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【23】『黒田の武』


 左京たちが利休屋敷跡の裏手に着くと、そこでは黒田勢による懸命な掘削作業が繰り広げられていた。


「急げ! もうすぐ雨が上がる!」


 声を殺した官兵衛の叫びに、黒田家中の者たちの手にも一層力が入る。


 堀割り奉行の立場を利用した監物は、利休屋敷跡が堀割りから外された事を利用して、そこから聚楽第地下に向けて坑道を掘った。

 その入り口は厳重に塞がれていたが、かといって坑道をすべて塞いだ訳ではない。


 つまり――、塞いだ先の真上から穴を掘れば、坑道に繋がるはずなのである。

 それを官兵衛は、利休屋敷の裏手の深さ約三間(五メートル)のポイントにあると読んだ。


 当てずっぽうではない。

 監物は堀割りに際して、坑道の安全を保つため、外堀の下を潜る場所だけ水深を浅くしているに違いない――。官兵衛はその予測に基づき、水練に長けた者を堀に潜らせると、深さ三間のはずの堀の水深が、浅野長政の屋敷横だけ一部が二間弱(三メートル)しかなかった。


 そこと利休屋敷を、直線で結んだ線上を坑道と見定めると、官兵衛は真上から穴を掘らせるのと同時に、外堀の水を堰き止める作業に入った。


 外堀は東の堀川を水源として、北門横から水路を確保している。

 なのでちょうど浅野屋敷の横あたりで、水を堰き止めた上で、新たな水路を利休屋敷まで引く必要があった。


 水攻めは、爆発的な水圧が必要なため、生ぬるい堰き止め方では威力が半減する。

 かといって堰き止め方を誤れば、水を流し込む前に堤防が決壊してしまう。


 聚楽第を水浸しにするのは、この外堀程度の水量では物理的に不可能だ。

 だが今回の目的は、地下坑道の先にある、大量の火薬まで水を到達させればいいのである。

 だから地下坑道に、凄まじい勢いで水を流せるギリギリのラインで、官兵衛は堤防を築かせていた。


 それにしても、すでに浅野屋敷の外塀まで水が押し寄せていた。

 折からの長雨で、水源である堀川が増水していたせいである。

 浅野家中の者たちには密かに退避してもらっていたが、もし決壊すれば官兵衛たちはただでは済まない。


 同時に、黒田勢の懸命な掘削にもかかわらず、まだ坑道が見つかっていなかった。

 官兵衛の読みは間違ってはいないだろうが、予想以上に坑道の深度が深かった様だ。

 加えて、外の通りに紛れ込んでいるであろう見張りを警戒して、豪快な作業ができないという制約も痛かった。


 もし水攻めの計画がバレれば、刺客たちは焼き討ちの効果が下がっても、雨が上がる前に火薬に火をつけてしまうだろう。

 それでなくても雨が上がってしまえば、焼き討ちは開始されるのだ。


 その雨も、もう小雨同然になっている。

 雨が上がるのが先か、坑道を見つけ出すのが先か、はたまた堤防が決壊するのが先か――。宵闇があたりを覆い始めても、篝火さえたけない状況でタイムアップの時が迫っていた。


 だがいったい誰が、立ち並ぶ武家屋敷の内側で、水攻めが企まれていると気付いただろうか。

 もちろん、まだ誰も気付いていない――。黒田官兵衛指揮による隠密作業は、まさに備中高松を彷彿とさせるものであった。


 その備中高松もそうだが、本来、水攻めは包囲している側が行うものである。

 それでいて今、包囲されているのは豊臣側なのである。

 まったくもって大前提さえ狂っていた。


 だが包囲されているといっても、その後のイタチの探索で、監物側の手勢はそれほど多くない事が分かった。

 おそらく狙いは焼き討ちによって燃える聚楽第から、秀吉が脱出する混乱の時を狙って討ち取る算段なのだろう。


 それが分かった左京は、最後の解策(げさく)に取りかかるべく、イタチに耳打ちすると聚楽第へと送り出す。


 その時、

 ――ボフッ!

 と、土が崩れる鈍い音が、黒田勢の真ん中から聞こえてきた。


「大殿、見つけました!」


「よし! 水路をそこまで繋げ!」


 坑道が発見されるや、すぐに官兵衛は次の動きに出る。

 内堀の下を潜る事も考慮したのか、予想以上に坑道は深かった。

 だが見つけてしまえば、後は官兵衛のものである。


「大殿、水路を繋ぎました!」


「――――!」


 黒田勢の仕事の速さに、左京も長政も息を呑む。

 これこそが、戦国乱世を生き延びてきた――『黒田の武』の真骨頂であった。


「全員、水路から離れろ!」


 官兵衛の号令のもと、左京は織部に、長政は官兵衛に肩を貸して、急ぎ堀から離れる。

 もう外堀を堰き止めた堤防も、限界寸前であった。


「よし、やれ!」


 官兵衛の声と共に、堤防が打ち壊される。

 同時に堀の一部を破壊して作った新たな水路に、

 ――グオーッ!

 という轟音と共に、水がまるで生き物の様に駆け抜けていった。

 それが黒田勢の開けた坑道への縦穴に、渦を巻いて吸い込まれていく。


 時を同じくして――、雨が完全に上がった。

 監物の手勢は、雨が上がると同時に火矢を合図に、火薬に火をつける手筈であった。


 ――ヒューン!

 北の空に火矢が飛んだ。

 たった今、地上のどこかにある導火線に火がつけられた事に、誰もが息を呑む。


 水が聚楽第地下の火薬に到達するのが先か――、それとも火薬が紅蓮の炎を上げるのが先か。

 緊張する左京たちの耳に、聚楽第が騒然となる声が聞こえてきた。


「――――⁉︎ ――――⁉︎」


 声の多くは絶叫であり、まったく状況が見えてこない。

 だがその中に、


「な、なんだ⁉︎ なぜ地下から水が噴き上がっているんだ⁉︎」


 という声が聞こえた瞬間、黒田勢が歓喜に包まれた。

 同時に坑道への縦穴から、水が逆流してきた。

 それは水が、完全に坑道の奥まで到達した事を意味しており、おそらく聚楽第の地下に仕かけた火薬はすべて水浸しになっているはずであった。


「よし、外堀の水路を元に戻せ」


 官兵衛は周囲の武家屋敷に、これ以上被害が及ばない様に指示を出すと、大きく息をつく。


「父上、お見事です!」


「いやー、さすがに今回は疲れたぜ」


 長政の労いに、官兵衛は苦笑しながらも満足げであった。

 だが左京の仕事は――、『解策師(げさくし)』としての総仕上げは、ここからであった。


「親父殿――。お疲れのところすみませんが、手勢を貸していただけますか?」


「――――。よし長政、半分を連れていけ」


 左京の言葉に感じるところのあった官兵衛は、そう言って長政に指示を出す。


「織部殿――。行きますよ、監物殿の所に」


「――かしこまった」


 左京の言葉に織部は頷くと、疲れた体に鞭打って、同門との最後の戦いに向け足を踏み出した。


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