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【03】『治長』

「ワッハッハッハッ! あの織部という男は、ほんとにひょうげておるが、まさか辻で茶会を開くとはのう」


 中山道を進む間、淀殿の笑い声が止まらない。

 小谷への道中、淀殿は駕籠で進むはずだったが、天気の良い事もあって、ずっと左京と連れ添って歩いていた。


「で、他には何があったのじゃ?」


 淀殿は会えなかった間の、左京の解策(げさく)話を立て続けにせがんでくる。

 だが左京としても秘匿義務のある内容もあるし、そもそも随行者がわんさかといる中で、話せる内容も限られていた。

 そこに、


「よ、淀の方様――、そろそろ御駕籠にお戻りになりませんか?」


 と、乳母であり側近でもある大蔵卿局が、疲れた顔で声をかけてきた。

 大蔵卿局も、主人である淀殿が徒歩で歩く以上、自身も徒歩で随行していたのだが、やはり女人のため疲労が限界にきたらしい。


「ほーら、淀の方様が駕籠に戻られませんと、他の方々もずっと徒歩(かち)になりますよ」


 ちょうど話せるネタも尽きてきたので、左京はそう言って淀殿に駕籠に乗る事を促す。


「…………」


 淀殿はあからさまに不満そうに頬をふくらませるが、


「分かった――。じゃが左京は(わらわ)の駕籠の隣にいよ」


 と、それでもまだ左京と一緒に話を続けようとする。


「いやいや、私は道中の手配りもありますので――。大野殿、よろしいですか?」


 左京は振り返ると、これまでずっと二人の背後についてきていた男に交替を打診する。


「えーっ、治長(はるなが)じゃつまらーん」


 淀殿が駄々をこねる。


 名指しでつまらんと言われた男の名は、大野治長。

 大蔵卿局の息子である治長は、淀殿とは乳母子(めのとご)の関係であり、年も同じという事もあり、浅井氏時代から側近くに仕えていた存在であった。

 官位は従五位下修理大夫と左京と同格であり、和泉国と丹後国に合計一万石を賜る領主でもあった。


 今回の巡遊の警護も、秀吉の馬廻衆である治長の兵で構成されている。

 なので本来なら淀殿の側にいるべきなのは、治長なのである。

 だから左京は、それを本来の形に戻そうとしたのだが、


「――――」


 治長の方も、眉根を寄せて面白くないという顔をしている。

 淀殿に直球で、つまらないと言われた事もあるのだろうが、


(これは――、アレだな)


 左京は自分が嫉妬されていると、すぐに気付く。

 おそらく治長は淀殿に思慕の念を抱いている。

 そもそもが身分違いの恋であるし、今となっては淀殿は天下人の側室であるため、治長もそれは弁えているだろうが、かといって突然現れた左京の存在は許し難いのであろう。


(やれやれ……、めんどくさい)


 左京も半開きの目をジト目にして思案するが、ここは、

 ――では結構です。

 と言っても絶対にカドが立つだろう。

 同じカドが立つなら、身を引いた方がまだマシだと、損得勘定をはたらかせると、


「では大野殿――、お願いしましたよ」


 左京はそう言い残して、そそくさと行列の先頭に走っていく。


「あっ、左京――! もー、用事が終わったら早く戻ってこいよ。よいなー」


 背中に淀殿の声を聞きながら、左京は気が重くなる。

 淀殿一人でも手にあまるのに、勝手に恋敵認定までされるとは、想像以上の面倒くささであった。


 貴人の進行速度なので、初日である今日は、大津か草津まで行くのが限界だろう。

 小谷に行くには、番場から北陸道に入らなければならないが、明日以降なるべく速度を上げなくてはと左京は思案を巡らす。


 この旅行が長くなればなるほど、所領である美濃菩提山行きが遅れてしまう――。本来なら今すぐにでも領国入りしたい左京にとって、旅行プランの効率化は死活問題であった。


「左京――」


 そこに従者の不破イタチから声がかかる。

 忍びの者でもあるイタチは、姿を隠したままなので、左京はうなずくと列をそれて岩陰に入っていく。

 そして誰からも見えない事を確認してから、


「どうした、イタチ?」


 と呼びかけると、イタチが霞の様に姿を現した。

 左京にすればいつもの事であるが、警護の者たちが見たなら、これはちょっとした騒動になっただろう。


「まだ確かな事は分からないんだけど――」


 イタチはそう前置きしてから、


「たぶん、つけられていると思う」


 と、この行列が尾行されている可能性がある事を報告してきた。


「数は――?」


 左京もすぐに内容の確認に入る。

 周囲の警戒にあたらせていたイタチが、わざわざ進行中に声をかけてきた時点で、左京も心の準備はできていた。


「まだ十人はいない――。見たところ武装はしていなくて町民風の旅姿だけど、あれは武士に間違いないよ」


 若年ながら数々の血生臭い修羅場をくぐってきた、イタチの指摘だけにその信憑性は十分であるといえた。


「分かった――。逐一報告を入れてくれ」


「うん」


 イタチはそう言い残すと、また霞の様に消えていった。


(――狙いはなんだ? 淀の方様か?)


 左京は一人になると、すぐに推理を始めるが、なんにしても物証が少なすぎる。

 しかもまだ相手が尻尾を出してない以上、可能性だけで引き返す事を進言する訳にもいかなかった。

 となると、ここは事を表沙汰にしないまま、警戒を続けながら、進み続けるしかない。


(あー、まったく、なぜこうなる……)


 左京は新たに湧き上がった問題に、またしても頭を抱えたくなった。


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