前へ次へ
50/67

【24】『数寄者』


 辺り一面が闇の中、一条戻り橋に芝山監物の姿があった。

 監物はいつもと同じく貧しい平服で、その姿はとても秀吉暗殺という大事を目論んだ男には見えなかった。

 だが監物はやり遂げたのだ――。関白秀吉を弑殺する『一歩手前』まで。


 その原動力はいったい何だったのか?

 利休のための復讐。貧しさゆえの劣等感。数寄者としての意地――。監物自身も、きっと分からなくなっていたに違いない。


 もうすでに監物も暗殺の失敗を悟っている。

 激しく燃え上がるはずの西の空は、輝く星々が優しい光を地に降りそそいでいる。

 城外で戦闘が行われている様子もなく、雨が上がった洛中は、わずかに賑わいを取り戻してさえもいた。


 そしてふと監物は、夜間でも往来が多いはずの一条戻り橋の中で、自分が一人だけ取り残されている事に気付く。


 その眼前に、


「監物殿――」


 現れたのは左京だった。

 その後ろから長政が続き、さらにその背後には黒田勢が周辺を封鎖していた。


 反対側を振り返ると、同じく橋の周辺が軍勢によって封鎖されている――。その先頭にいたのは、誰あろう細川忠興であった。


 左京は水攻めが成功する前に、イタチを伝令として細川勢を聚楽第警護から、密かにここまで急行させていた。

 そして今、黒田勢をもって包囲を完成させたのだ。


 監物がここにいるのは勘であったが、左京には確信があった。

 数寄者というものは『こじれて』いる――。それならきっと始まりのこの場所で、監物も最後を見届けると思ったのだ。


「監物殿――。あなたの策は、すべて解策(げさく)いたしました」


 左京が監物に近付いていく。


「作用でございますか……」


 監物も覚悟はできていたらしく、どこか達観した表情だった。


「聚楽第の地下の火薬は、黒田官兵衛様の水攻めによって潰えました――。そしてあなたが雇った忍びの者たちも、焼き討ちの失敗を悟ると雲散霧消していきました」


「…………」


「ここも完全に包囲しました――。もう逃げられません」


 左京はそう言って、反乱の終わりを宣言する。

 そこに、


「監物殿……」


 黒田勢の中から、織部が進み出てきた。

 怒りに震えるか、罵声でも浴びせるかと思いきや、監物はそれを静かな顔で迎え入れた。


「監物殿。左京殿が言いよったのよ――。それがしは利休様の『動』の後継者で、監物殿は『静』の後継者じゃと」


「静ですか……。なるほど、そう言われてみれば、そうなのかもしれませぬな」


「なあ、監物殿。私はそなたの様には生きられん」


「作用、私も織部殿の様には生きられません」


「だがそれがしは、そなたの生き方に憧れていた――」


「私も同じです」


 静かながら息の詰まる様な会話に、一同黙ってその成り行きを見守る。

 そしてしばしの沈黙の後、今度は監物が織部に語りかけた。


「織部殿――。もしかすると私と織部殿は、利休様と関白殿下と同じなのかもしれません」


「憧れても、けっして同じにはなれぬ。そして互いを認めながらも、やがてぶつかっていく――。いやはや、人というものは因果な生き物でござるな」


「なれぬと分かっていても……、私もなりたかったのです。何かを打ち壊す者に」


「監物殿。左京殿に伺ったのですが、利休様は殿下を恨んではいなかったのですよ」


「存じております」


「私が茶頭筆頭になったのも、利休様の直々の推薦だったらしい」


「それも、そうだと思っておりました」


 分かっていて、これだけの犯行に及んだ――。それなら動機は私怨でしかない事に、あらためて一同は息を呑む。


「織部が進むなら止めるべし――。私もあなたの様に、そう言われる者になりたかった……」


「監物殿……」


