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【08】『損得勘定』


 謎の賊による襲撃の翌日、天正十八年(一五九〇年)十月五日。

 蘭若院阿弥陀堂では、二日目の茶会が催されていた。

 これはもちろん、竹中左京の要請によるものである。


 茶頭も変わらず千利休――。だがその内容は昨日とは打って変わった趣きで、わずか三畳の茶席は屋外ながら、まるで茶室そのものであった。

 茶道具も昨日から一新され、そのすべてが『黒』で統一されている――。これこそ千利休が目指す『侘び寂び』の極致であった。


 茶席には主人として豊臣秀吉、客人として小早川隆景――、そして左京の姿があった。

 内々の茶会という事で、それを見守る警護の者も黒田官兵衛、長政、石田三成、藤堂高虎に他数名と、ごく僅かであった。


 釜の前では利休が静かに、だが気迫のこもった手さばきで最初の茶を点てている。

 それは本来なら、主人である秀吉に供されるべきものであった。

 だが利休は小さく微笑むと、なんとそれを末席に控える左京に向かって、手を伸ばし差し出した。


「――――⁉︎」


 皆の視線が集まるが、こうなると左京も、無礼は承知だが進み出ざるをえない。

 意を決すると、左京は膝を進め、利休の手前で正座する。


(黒い……)


 天目とも青磁とも似ても似つかない、彩色も紋様もない黒一色の手ごねの茶碗に、左京は息を呑む。


(だが美しい――。私には分からないが、これが一切の無駄をはぶいた『侘び』というものなのだろう)


 左京は黒茶碗にかける利休の思いを推しはかりながら、


「では、頂戴いたします」


 と口上を述べ、作法通りに数回に分けて茶を飲み干すと、茶碗を元の位置に差し戻し、頭を下げた。

 その模様を秀吉だけでなく一同が見守っている。


「竹中様――」


 ふと利休が、まだ所作の途中にある左京に語りかける。


「――――?」


 思わぬ呼びかけに、左京が顔を上げる。

 すると利休は嬉しそうな顔で左京を見つめると、


「いったい、いつ……私が下手人だと分かったのですか?」


 と、今回の秀吉暗殺予告の犯人が自分であると、突然の自白を始めた。


「なっ⁉︎」


 すかさず三成が前に進み出ようとするが、


「――左京の邪魔をするな」


 と、長政が静かながら凄みをきかせた声で、それを制する。

 その姿を父親である官兵衛は、大あざのある頬を緩めながら、満足そうに眺めていた。


 そして幼なじみの思いに支えられた左京は、半開きの目のまま秀吉に向き直ると、


「では殿下――。解策(げさく)仕ります」


 と、今回の謎解きの開始を宣言すると、美しい銀髪をなびかせながら一礼した。


「うむ」


 秀吉が短く答えると、


「では利休様――。私から先に問わせてください。なぜあなたは湯山御殿から出てくる私を見にいらしたのですか?」


 左京はまず利休との不可解な邂逅について質問する。


「そうですね……。あれはまったくの偶然というか……、何か虫の知らせの様なものでした」


「虫の知らせ?」


「ええ。何やらこの有馬に、私の策をすべて見透かす様な者が現れた――。そんな予感がしたのです」


「それであの時、あんなに私を見ていらしたのですか?」


「はい――。そしてあなたの『その目』を見た瞬間……、なぜか私は(おの)が策が破れたと悟った気がしたのです」


「そうですか――」


 利休の告白に、左京としては苦笑せざるをえない。

 だがこのやり取りを見守っている三成は、自分が左京に感じた脅威を、利休も共有していた事に息を呑む。

 そして左京は気を取り直すと、利休との審問を再開する。


「では今度は私が問いにお答えします――。利休様には、私を見にいらっしゃるなどの不審な点がありましたが、殿下の暗殺予告に関わっていると確信したのは、実は昨日の茶会の席での事でした」


「私が殿下と言い争ったからですか?」


「いえ――。利休様が……己の数寄を守ろうとなさったからです」


「――――! これは私もまだまだ未熟者でございましたな」


 そう言って、利休は心から気恥ずかしそうに頭をなでる。


「利休様。あなたは殿下に唐入りをしてほしくなかったのですね――。利休様が目指す数寄が、唐高麗の名物に、これ以上犯されないために」


「――――⁉︎」


 左京の推察に秀吉が絶句する。

 もしそれが本当なら、利休に自分を殺す気はなかったという事になる。

 それどころか、ただ己が目指す数寄を守るためだけに、子供の様な我儘でもって壮大なる唐入りを阻止しようとした事になる。


「殿下――。まさかとお思いでしょうが、策には『得をする者』と『損をする者』が必ずおりまする。利休様の策が成れば、殿下と利休様の『損得』は成立いたします――。ゆえに何も不思議な事はございません」


「むむむ」


 左京の真骨頂である『損得勘定』――。人間の欲望に基づく、その絶大な説得力に秀吉も何も言えなくなる。


「阿弥陀堂に投げ込まれた和歌も利休様のものですね? そしてあからさまに毛利様を連想させたのも、唐入りの道である西国が不穏であると思わせたかったのですね?」


「左様でございます――。しかし賊が小早船を用いたにもかかわらず、小早川様が落ち着いておられたのには少し驚きました。もしやあらかじめ手を回しておられましたか?」


「ご明察の通りです。小早川様には、親父殿――黒田官兵衛様に頼んで、茶会の席で何があっても平静を保つ様にと、言いふくめておいていただきました」


 そう言って左京は、年相応のいたずらっぽい顔つきで隆景を仰ぎ見る。


「私も、さすがに小早船まで用いるとは思っておりませんでした――。なので、官兵衛殿から仔細を聞いておらねば、私とて輝元が何かしでかしたのかと疑うところでした」


 隆景も苦笑をまじえながら、左京の手配りに感服すると共に、その立役者である官兵衛にも目で謝辞を送る。


「竹中様のご推察の通りにございます。あの文は『陽動』でございました。西国が不穏である『可能性』がある――。そう思わせるだけで十分だったのでございます」


「――むむむ!」


 利休の告白により、ここまですべてが左京の予想通りであった事に、秀吉が驚愕する。

 だが左京による、真の解策(げさく)はここからであった。


「ですが、少し『損得勘定』が見合わないんですよね――」


 そう言って左京はうそぶいてみせる。


「――――⁉︎」


 それに、ここまで平静を保ち続けていた利休が、初めて動揺の色を見せた。


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