【09】『解策(げさく)』
「利休様が唐入りを阻止する事によって、数寄――『侘び寂び』の道を守りたい事は分かりました」
左京はそう言って立ち上がると、利休を見下ろす。
「ですが、それなら殿下一人と刺し違えれば済む事です――。なのに、どの道死罪は免れないのに、なぜわざわざこんな大がかりで、手の込んだ策を打ったのですか?」
「――っ!」
利休が答えに窮する。
それを見定めると、さらに左京はたたみかける。
「それは――殿下が死んではならなかったからですね?」
「――――⁉︎」
今度は利休ばかりでなく秀吉も、そして見守る一同までもが唖然とする。
なぜ――? 己の数寄を守るためにこれほどの大罪を犯しておきながら、その元凶である秀吉を生かさなければならなかった理由とは?
皆が息を呑んで、左京の次の言葉を待つ。
「それは、今のままの豊臣を守るため。それが豊臣の『得』になるから――。そして殿下が死ぬ事が、とある方の『損』になるからですね?」
「…………? ど、どういう事じゃ、左京?」
思わず秀吉が身を乗り出し、問いかける。
それに左京は、例の半開きの目で視線をくれると、
「おそらく今回の黒幕は――、大和大納言秀長様です」
と、誰もが驚く真犯人の名を口にした。
「ま、待て! なんで小一郎がそんな事をするんじゃ⁉︎」
弟である秀長の名前を出された事に、激しく動揺する秀吉は、思わずその幼名を口走ってしまう。
だが左京は秀吉の問いには答えず、
「そうなのでしょう――。藤堂殿?」
と、呆然とする警護の諸将たちの中で、ただ一人表情を変えていない藤堂高虎を名指しした。
高虎は、秀吉の天下取りを陰で支えてきた秀長の第一の腹心である。
また近年、病に伏せり小田原征伐にも参加できなかった秀長に代わり、大和をはじめとする百十万石の領地を差配している知勇兼備の将でもあった。
その高虎は左京の指摘に、沈黙を守り何も答えない。
ならばと左京は、長身の高虎を見上げる様にして口を開く。
「いいでしょう。では私がお話しします――。まずは藤堂殿、あなたは有馬に到着した時、大和勢をわざと黒田勢にぶつけましたね?」
(――――⁉︎)
これには三成が驚きの顔を見せる。
――黒田の兵は早くどこかに立ち退かせろ! 大和勢の通行の邪魔となっている!
大和勢が追加の警護として参着した時、三成はそう言って、官兵衛に文句をつけたからである。
「ですが、歴戦の将である親父殿――黒田官兵衛が、軍勢をそんなまずい場所に置くでしょうか? これは大和勢が、わざと黒田勢が通行の妨げになる様な動きをしたに違いありません」
左京の見解に、
「ま、待て! それにどんな意味があるのだ?」
その当事者でもある三成は、ついに気持ちを抑えきれずに説明を求める。
「おそらくですが――、軍勢の数を皆に印象づけるためでしょう」
「――――?」
三成ばかりでなく、一同が首をひねる。
だが、これまで数々の修羅場を潜り抜けてきた秀吉、そして小早川隆景は、左京の言葉に何かを悟った様な顔付きになる。
「藤堂殿。昨日、天神山に現れた賊は――、大和勢ですね?」
「――――!」
これには、ここまで平静を保ってきた高虎も、ついに顔面蒼白になる。
「大和勢は千人――。そう石田殿と黒田勢に印象づける事で、別働隊の存在をくらました……。これは憶測ではありません。私の配下の忍びに、あらかじめ調べさせておきました」
左京がそう口にしたのと同時に、風の様に不破イタチが姿を現す。
そしてイタチは左京が目配せすると、
「大和勢は、天神山の麓に隠れていた百人ぐらいの兵と戦をした『フリ』をすると、その百人を南に逃がした――。それからその百人は、海まで着くと、小早船で『東に』逃げて行ったよ」
と、その目で見てきた賊徒襲来の一部始終を語る――。東とは毛利の領地とは正反対の、大和へ向かう水路であった。
「や、大和勢が賊を装っていただと⁉︎ その百人が大和の手勢であるという証拠はあるのか⁉︎」
自身の預かり知らぬ所で起こった事態に、今回の大茶会を取り仕切る三成が気色ばむ。
「証拠――? それを調べるのが石田殿の仕事ではありませんか」
「な、なに……?」