「織部殿が私を必死に止めようとしてくれた時――。私はまるで自分が織部殿の様に、いや利休様の様になれた気がして嬉しかった」


 そう言って微笑む監物に、左京はもはや救えぬ狂気を感じた。


 ――ないものねだり。


 言葉にしてしまえば簡単だが、それを『こじらせ』れば、ここまでの大罪をも厭わないのかと、利休もそうだったが、左京は数寄者という存在の(さが)が悲しくなった。

 それでも左京は『解策師(げさくし)』である――。謎を解いた相手に同情はしていられない。


「だから豊臣という存在を、すべて消し去ろうとしたのですね――? 利休様を……超えるために」


 もはや供述は必要ないと、左京は会話に割って入る。


「ええ、そうです――。茶頭筆頭という地位を得られなかった私には、もう何も残ってはいませんでしたので」


 確かに監物は『動』の後継者――茶頭筆頭には選ばれなかった。

 おそらく『静』の後継者など、監物にとっては利休の『ただのコピー』に過ぎなかったのだろう。


「監物殿!」


 そこに監物と同じく、『利休のコピー』代表ともいえる忠興が、さらに割って入ってきた。


「監物殿、私も選ばれはしなかったぞ! それなのになぜ⁉︎」


 忠興はそう言って監物を非難する――。だが彼らの間には、けっして越えられない壁が存在していた。


 名門の嫡男として、生まれながらにすべてを持っている忠興。片やその身一つで戦国を生き抜き、なんとか一万石を得た監物。

 監物はそんな劣等感をバネにして茶人として成り上がり、今また『持たざる者』として、茶頭筆頭という栄誉を望んだに違いない。


 そこに『自分も同じだ』などと、空気を読めない忠興の発言はまさに逆効果であり、


(いや、ここはちょっと黙っていてくれ!)


 と左京も、ここで下手に監物に逆上されてはまずいと、舌打ちしたい気分になった。


 だが案に相違して監物は穏やかな顔で、


「忠興殿――。利休様の数寄を後世に継いでいってくだされ」


 と、まるで忠興に後を託す様な事を口にした。

 その姿に織部は、利休から監物へ、監物から忠興への『静』の継承を見る思いがした。


(まったく『数寄者』って生き物は……)


 やるせない思いに感極まった左京は、


「監物殿……、あなたも立派に利休様の後継者でした!」


 そう叫ぶ事で、この事件を総括する。


「そうですか……。でも、もうすべて手遅れです」


 もはやこれだけの大罪では、死罪は免れない。

 それを理解した上での監物の言葉に、織部と忠興は思わず涙した。


「そうだ監物殿――、これを持っていきなされ」


 そう言って、織部は懐から利休の手紙を取り出す。


「おや、織部殿がそれをお持ちとは――。数寄の道だけでなく、手癖も悪うござったか?」


「いやいや、盗み出したのは左京殿でござるよ。いやはや冤罪、冤罪」


 二人はそれから顔を見合わせ、笑い合った。

 次の瞬間、突然の突風に織部の手から、利休の手紙が宙に舞った。


「利休様!」


 それを追いかけ手紙を掴んだ監物の体が――、橋の欄干から大きく飛び出していた。


「――――⁉︎」


 一同が呆然とする中、激しい水音と共に監物が堀川に吸い込まれた。


「監物殿!」


「やめろ、左京!」


 橋から身を乗り出す左京を、長政が後ろから羽交い締めにする。


 堀川は現代と違い、当時は川幅約十五メートルの中規模河川である。

 加えて折からの長雨で増水した上、まるで激流の様な流れになっていた。


 皆が見守る中、沈んだ監物の姿は、浮かび上がる事もなく、まったく見えなくなった。

 おそらくすでに、はるか下流まで流されているに違いない。


「…………」


 誰の口からも言葉が出なかった。


 こうして首都京都を舞台とした、貧しき数寄者による政権転覆事件は、あっけなく幕を閉じた。


前へ次へ目次