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【25】『豊鑑――千利休亡霊事件 控』


 京の都に――、何も変わらぬ朝がきた。


 結局、また徹夜となった左京たちは、聚楽第で秀吉への報告を終えると、御殿を出るなり繰り広げられる排水作業の様子をまじまじと見つめた。


 聚楽第への水攻めは、地下坑道から水が噴射したものの、建物自体には大きな被害は与えなかったと聞いている。


(だがそれにしても、ちょっとした惨状だな……)


 白日のもとで見る現場に、思わず左京も引いてしまう。

 当然、水攻めの瞬間はかなりの騒動になったらしく、あらかじめ事を伝えてあった加藤清正、福島正則、加藤嘉明のトリオも、


「なんだか(いくさ)よりも疲れた気がする……」


 と、三人揃って状況説明に苦労した事をこぼしていた。


 とはいえ水攻めを断行しなければ、今頃、聚楽第は灰燼に帰していたかもしれないのだ。

 だから秀吉も、官兵衛の独断専行に何の罰も与えなかった。

 だが同じく蚊帳の外にされた三成は、相当おかんむりだったらしく、


「竹中左京――。お前はいつもそうだ!」


 会うやいなや、お決まりの台詞を左京に浴びせ、それからもしばらく金切り声を上げ続けた。

 それはさておき、すべての報告を聞き終えた秀吉の裁定である。


「そうか……」


 秀吉は感慨深げにそう呟くと、しばし黙り込んだ。

 貧しき茶人の乱とはいえ、一歩間違えれば『本能寺の変』レベルの弑逆事件となったのである。

 当然、多くの処罰者が出るのだろうと、左京も長政も緊張したが、


「今回の事は――、すべてなかった事にしておけ」


 なんと秀吉の裁定は、そのまったく逆のものであった。


「で、殿下――⁉︎」


 三成などは慌てふためくばかりだったが、左京には秀吉の思いが分かった気がした。

 だから本当の意味で、この事件に終止符を打つために、


「それが――、利休様の名誉を守る事になるのですね」


 左京はそう告げたが、秀吉は目を閉じ何も答えなかった。


「大義――」


 そして秀吉は、そう言い残し退出した。

 これによって、裁定は確定したのであった。


 重要参考人として一旦は拘束された古田織部も、すぐに釈放されて茶頭筆頭の地位もそのままであり、監物に加担したと疑われる茶人たちも、すべて不問とされて一切のお咎めなしであった。


 監物側が隠密行動を取ったのに対し、政権側も隠密に対処したため、洛中の民は今回の騒動には、まったく気付いていない。

 加えて秀吉が事を荒立てなかった事により、本当に今回の事件は『なかった事』になったのだ。


 それでも坑道を埋める作業の中で、火薬の導火線が聚楽第内に発見された事と、雇われた忍びとはいえ、禁裏近くまで曲者を引き入れてしまった点は反省材料であり、三成はじめ官僚たちは警備の見直しを迫られる事態となった。


 その一環として、破却後そのままとなっていた利休屋敷跡が整備され、更地(さらち)にされた上、外堀もその内郭まで延長される事となった。

 これにより秀吉は、利休という存在に『けじめ』をつけたとも見られなくなかった。


 芝山監物が歴史から姿を消し、古田織部、細川忠興といった利休の後継者たちが、新たな数寄の道を紡いでいく――。今回の事件は、そんな転換期の『利休の残照』だったのかもしれない。


 ともあれ左京は、また一つ歴史に残らない仕事をしてのけてしまったのであった。






「あー……」


 黒田屋敷の自邸で、左京は寝覚めの悪い朝を迎えていた。


 事件から一週間ほど経っているが、不眠不休の捜査が続いたせいか、あれから寝ても寝ても疲れが残っている気がする。

 長政も秀吉への報告の後は、共に黒田屋敷で泥の様に眠ったが、翌日にはケロリとした顔で政務に励んでいた。


 長政は黒田十二万石五千石の当主なので、休んでいる訳にもいかないのだろうが、左京の立場は秀吉のいわば私兵的な直臣である。

 なので一応、美濃菩提山に五千石の所領があるものの、秀吉の命がなければ三日に一度程度の出仕以外、自堕落に過ごしていても問題はない身分なのであった。


 とはいえ、食っては寝てを繰り返す主に、


「ねー、左京。いい加減、外に出ようよ」


 と、不破イタチが苦言を呈する。


「んー……」


 左京としては気が進まないが、このまま無為に過ごしていても仕方がないので、立ち上がり帯刀するとイタチを伴って京の街に出る。

 まるで今回の亡霊事件のスタート時の様であったが、特に目的がある訳でもないので、すぐ近くの堀川通りを二条、三条とぶらぶらと南下していく。


 だがやはり頭に思い浮かぶのは事件の事であり、足は自然と一条戻り橋へと向かい、元来た道を戻る事となった。


「おお、左京――」


 一条戻り橋には偶然、聚楽第から退出した長政がいた。

 やはり長政も左京と思いは同じだったのか、それから二人は並んで堀川の流れをしばし眺めた。


 監物が激流に飲み込まれた堀川は、今は嘘の様に穏やかな流れになっている。

 この場所で芝山監物という男が、歴史から消えた事など、往来の人々は知る由もない。

 だがそれでいいのだ――。左京たちはこの平穏のために、懸命に謎を解いたのだから。


「利休様の屋敷に――、行ってみるか?」


「ああ――」


 長政の提案に、左京も素直に頷いた。

 それによって左京にも『けじめ』になる――。長政の供回りと共に後に続くイタチは、主がこれでまた前に進める事に、そっとほくそ笑んだ。

 

 だが、


「さーさー、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! これが古田織部の『織部焼』でござるよ!」


 利休屋敷に行ってみれば、更地になったのをいい事に、なんと織部が即席の茶会を開いていた。


 しかもいつの間に揃えたのか、ぐにゃりとひん曲がったフォルムに、ふざけた絵付けの『織部焼』の新作が、所狭しと並んでいた。

 見れば織部は通行人に茶を振る舞いつつ、即売もやっている様子であった。


(こ、この人には反省するという思考がないのか……)


 左京は呆れてしまうが、ふとこれでいいのかもしれないとも思った。

 なぜなら、これこそが利休の『動』の後継者の役割に違いないのだから。


 とはいえ、こんな暴走超特急を止めるのは自分の役目ではない。

 そのあたりの役目は、新たに『静』の後継者となった細川忠興にでも任せて、猛烈に嫌な予感がする左京は、さっさとこの場を離れようと思った。


 だが織部は、目ざとく左京と長政を見つけると、


「あいや、竹中丹後守殿、黒田甲斐守殿、ご来場でござるな!」


 と、通行人すべての耳に入る様な大声で、素早く退路を断ってしまった。


(いやいや、なぜそうなる⁉︎)


 動揺する左京の手を引いて、織部が茶席に引きずり込む。

 こうなると長政も、苦笑しながら左京の隣に着座するしかなかった。


「さあさあ、皆様方――。『あふたぬーんてぃー』でござるぞ!」


(………………。な、なぜこうなった⁉︎)


 陽気に開会を宣言する織部の声に、左京は数寄者という者に当分――、いや金輪際関わりたくないと思うのであった。



 第三話、完結です。

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