思わぬ左京からの返しに三成は呆然とする。
「石田殿は豊臣の奉行――。なら、この数日間の瀬戸内海、播磨灘、大阪湾、紀伊水道の船の動きを調べるなんて造作もない事でしょう? それと大和大納言様の領内で、小早船の建造があったかどうかも――」
確かに左京の言う通りであった。もし大和勢に不審な点があれば、今の豊臣の総力をあげれば、調べなど簡単につく。
「くっ……」
己の至らなさに衝撃を受ける三成を黙らせると、左京はまた高虎と向かい合う。
「もし大和勢に死傷者がいれば、私も迷ったかもしれません――。ですが慈悲深い秀長様は、お身内を誰も傷付けたくなかったのですね。だから賊にも死傷者はいなかった――。そこで私は、賊はきっと大和勢に違いないと思ったのです」
「…………」
何も抗弁できないまま、高虎の巨体がついに膝から崩れ落ちる――。それは左京の推理を、完全に認めた事を意味していた。
「そして利休様――。あなたが大和に、殿下に暗殺の危機が迫ったと、茶会の直前に知らせを送ったのも、あらかじめ秀長様と示し合わせての事ですね?」
「さすがでございます、竹中様――。しかし、なぜそこまでお分かりになったのですか?」
さらなる左京の推理に、もはや利休も清々しいまでの好奇心で、その答えを求める。
「今回の有馬行きに、予定外に後から加わったのは、私、親父殿、長政の黒田勢。そして藤堂殿の大和勢でした――。ですが我々は殿下の密命で召喚されたのに対し、大和勢は取り仕切りの石田殿がしっかり参陣を把握していた――。つまりこれは、大和勢だけが殿下のご意思とは別の、浮いた存在だったという事です」
「な、な、なっ……」
うろたえる三成は、確かに左京、官兵衛、長政を、自分の『知らぬところ』で『勝手に』来た存在だと罵った。
そればかりか、あらかじめ自身に参着を知らせた大和勢を、こころよく迎え入れてしまった。
だがその時点で、すでに左京は大和勢の存在を異分子として警戒していたのだ。
(な、なんという男だ……)
その洞察力に、もはや三成は感動すら覚える。
そして左京は居住まいを正すと、
「筋を通す事で、自分たちが暗殺とは無関係だと装った――。秀長様の律儀なお人柄が、仇となりましたね……」
そう言って、秀吉暗殺予告におけるすべての『解策』を締めくくった。
後に残ったのは、茫然自失となった秀吉だった。
「利休……、そうなのか? 本当に小一郎が、こんな事をしでかしたんか?」
「はい――。この企てはすべて秀長様のもの。そして殿下に唐入りを諦めさせ『損』をさせる事で――、秀長様は豊臣という家を守り、私は数寄を守るという『得』をする算段でございました」
「……なんで、なんでじゃ小一郎ーっ⁉︎」
豊臣の内と外を固める二人に――、そして誰よりも信じていた弟に、裏切られた思いの秀吉が絶叫する。
「殿下!」
そこに秀長の手足として、今回の狂言の一翼を担った藤堂高虎が声を上げる。
高虎は膝をついた姿勢のまま、茶席に向けてにじり寄ると、それを止めようとする三成を、その巨体でもって吹き飛ばした。
「ぐわっ!」
細身の三成が地面を転げ回ると、高虎はそのまま秀吉に向かって平伏する。
「殿下――。秀長様のお言葉を、お伝えいたします!」
叩頭したまま高虎は、涙声になりながら秀吉に訴えかける。
「もはや日ノ本六十余州は、兄者のものとなり申した。この上、兄者は何ゆえ唐天竺まで望まれるのか?」
秀長の口調をそのまま伝える高虎に、誰もが息を呑む。
「もしや兄者なら、亡き信長公のご遺志を継いで、明をも平らげるやもしれません……。ですが……その時、私はもうお供できません」
「な、なんじゃと⁉︎」
声を詰まらせながら、なんとかそこまで言い切った高虎の言葉に、秀吉は激しく動揺する。
「ぜ、全宗!」
そして立ち上がると、背後に控える豊臣家の侍医、施薬院全宗に真偽を問い合わせる。
「秀長様には、固く口止めされておりましたが……」
そう全宗は前置きしてから、意を決すると、これまで隠し続けていた秘事を打ち明ける。
「小田原征伐に参陣できず、病に伏せっておられました秀長様は――、もう余命幾ばくもございません……」
「――――! 全宗、なんでそんな大事な事を――」
