【06】『有馬大茶会』
(まー、これは大層なものだな――)
蘭若院阿弥陀堂にて、ついに始まった有馬大茶会の規模に左京は目を見張る。
屋外に何十枚と敷き詰められた上質の畳。それを囲う、金糸を豪華に使った桐の紋の陣幕。そのまた背後に、花のごとく鮮やかに色づいた何百もの紅葉。
これはもはや茶会というより、一種の宴会の様に左京には思われた――。一言でいえば『派手』なのである。
その真ん中には、今回の茶会の主人である豊臣秀吉が天下統一の偉業を誇る様に、これまた『ド派手』な陣羽織姿でふんぞり返っている。
もう茶会の作法も何もあったものではない――。だが天下人には、それをねじ曲げる権利があるのである。
一方で、それを無視するかの様に、茶頭を務める千利休が鮮やかな手前で茶を立てている。
そして、やはり派手な唐物茶碗を、ついと秀吉の前に差し出した。
「フン。気に食わんという顔をしておるの――。おお? 利休よ」
「いえ――」
秀吉の挑発に、静かに、だが重い声で利休が応戦する。
(これは、もはや喧嘩だな)
警護の列から見ている左京は呆れてしまう。
秀吉と利休は、かつては『茶の湯』という政治手段を通して蜜月の関係であったが、近頃ではその関係が冷えてきたと聞いている。
つまりは秀吉の『動』――すなわち『派手』と、利休の『静』――すなわち『侘び』が噛み合わなくなってきたのである。
今も秀吉は、わざと利休の好みに合わない派手な唐物の茶碗で茶を立てさせた。
そんな光景に茶会の列席者だけでなく、警護の者たちも息を呑むが、
(さーて、仕事をしようか)
と、左京は場の空気などお構いなしに、マイペースに周囲に目を配り始める。
秀吉の暗殺を食い止め、またその背後にある謎を解く――。それが『解策師』として左京に与えられた使命なのである。
(それにしても広い……)
状況は屋外――。なので万が一、刺客が現れても逃げ場は十分にある。また茶席が無駄に広い分、秀吉に到達するまでには、かなりの距離がある。
もしそれを計算に入れているのだとしたら、やはり豊臣秀吉という男は只者ではない。
もちろん弓鉄砲という手段もあるが、周囲には元々秀吉が連れてきた千人の兵と、追加の黒田の兵が五百。それに昨日到着した秀吉の弟秀長が派遣してきた大和勢千人が、鉄壁の守りを敷いている。
しかも有馬のある摂津は、秀吉の直轄領――。たとえ有事があっても、半日乗り切れば畿内の豊臣軍が駆けつけてくる。どう考えても、秀吉を殺せるとは思えなかった。
(やはりこれは、陽動だな――)
左京はあらためて、今回の脅迫状をそう結論づける。
(なら、誰がこの事で『損』をして、『得』をする――?)
損をする人間は分かる――。殺される秀吉だ。
だが得をする人間が不明瞭だ。
もちろん秀吉を殺したい人間は山ほどいるだろうが、そういう意味ではない――。もっとこう、それによって『歴史が動く』様な動機だ。
秀吉によって天下は統一された――。その支配をひっくり返したいのだろうか?
その線から、『有馬の西は浄土にて――』という脅迫状の謎かけと合わせて、西国の毛利を疑ってみたが、どうにもしっくりこなかった。
そもそも毛利は、本能寺の変直後から親豊臣路線だったし、それなら秀吉と敵対した徳川、長宗我部、島津の方がよっぽど辻褄は合う。
それに脅迫状の和歌に、わざわざ毛利の使僧である、安国寺恵瓊を連想させる文言を入れた点も、気に食わない。
(見え見えすぎる――。やはり毛利は囮か?)
左京が思案をめぐらせていると、その親豊臣路線を主導した毛利の参謀、小早川隆景が秀吉に続いて、茶を供される番となった。
「隆景よ。西国はどうじゃ?」
秀吉が不敵な笑みで、隆景に問いかける。
「はっ。関白殿下のご威光の下、毛利、小早川ともに安泰にございます」
よどみのない口調で、隆景が即答する。
小早川隆景――。この時、五十七歳。彼はその才を秀吉に見込まれ、西国九ヶ国に渡る毛利本家百十二万石とは別に、筑前、筑後、肥前に渡る約三十七万石の領地を与えられていた。
それはある意味、毛利と小早川のラインで、西国から九州北部は固められているといっても過言ではなかった。
そしてそれを裏づける様に、秀吉が驚愕の発言をする。
「よいか隆景。儂は来年には、唐入りして明を征服するぞ――。しからば毛利、そして小早川には存分に働いてもらうゆえ、期待しとるからな」
「――――⁉︎」
茶会の会場全体に、衝撃が走る。
唐入り――。後世に文禄・慶長の役と呼ばれる、豊臣秀吉による大明帝国征伐であった。
それを天下統一直後の、しかも西国の代表ともいえる小早川隆景の前で宣言した事は、秀吉の並々ならぬ決意の表れであった。
だが海外遠征ともなれば、参戦諸将が負担する戦費は莫大なものになる。
その尖兵に毛利と小早川が指名された――。すなわちこの時点で、左京がいうところの毛利・小早川両家の『損』が確定した事になる。
果たしてそれに隆景がどう出るか、左京は注目する。
「関白殿下の壮大なるご意志――。小早川隆景、毛利を代表して承りましてございます」
周囲の動揺に反して、隆景は落ち着いた所作で、深々と頭を下げると、唐入りに恭順の意を示した。
(よし――)
左京は心の中で手を打った。
次の瞬間、
「よいか、皆も聞け――。儂は信長公のご遺志を継いで、唐天竺まで、すべてを征服してみせるぞ!」
隆景の返答に気をよくした秀吉が立ち上がり、高らかに声を上げる。
「――――! 殿下、この石田三成も微力ながら、お供つかまりまする!」
突然の事に皆が答えに窮する中、警護の中から三成が先陣を切って進み出ると、そう言って平伏する。
するとたちまち、それに遅れてはならじと、
「ははーっ!」
と、誰もが三成にならって地に這いつくばった。
(おお! 集団心理というのは恐ろしいな……)
「お、おい左京!」
突っ立ったまま状況を平然と眺めている左京を、隣にいる長政が慌てて肩を掴んで平伏させる。
(あーやだやだ。明とか絶対に行きたくないぞー)
仕方なく地面を見つめながら、思わず左京は顔を歪めてしまう。海を渡って異国に行くなんて、考えただけでも面倒くさすぎる。
(日ノ本を全部手に入れたんだから、もう十分――とは思えないのが、為政者の性なのか……)
そんな事を考えていると、不意に静かながら低く通る声が、耳に飛び込んでくる。
「関白殿下――。あなたは信長公ではございません」
左京だけでなく、皆が顔を上げる。
それはまさに場の興奮に水を差す――、言葉による襲撃だった。
「利休……」
秀吉が怒りに声を震わせ、利休を見下ろしていた。
これは左京にも、予想外の展開であった。
天下統一後、豊臣政権の次の政策として宣言された唐入り――。それは大きな波紋となって、ここ有馬の地を揺るがそうとしていた。