【02】『エスコート』
「それはならぬ」
「な、ならぬって、どういう事ですか⁉︎」
聚楽第に、美濃菩提山への一時帰国を申請しに行った左京は、それを言下に否定する石田三成に動揺する。
「いいか、竹中左京――? お前は関白殿下の『解策師」なのだぞ。その出処進退を、お前の一存でどうこうできると思うな」
「しゅ、出処進退って――」
三成の大げさな言い様に、
「ただ唐入りのために、領国の状況を確認しに行きたいだけでしょう⁉︎」
左京も口を尖らせながら反論する。
だがこの後、事態は思わぬ方向に進んでいく。
「とにかく、ならん――。お前には、殿下からのご下命がある」
「えっ――?」
左京は猛烈に嫌な予感しかしない。
「な、何か事件ですか……?」
「…………。淀の方様を――、小谷までお連れしろ」
自分で言っておきながら、その内容に心なしか三成も微妙な顔をしている。
「あの……、どういう事でしょうか?」
何か事件だと思っていた左京は、さっぱり意味が分からない。
だが淀殿の名前を出された事によって、その胸の内は大きくさざ波立っていた。
「鶴松様を亡くされて、淀の方様も大変心を痛めていらっしゃる――」
「…………」
三成の言葉が、左京の心をチクリと突き刺す。
左京とて淀殿の事は気がかりだった――。とはいえ、一介の小領主の身分では、どうする事もできないでいたのだ。
そこに思わぬ形で淀殿の名前が出てきた事は、まさに運命のいたずらであった。
「殿下は共に有馬に行く事もお勧めになったのだが、淀の方様はそれをお断りになり――、その代わりに、小谷に参りたいと仰られたのだ」
小谷は淀殿の生家である、浅井氏の居城があった場所である。
天正元年(一五七三年)の『小谷城の戦い』で、織田信長により浅井氏が滅亡した後、小谷城は廃城となっており、今は秀吉の甥秀次の領地になっている。
(これはあれか――、傷心旅行というやつか?)
気付いた心を癒すため思い出の地に――、生家に戻りたいという気持ちは、女子であれば当然だろう。
そこは左京にも理解できるのだが、
「で……、なぜ私がお連れするのですか?」
その点がまったくもって分からない。
京から小谷のある近江国一帯は、秀吉一族の直轄領である――。別に随行が左京でなければならない理由はない。
「――――」
三成は深いため息をつくと、
「淀の方様からのご指名だ――。供は竹中左京がよいと――」
「えっ――⁉︎」
これには左京も素直に驚く。
呪詛疑惑事件を通じて、淀殿とは浅からぬ仲にはなったが、それでも彼女は天下人の側室である。
そんな事を、
(関白殿下がお許しになるはずが――)
「関白殿下もお許しになっている」
いつもとは真逆に、まるで左京の心を読んだかの様に、三成が言ってきた。
「…………」
左京の顔付きも厳しいものになっていく。
左京は美濃菩提山の領主でもあるが、今は秀吉直属の臣下――、いや私兵といってもいい立場である。
その秀吉が許可しているという事は、もはや淀殿の意向にも逆らえないという事であった。
(だが――)
左京には、先にやるべき事がある。
「あの……、菩提山に戻った後では――」
「ダメだ――。淀の方様は、すぐにでも出発したいと仰られている」
(なんだよ! せめて最後まで話を聞いてくれよ!)
苦りきる左京に、
「淀の方様もお辛いのだ――。お前も豊臣の臣下なら、そこを察して差し上げろ」
三成は諭す様に言ってくる。
「…………」
こうなると立場的にも、人としても左京は応じるしかなくなってしまう。
とはいえ、左京も淀殿に会いたくない訳ではない。
むしろ幼子を失った淀殿を慰めてもやりたいし、その再会に心ときめくものがある事も事実だった。
だが、
(なぜ――、なぜ、今なのだ⁉︎)
火の車の竹中家の財政事情を、唐入りまでに立て直したい左京にとって、これは痛恨事であった。
そして五日の後、淀殿の傷心旅行ツアーは出立の時を迎える事となった。
(…………)
聚楽第の奥御殿の前で、左京はそわそわしてしまう。
――淀殿を慰めてやりたい。
そう思ってはいたが、いざとなると、どんな顔をして会えばよいのか分からない。
気丈でお転婆な淀殿が、もし打ちひしがれてでもいたら――。そう思うと、左京は胸が苦しくなってくる。
「淀の方様――」
そんな時、奥御殿の玄関から、女中の声が聞こえてきた。
「――――!」
どうやら淀殿が、支度を終えて出てくるらしい。
それと同時に、左京も次第に鼓動が速くなっていく。
そして現れたのは、
「おお、左京! 久しいのー!」
全身を艶やかな小袖で着飾った、満面の笑みの淀殿であった。
「――――⁉︎」
それはそれで、左京は息が止まりそうになる。
「フフン、妾は温泉で湯治など好かんでな――。それに過ぎた事を悔やんでも仕方がない。ここはパーッと遊んで鶴松を弔ってやろうぞ!」
淀殿は晴れやかな声で言うと、素早く駆け寄り左京の腕を取ってくる。
「さあ、行くぞ! 道中、これまでの解策の話など聞かせてくれ」
(こ、この女は――!)
左京は、ここまで淀殿をどう慰めようかと、頭を悩ませていた事が、阿呆らしくなってさえくる。
「さあ出発じゃ!」
(なぜ……、なぜこうなった――⁉︎)
引きずられる様に進む左京は、予想外すぎる展開にもう訳が分からなくなっていた。
傷心旅行と思いきや、まるで物見遊山に向かう様な淀殿と、それをエスコートする事になった左京。
とんだ傷心旅行の始まりであった。