【05】『利休』
「そ、そんな事が……」
父である官兵衛から、左京の秘密を聞き終えた長政が呆然とする。
日ノ本六十余州を統べる豊臣政権――。その内部にうごめく闇を暴く『解策師』。
そんな過酷な使命を背負わされた幼なじみの運命に、長政の胸は猛烈に掻きむしられた。
「さ、左京ーっ!」
そして長政が、いきなり左京を抱きしめる。
「お、おい⁉︎」
「大丈夫だ。俺がお前を守ってやるからな!」
困惑する左京に構わず、もはや庇護欲のかたまりとなってしまった長政は、その重たすぎる愛情を全身で表現し続ける。
「カッカッカッ」
そんな息子の暴走に、官兵衛は腹を抱えて笑っている。
(クソッ、やっぱり長政に教えるんじゃなかった)
左京は小柄な体を、たくましい長政の胸で揉みくちゃにされながら後悔するが、後の祭りであった。
「あーもー、まったく! 親子そろって、うっとおしい!」
「左京、黒田十二万五千石がお前にはついているからな!」
もはや会話さえ噛み合っていなかった。
そこに突然、切り裂く様な声が飛んでくる。
「黒田長政、なぜ貴様がここにいる⁉︎」
左京と長政が同時に目を向けると、そこには石田三成が鬼の形相で立っていた。
だが三成は、左京の姿を認めると、
「竹中左京……。またお前が関わっているのか……」
と苦々しげに呟きながら、諦めた様な表情になる。
(いやいやいや、長政は自分で勝手に来たんだぞ! なんでも私のせいにするなよ!)
心の中で抗議する左京だったが、もはやそれを口にするのも面倒くさかったので、そのまま黙っている事にした。
「まったく、どいつもこいつも私の知らぬところで……」
三成は前置きの様に、そう吐き捨てると、
「ええい、もういい――! それより大和大納言秀長様の使いとして、藤堂高虎が軍を率いて到着したのだ――。なので『私の知らぬところで』、『勝手に』まかり越した、黒田の兵は早くどこかに立ち退かせろ! 大和勢の通行の邪魔となっている!」
と、今度は矛先を変え、御殿の前で抱き合う左京と長政を無視すると、その保護者である官兵衛に向かって怒鳴りつけた。
「へいへい、左様ですかい――。承りまして候」
だが官兵衛は滑稽な口調で、いきり立つ三成を軽く受け流す。
やはり若き官僚三成では、歴戦の軍師である官兵衛の相手ではなかった。
「くっ――。とにかく急げ!」
もはや矛先を失った三成は、そう言い残して立ち去ろうとする。
そこに、
「石田殿――」
という声と共に、長身の男が近付いてきた。
「おお、藤堂殿」
「大和大納言秀長様の名代として、藤堂高虎、有馬の警備にまかり越しました」
三成の呼びかけに、折り目正しい口上を述べた男――藤堂高虎、この時三十四歳。
秀吉の弟、豊臣秀長の家宰を努める高虎は、秀長に仕えるまでは流転の人生を送ってきた苦労人でもあった。
武功も数知れず、官位も正五位下佐渡守でありながら、格下の三成に対してもこの様に謹厳な態度を崩さない――。それはともすれば、これまでの苦労から学びとった処世術だったのかもしれない。
そんな高虎への左京の第一印象は、
(でかい……)
だった。
それも無理のない事で、高虎は現在の寸法で身長約一九〇センチの長身だったといわれている。
そして高虎は自身に向けられた視線に気付くと、身長一六〇センチに満たない左京を無表情に見下ろしてくる。
(なんだよ……、睨むなよ)
自分から見ておきながら、見下ろされるのはやはり気に食わない。
そんな左京の思いが伝わったのか、高虎は三成の方に向き直ると、
「関白殿下に秀長様からの文をお渡ししたいのですが、謁見は叶いますでしょうか?」
と、秀吉への取り次ぎを、その要件と共に簡潔に依頼した。
「ええ、すでに利休殿から聞いております。ささっ、こちらへ――」
三成も高虎の手際の良さが性に合うのか、左京たちへの剣幕が嘘の様な笑顔になると、連れ立って御殿へと向かっていく。
「利休……」
三成たちが去った後、まだ長政に抱かれたままの左京がポツリと呟いた。
次の瞬間、左京は自身に向けられた突き刺す様な視線に気付くと、すぐにそちらへと振り向いた。
「――――⁉︎」
そこに立っていた法体の、これまた大男に左京は目を奪われる。
「ほう、噂をすればなんとやらか――」
官兵衛の言葉で、左京はすぐに悟った――。あれが千利休だと。
千利休――。亡き信長の代から茶頭として、茶の湯の世界で絶大な権力を誇る『茶聖』。
現在も茶頭筆頭ばかりでなく、『公儀のことは秀長に、内々のことは利休に』といわれるほどの、秀吉最側近の一人でもあった。
もちろん今回の有馬大茶会でも、茶頭を務める事になっているが、その利休がなぜこんな所に?
