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【03】『会合衆』


「はあ⁉︎ 横領――⁉︎」


 さすがの左京も面食らってしまう。


「――で、いくらだ?」


 そして顔色を変える。

 貧乏生活が長かったせいか、左京は金にはがめつい。

 なので本来なら、「誰にだ?」と聞くところを「いくらだ?」と聞いてしまった。


 だがそれでも、左京的には間違っていない。

 だから長政が果たして、いかほどの金額を言うのか固唾を呑んで待った。


「き、(きん)……、四十両だ」


「よ、四十両⁉︎」


 桁外れの金額に、思わず左京も叫ぶ。

 この当時の金は一両でも大金だったからだ。


 目安として当時は米一石が銀十(もんめ)として、金一両は銀貨で千匁だった。

 美濃菩提山の総生産の話で、一石を現代通貨で五万円と換算したが、その計算でいくと四十両は約二億円という事になる。


「よ、よ、よ……」


 左京は開いた口がふさがらない。

 先にも触れたが、左京の美濃菩提山五千石の総生産額は約二億五千万円。歳入については約一億六千万である。

 つまり金四十両は、左京の年間歳入を軽く超えていたのだから、このリアクションも当然であった。


「さ、左京……?」


 さすがに長政も、硬直したままの左京が心配になる。

 黒田十二万五千石との国力の差を、まざまざと見せつけられた左京だったが、大きく肩で息をすると、なんとか立ち直る。


 そして、


「で、誰に横領されたんだ?」


 と、しかめっ面になりながらも、ようやく事件の犯人について言及した。


「堺の……摂津屋という米問屋だ」


「米問屋? 商人に金を騙し取られたのか?」


 それはそれで左京は首をひねる。

 堺であれば、豊臣政権の管理下にあるので、不正があれば訴え出ればいいからだ。


「石田殿には知らせたのか?」


 左京はさらに石田三成の名前を出す――。なぜなら三成は元堺奉行であり、今も間接的に堺を統括している責任者でもあるからだ。


「もちろん訴え出たが……」


「たが?」


「どうやら『会合衆(えごうしゅう)』が反発しているらしい」


 長政はそう言って、肩を落とす。


「会合衆が……」


 左京の顔付きも厳しいものになる。

 会合衆とは、自治都市における意思決定機関の事である。


 堺はかつて織田信長からの軍資金要求にも、自治都市の意地として徹底的に反抗したが、結局は会合衆のリーダー格である今井宗久の仲介により要求を受諾――。結果、事なきを得る事ができたという過去がある。

 ちなみに同じく要求を断り続けた尼崎は、翌年信長によって焼き討ちにあっている。


 以来、堺は自治都市としての自立性は失われたが、信長と協調する事で、国内最大の商業都市の地位を得る事となった。

 それは信長亡き後の豊臣政権でも同様であり、環濠(堀)は埋められたものの、三十六人からなる会合衆の発言力はいまだ大きく、政権側もその意向はけっして無視できないものだったのだ。


 左京もそれは知っているので、長政がここまで頭を悩ませている理由がようやく理解できた。


「………………」


「うわーーーっ!」


 二人の沈黙に耐えかねて、幸徳が顔を伏せて泣き出した。


「この上は私が堺に赴き、会合衆の前で腹を切って嘆願いたします!」


「ま、待て幸徳――⁉︎」


 自害を口にする幸徳に、長政が慌て出す。


「おい――。今回の事には幸徳が関わっているのか?」


 だんだん状況が分かってきた左京が、顔を引きつらせる。


「はい、左京様。私が摂津屋に騙されてしまったのです」


「いや、左京。幸徳は唐入りの兵糧を安く調達しようと、懸命に動いてくれたんだ」


 己の非を認める幸徳を、長政が必死に弁護する。


(あー、もー……)


 勝手にしてくれと言いたげに、左京はさらに苦い顔になる。


「左京――」


 その時、イタチが左京の袖を引いた。

 振り返るとイタチは、いつもらしからぬ、しおらしい顔で左京を見つめていた。

 その目は無言で――、『兄を助けてほしい』と訴えかけていた。


(こ、こいつ――!)


 イタチの反則技に、ついに左京は露骨に顔を歪める。

 だがここで断れば、完全に左京が悪者になる。

 しかも幸徳が自害する事にでもなれば、だらしない左京に代わって、長らく美濃菩提山を支え続けてくれている父親の矢足にも顔向けができない。


 果たしてイタチが、そこまで計算していたかは分からないが、とにかくこれで左京が完全に退路を断たれた事は確かだった。


「…………分かった。で、私は何をすればいい?」


「左京ーっ!」


 観念した様に呟く左京に、長政が歓喜と共に抱きついてくる。


「左京様、ありがとうございます」


 幸徳も顔を上げると、そのまま膝を進めて左京の足にすがりついてくる。


(お、おいおい――⁉︎)


 イタチも含めて三人にまとわりつかれる形となった左京は、あまりのうっとおしさに逃げ出したい気分になった。


(やれやれ……、なぜこうなった)


 そしていつもの様に、己の運命を嘆く左京に長政が依頼したのは、石田三成への会合衆との再交渉の嘆願であった。


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