたのは、一人の少年だった。
年かさは自分よりはるかに若く、年齢はまだ二十にも満たないだろう。
下手をしたら十代の半ば頃かもしれない。
金色の髪はさらさらと風に流れ、その碧眼は恐ろしいほどに澄んでいる。
筋肉質ながらも細身な体つきをしており、その所作からはどことなく風格がただよっていた。
一見すると育ちのいいおぼっちゃまにしか見えないが、決して油断はできない。
そんな人物がこの大樹海に単身やってきている、それが何よりの異常だからだ。
「目的はなんだ?」
「何、簡単な話だ。お前とその伴侶のことを、聞かせてほしいと思っ――」
少年に、最後まで言葉を言い切らせはしなかった。
ギィンッ!
刃と刃のぶつかり合う硬質な音が響く。
突進したパリスが放った、二本の剣を重ね合わせて放つクロス斬り。
それを少年が手に持った剣で受け止めた音だ。
「物騒だなっ――魔人パリス!」
「僕と、僕とヘレネの……邪魔はさせないっ!」
「ちっ、話を――ええいっ、こうなったら、多少無理矢理にでも話を聞かせてもらうぞっ!」
本日から第二部を開始いたします!
以後毎週火曜更新となりますので、引き続きよろしくお願いします。
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