【10】『豊鑑――黒田家軍資金横領事件 控』
三成の厳しい喚問により、関与を認めた武家衆の自白から、摂津屋の犯行内容が明らかになった。
主犯は番頭の文兵衛であり、当主である兄の新右衛門が病床に伏しているのをいい事に、手代の平吉と共謀して摂津屋の名を騙り、詐欺行為をはたらいたというのが全貌らしい。
なぜ『らしい』という言い回しかというと、捕縛の上、詮議と決めた三成が摂津屋に兵を差し向けたところ、
「おのれ犬畜生にも劣る武士共め! 私はお前らの思い通りにはならんぞ!」
文兵衛はそう叫ぶなり、短刀で喉を突いて自害したという。
騒ぎに様子を見にきた新右衛門も、亡骸になった弟と、初めて知ったその罪状に昏倒すると、そのまま息を引き取ってしまったという事だ。
信長の焼き討ちを金で回避した堺。抗い焦土と化した尼崎――。その両方に振り回されたといえる、とある商家の末路であった。
だが左京によって阻止されたとはいえ、文兵衛の横領策はなかなかに巧妙だった。
文兵衛は借財の『踏み倒し』などで、会合衆から相手にされなくなった貧しい小領主たちを主客として商いを行っていたが、それらの武家に『利息の帳消し』と引きかえに詐欺を持ちかけたという。
その手順をおさらいするとこうなる。
格安で米を提供してもらうはずの前金を、手代に持ち逃げされる。
その金を使い果たした手代は進退窮まり首をくくるが、雇用主である摂津屋も返済資金がない。
責任を取り摂津屋は店を畳み、騙された武家衆はこれを理由に、唐入りの軍役減免を求める。
簡単に言うとこういう事だが、もし黒田家が――、その執事である幸徳が騙されていなければ、完全犯罪になった可能性さえあった。
なぜなら普段、摂津屋と関わりのなかった黒田家は今回『おまけ』で被害にあったからだ。
黒田家に手を出したのは、隠蔽工作のため始末された平吉が、独断で色気を出した結果らしい。
文兵衛にしてみれば、まぬけな大身武家がついでに引っかかってくれたと喜んだだろうが、まさか長政に泣きつかれて、『解策師』竹中左京が乗り出してくるとは思ってもみなかっただろう。
つまり黒田を巻き込んだのは、文兵衛にとって僥倖と思いきや、予想外の誤算となったのだ。
そして今井宗久からの情報通り、復興した尼崎を調査してみたところ、文兵衛の息のかかった別の摂津屋が、新たに店を構えていたという。
だが営業している様子がない――。三成の手の者が踏み込み土蔵を捜索すると、そこには武家衆から狂言で騙し取った金貨、銀貨、渡来銭がうず高く積まれていたという。
喚問を受けた武家衆の供述では、政権側から検閲が入ってもいい様に、一旦は金を摂津屋に渡し、唐入り後に返却してもらう。摂津屋は預かった金を、返却までは新たな事業の運転資金にしてもよい――、という約定だったという。
これは現代でいうところの、ペーパーカンパニーを利用したマネーロンダリングにも似た周到さであった。
ともあれ無事に横領された金も回収された。
それを三成は、関白秀吉の承認のもと各武家衆に返却し、あわせて今回の件を不問にする代わりに、唐入りへの絶対服従を誓わせたという。
こうして今回の横領事件は、十家もの武家を巻き込み、『見えない犯罪』となりかけたが、左京の『損得勘定』のおかげで、結果的に豊臣政権は唐入りに向けて大きな『得』を得る事となったのであった。
「あー……金が足りない……」
事件が解決してから、左京はまたこの調子であった。
とはいえ、今回の捜査は正式に秀吉から依頼されたものではないので、もちろん報奨金も出ていない。
まさに左京にしてみれば、骨折り損のくたびれ儲けなのだがら、唐入りを前にまたこうなってしまうのも、致し方ないと言えない事もなかった。
だが従者の不破イタチは、もう前の様に苦言は呈さない。
兄の幸徳を救ってもらい安堵した事もあるが、これが我が主のあるべき姿だと、あらためて思い直したからだ。