そんな左京の思いをはぐらかす様に、利休は官兵衛たちに一礼すると、一八〇センチを超える巨体を音も立てずに静々と立ち去っていく。
「なーんか、きな臭くなってきたな……」
「ええ」
官兵衛の直感に、左京も同意を示す。
「きな臭いって……何がだ?」
一人ポカンと首をひねる長政に、
「いいから、お前はいい加減、放せ!」
と、左京はバタバタもがくと、ようやくその拘束から解放される。
そして同時に、左京の『解策師』としての頭脳がフル回転を始めた。
「親父殿、今回の茶会に小早川様が来ていましたよね――」
「ああ、来てるぜ。小早川隆景がな」
左京の言葉に、官兵衛も我が意を得たりとニヤリと笑う。
小早川隆景――。西国の雄、毛利元就の三男にして、現当主輝元を支える智勇兼備の謀将。
かつて官兵衛とは、秀吉の毛利攻めで、時には戦闘、時には交渉で渡り合った因縁の相手でもあった。
その隆景も、今や豊臣政権の重鎮となり、今回の茶会に招かれていた。
「どうする――。小早川に探りを入れてみるか?」
秀吉暗殺計画の、現時点でもっとも犯人に近いと思われる毛利氏――。その実質的な主導者への接触を官兵衛は持ちかけるが、
「いえ。それより、――――――」
左京は声をひそめると、それとはまったく違う内容を依頼した。
「ほう……。こりゃ『攻め』に出るのか?」
左京の提案を聞き終えた官兵衛が、軍師の顔付きになる。
「仕かけるのなら、親父殿の方が得手でしょう?」
「へっ、違えねえな。よし、小早川は俺にまかせておけ」
「お願いします」
左京は官兵衛に頭を下げると、次の行動に出る。
「イタチ――。いるか?」
「いるよー」
左京の声に呼応して、周辺の草むらから突然、一見少女と見紛う少年が飛び出してきた。
不破イタチ――。半兵衛時代からの竹中家の家老、不破矢足の次男にして、左京の抱える『忍びの者』であった。
「いいか、イタチ。お前は、――――――」
「分かった。じゃあ行ってくるね」
左京からの密命を受けると、イタチは風の様に去っていく。
「なるほどな。それがお前の『読み』か?」
「ええ。でも確証はありません――。だから裏を取る必要があります」
官兵衛の指摘に、左京は厳しい顔付きになる。
だが、これですべての布石は打った。あとはただ待つのみ――、と左京が遠い目をしていると、
「で、左京! 俺は何をすればいい⁉︎」
と、ここまで蚊帳の外となっていた長政が、まるで主人の命令を待つ犬の様な目で、にじり寄ってきた。
「――――⁉︎」
思わず左京は絶句する。
同時に条件反射の様に、その美しい顔を全力で歪ませると、
「い、いやいやいや、お前は何もするな! お前が動くと騒ぎが大きくなる気がする!」
と、幼なじみの全力の好意を、これまた全力で拒絶した。
「さ、左京ーっ……!」
「カッカッカッ」
報われない息子の嘆きに、またも官兵衛が大笑する。
こうして秀吉暗殺をめぐる役者がすべて出揃い、翌日の天正十八年(一五九〇年)十月四日――。有馬大茶会は晴天の中、その幕を開けたのであった。