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【05】『宗久』


「茶は――、お嫌いですか?」


 堺の豪壮な屋敷の中にある茶室――。そこで法体の老人が、浮かない顔をする左京に優しく語りかける。

 その老人こそが――、堺を取り仕切る会合衆のリーダー、今井宗久であった。


「はあ、実は――」


 左京も宗久の好意的な反応に、腹蔵なく古田織部との一連のやり取りを、困り顔で話す。


「――――。ハッハッハッ!」


 宗久はその奇想天外が話がよほど面白かったらしく、茶の湯の席ながら腹を抱えて豪快に笑いだした。


「そうですか、そうですか……。それは難儀でございましたな、ハハハッ」


 宗久はまだ笑いが収まらないが、そう言って左京に理解を示してくれる。


(これは存外、御しやすいか?)


 左京は一見、人のいい老人に見える宗久を注意深く見つめる。

 かつて宗久は、織田信長や足利義昭とも互角に渡り合った男といわれているが、今のところその片鱗らしきものは、どこにも見られない。


(だが……、この人には隙がない)


 左京は話を切り出す糸口が見えないまま押し黙る。

 石田三成の名代という立場で、こうして面会までこぎつけたのは、詐欺にあった黒田家の損害を救済してもらうのが目的である。


(さて、どうしたものか……)


 一度は拒絶された交渉だけに、一筋縄ではいかない事は覚悟していたが、この状況はある意味、出鼻をくじかれた様なものである。

 そして――、さらに先手を打ってきたのも宗久の方であった。


「おお、そうだ――。織部殿といえば、その師の宗易殿も、竹中様をえらく気に入っておりましたな」


「利休様が?」


 宗久が利休の名を出してきた事に、左京は素直に驚く。宗易とは出家した利休の法名である。


「ちょうど堺に蟄居となっていた時に会ったのですが――、『損得勘定』でもって策を見抜く、『解策師(げさくし)』殿に負け申したと、楽しそうに話しておられましたよ」


「…………」


 さすが千利休、そして津田宗及と共に『天下三宗匠』と呼ばれた宗久の情報力であった。

 有馬での秀吉暗殺予告事件を、利休から打ち明けられていたのなら、すでに左京の素性を把握していても不思議ではない。

 その上で、


(ここで『解策師(げさくし)』の名を出してきたという事は――)


 それに何らかの意味があると左京は思った。


 左京のもう一つの目的は、三成から依頼された摂津屋の動きを探る事にある。

 果たしてこの食えない老人から、


(いったい、どれだけの情報が引き出せるのか……)


 左京が緊張していると、


「竹中様――。なぜ会合衆が、いえ私が摂津屋の横領について、黒田様に補償をしないとお思いですか?」


 なんと摂津屋の件についても、先に仕かけてきたのは宗久の方であった。


「…………」


 左京は即座に返答ができない。

 意表を突かれた事もあったが、宗久はわざわざ『解策師(げさくし)』の名を『損得勘定』と共に、先に出してきた。


 そこから推測して、


(これは――『謎かけ』に違いない)


 左京はそう解釈した。

 つまり宗久は自分の意図を、『損得勘定』で解いてみろと挑戦してきたのだ。


 だから左京は迂闊な返事はしない。

 ここは将棋の長考の様に時間をかけ、『解策師(げさくし)』の脳をフル回転させるべきである。

 宗久もそれは分かっているので、黙り込む左京をずっと待ち続けた。


(金四十両――。それが惜しいからではないはずだ)


 黒田家にとっては大金だが、堺衆にすればそれは微々たる金額だろう。場合によっては宗久個人で補償する事もたやすいに違いない。


(だが、それをしない理由はなんだ? 会合衆に逆らい続けた摂津屋への意趣返しか? いや、この人はそんな小さな人間ではない)


 それなら視点を変える必要がある――。今井宗久という人間の、そして商業都市堺の背景を、広い視野で考えるのだ。

 だが正直、左京は堺の事情について詳しくはない。反会合衆というものが存在する事も、三成に教えてもらって初めて知ったくらいなのだ。


「――――⁉︎」


 そんな左京でも知っている事があった――。そしてそれが見事に『損得勘定』と噛み合うと、左京は沈黙を破り口を開いた。


「武家には――、もう屈しないという事ですか?」


 織田信長の理不尽ともいえる矢銭(軍資金)要求――。堺を守るためとはいえ、それに屈した宗久にこの解答を告げるのは、なかなかに勇気のいる事だった。

 だが宗久は満足そうに頷くと、


「お見事です、竹中様――。さすがは宗易殿が見込んだ『解策師(げさくし)』殿ですな」


 と、左京の答えが正解であると認めてくれた。


「信長公に続き、堺は関白殿下の支配を受けております――。奉行の派遣、そしてついには自治都市としての誇りであった、堀まで埋められてしまいました……」


 宗久の言葉には、これまでの人生における、おそらく隠し続けていたであろう無念が滲み出していた。


「ですが私どもは、心の誇りまでは捨ててはおりません――。もし抗えるのなら、抗える時は抗って参ります」


「――はい」


 黒田家を救いに来たはずだが、左京は宗久の考えに素直に頷いていた。


 かつて宗久は、武家に屈するという『損』をもって、堺を守るという『得』を得た。

 今また宗久は、武家に抗うという『損』でもって、己の誇りを守るという『得』を得ようとしている。


 一見、矛盾している様だが、『損得勘定』は見合っている。

 だからこそ左京は、宗久の『謎かけ』を解く事ができたのだ。


「いや、つい喋りすぎてしまいましたな――。なるほど竹中様は不思議な魅力をお持ちだ」


「……そうでしょうか?」


 宗久からの思わぬ称賛に、左京は苦笑する。


「もうお武家様など辞めて、いっそ商人(あきんど)になられたらいかがですか?」


「…………」


 なるほど商人こそ『損得勘定』が必要な稼業であり、その点、左京は自分でも向いているかなと考えてしまう。

 だがふと脳裏に長政、そしてイタチや幸徳たち守るべき者の顔が浮かぶと、左京はそっと目を閉じ思い直す。


 当然、宗久も小禄とはいえ美濃菩提山の領主が、その身分を簡単に捨てられない事も分かっているはずである。

 なので左京は目を開くと、ここはひとつ冗談には冗談で切り返す事にした。


「儲かりますか?」


「うーん、ぼちぼちですかな」


 それから二人は、顔を見合わせ笑い合った。

 そして左京は、宗久から黒田家の損失の補償は引き出せなかったものの、その代わりに摂津屋の内情という貴重な情報を得る事ができた。


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