――きっと竹中左京という男は、最後はなんとかしてくれる。
口には出さないが、そういう絶対の信頼感であった。
「あー、やはり出家してしまうか……」
そんな世迷言を言いながら、左京が自邸の床を転げ回っていると、
「左京、ちょっといいか?」
と、また『いつもの様に』長政が訪ねてきた。
「ゲッ――⁉︎」
見れば今日は幸徳も連れてきている。
長政だけならともかく、思わぬ随行者に左京は警戒心をあらわにするが、主従は何食わぬ顔でニコニコと微笑んでいる。
「で――、今日はなんの用だ?」
まったく何が楽しいんだかと、左京は苦い顔になる。
「ああ。お前に『報告』と、あらためて『礼』をと思ってな」
「報告?」
「今日、三成殿を通じて、摂津屋に騙し取られた四十両が戻ってきた」
長政がそう言うと、後ろに控える幸徳も深々と頭を下げてきた。
「あー、それは良かったな」
別に自分の懐には関係ないので、左京はそっけない返事をする。
「これで幸徳も黒田家に残る事ができる」
「――――! お、おお、それは良かったな」
幸徳の黒田家残留に、左京は打って変わった好意的な反応を見せる。
もし幸徳が竹中家に帰参という事にでもなれば、今度は確実に左京の懐に打撃を与えるからだ。
「あと堺の今井宗久殿が、特別に金四十両で米五千石を融通してくれる事になった」
「――――⁉︎ な、なんでだ⁉︎」
続く報告に、左京は血相を変える。
宗久は今回、武家への補償はしないと明言していた――。なのに幸徳が騙された『相場よりも十両も安い金額』で、同じ様に米を売ってくれる事が理解できなかったからだ。
「はい。今井様は、左京様と同席された長政様の事もいたく気に入られ、今回だけ特別に――、との事でございました」
これには執事の幸徳が嬉しそうに答える。
確かに宗久は、普段から誠実に商いをする幸徳に好感を持っていたし、先日の面会に押しかけ同然で同席した長政の、『馬鹿正直』で『清廉潔白』な人柄もいたく気に入った様子だった。
(いや、いやいやいや、だからといって――)
ここまで骨を折ったのは自分ではないか――。なのに長政が、漁夫の利を得る様な形になった事に、左京は悶絶しそうになる。
(差額の半分でいいから、よこせ!)
と言ってやりたかったが、なんとか踏みとどまった。
イタチがニヤニヤとこちらを見ていた事もあったが、さすがに美濃菩提山の領主としてセコイと思ったからだ。
(やれやれ、なぜこうなった……)
そしてまたもや左京は、いつもの様に己の運命を嘆くしかなかった。
だが、
「今回は本当に、お前には世話になった――」
(そう思うなら金をくれ……)
「それについて、礼をしたいのだが――」
「なに⁉︎」
そういえば長政は、『報告』と『礼』と言っていた事を左京は思い出す。
「先ほど父上に会って了承を得てきたのだが――、もし唐入りが始まった際、竹中家が課された軍役を果たせそうにない場合、その足りない分は黒田家が補填する」
「――――⁉︎ ほ、本当か⁉︎」
左京の目の色が変わる。
長政は黒田家の当主であるが、実質的な権限を握っている官兵衛も承認してくれたのなら、これは空手形ではないからだ。
「そ、そうか――。その節は……頼む」
笑顔の長政に、左京はそう言ってうそぶいてみせる。
だが、これで思い悩んでいた金の問題から解放される――。平静を装いつつも、左京の心はもう黒田に頼る気で満々であった。
イタチも、おそらくこの事を長政に進言してくれたであろう、兄幸徳と目を合わせ笑いあった。
不破幸徳の金策が原因で起こった、米五千石を巡る今回の横領事件。
だがこれは、左京にとっても思わぬ金策となって、美濃菩提山五千石にも、大きな『得』をもたらす結果となったのであった。
第四話、完結です。
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