「秀長様は仰りました! 小田原征伐は殿下の天下統一の総仕上げ――。けっしてお心を煩わせてはならぬと!」
秀吉の叱責を遮り、全宗は力強い声で秀長の意思を告げる――。その頬には一筋の涙が流れていた。
「もう年を越せるかどうかも分かりませぬ……」
「そんな……、小一郎……」
へなへなと尻もちをつく秀吉に、さらに高虎が秀長からの言葉を伝える。
「兄者、天下は豊臣のものとなりました。これは信長公にも成し得なかった偉業です――。ですが、まだ国内が安定するまでには月日がかかります。きっとまだ不平分子も隠れておるはず――。そんな時に、いたずらに外征に出るのは、豊臣の天下を揺るがす元となりまする」
「小一郎……」
秀長の遺言とも取れる言葉に、ついには秀吉も涙を流す。
「兄者、私は豊臣の天下を失うのが怖いのです――。そのために毛利殿、小早川殿、そして利休殿を巻き込んでしまった事は、お詫び申し上げます。その咎はこの秀長が、地獄にて一身に背負いたく存じます。そして兄者には、黄泉路にてお詫び申し上げまする」
「阿呆……、この阿呆が……」
その人生を、兄の天下取りのためにすべて捧げてきた秀長――。その最後まで揺るがぬ忠節に、秀吉は涙が止まらない。
「兄者、儂ら兄弟の夢は叶ったではございませんか――。今後は、世継ぎとして生まれた幼い鶴松を守っていってくだされ。『夢のまた夢』は、ちと強欲にござりまする――。どうか、どうか豊臣という夢を――守り続けてくだされ」
そう言って高虎は秀長からの伝言を締めくくると、深々と頭を下げる。
「ほんに阿呆な奴じゃ。だが――、さすが儂の弟じゃ」
「策破れし時は、殿下にお伝えする様にと申しつかっておりました――。加えて、毛利、小早川両家には一切の処罰なき様にと。また利休様にも寛大なご処置をとの事にございまする」
高虎は、秀長からの事後処理の請願も簡潔に伝え終えると、
「では某はこれにて――」
と、脇差を抜いて腹を切ろうとする。
「イタチ!」
見守る一同が驚く中、左京が叫ぶと、イタチが素早く高虎の懐に飛び込み、その脇差を叩き落とす。
同時に長政が飛び出し、背中から組み伏せる事で、その巨体を完全に拘束した。
「やれやれ……」
左京が胸を撫でおろすと、
「どうせ小一郎の事じゃ――。高虎、お前の事も許せと言うておったんじゃろう?」
秀吉が苦笑をまじえながら、高虎が伏せていたであろう、弟のもう一つの願いを口にする。
「――っ」
これには高虎も思わず声を詰まらせ、嗚咽を漏らしてしまう――。さすがの秀吉の炯眼であった。
「左京、ご苦労であった――。長政も、ようやったの」
そして秀吉は左京をねぎらうと同時に、最後に存在感を見せた長政にも言葉をくれてやる。
「――ははっ!」
秀吉一流の人たらし――。それに素直に喜ぶ長政に、
(おいおい、こいつちょろいな……)
と、左京は内心呆れてしまう。
(だが、これで一件落着した――。やっと解放される……)
左京が安堵したのも束の間、
「さて――。利休、茶を点てい」
秀吉はまるで憑き物が落ちたかの様な笑顔で、またもや茶会の再開を宣言する。
その顔付きに、左京は目を見張る。
なぜなら、つい先刻まで涙に暮れていた顔が、もうすべてを吹っ切った、為政者ものに変貌していたからであった。
その証拠に、秀吉はこれだけ紛糾した暗殺未遂事件に関しての、一切の沙汰を下さない。
(やはりこのお方は天下人か……)
あらためて左京は、豊臣秀吉という男の凄まじさを実感する。
同時に、そんな存在に『解策師』として見込まれてしまった自分の行く先に、猛烈に嫌な予感を感じ身震いしそうになる。
(やれやれ、なぜこうなった……)
頭を抱えたくなる左京に、
「さすがは竹中半兵衛様の息子――。見事なお点前でございました」
利休も柔らかい笑みで、最大の賛辞を送ってくる。
「ハハッ……」
もはやどうしていいか分からない左京は、無作法と承知ながら、目の前の黒茶碗にわずかに残った茶をすする。
「…………。苦っ」
それは、なんともほろ苦い味であった。
こうして、秀吉暗殺予告という未曾有の危機をはらんだ、有馬大茶会はその幕を閉じたのであった。