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【22】『水攻め』


「いいか、お前ら! 『黒田の武』を今一度、天下に見せつけてやれ!」


「おお!」


 官兵衛の声に、秀吉の中国攻めから小田原征伐までをくぐり抜けてきた、歴戦の『武士(もののふ)』たちが一斉に声を上げる。


「よし、かかれ!」


 続いて官兵衛の号令一下、黒田家の家臣たちが、屋敷から庭へと飛び出していく。

 そして――、今度は声を殺しながら塀を乗り越えると、隣の蒲生邸との間を仕切る堀へと、静かに身を沈めていった。


「――――。しかし、水攻めとはな」


 作戦部隊の出陣を見届けると、邸内に残った官兵衛はそう言いながら、隣に立つ左京に目をやる。


「ええ。織部殿が、親父殿の名前と堀の水の事を、思わせぶりに口にしたのです」


「まあ、古織も数寄者といっても武人だからな。俺が殿下と備中高松で、水攻めを成功させたのを覚えていたんだろう――。だがお前も、よくそんな『謎かけ』に気付いたな?」


「一応、私は『解策師(げさくし)』ですからね――。それに、もう織部殿の扱いにも慣れてしまいましたよ」


 左京はそう言って、自嘲気味に苦笑する。

 そこに、


「父上、只今戻りました」


 と、長政が部屋に入ってきた。


「おう、ご苦労。聚楽第(なか)の様子はどうだった?」


「いつ変事が怒ってもいい様に、殿下には池のほとりに密かに陣屋を築いて、そこに待機していただいております――。それと指示通り、清正殿、正則殿、嘉明殿、忠興殿にだけ、『水攻め』の件は伝えておきました」


「上々だ――」


 長政からの報告に、官兵衛は満足そうに頷く。


「親父殿。本当に殿下や石田殿には、知らせておかなくて良かったのですか?」


「ああ。こいつは賭けだからな――。味方をも欺くつもりでやらなけりゃ、絶対に上手くはいかねえ」


 心配そうな左京に、官兵衛は軍師の顔付きでそう答える。


「それにこいつぁ、時間との勝負だ。余計な裁可を仰ぐ暇なんざねえ」


 聚楽第の地下に設置された火薬を無効化するための、堀の水を利用した水攻め――。それは言葉にするほど簡単ではない。


 なぜなら、まず水攻めは対象が低湿地帯である事が条件である。

 水は高きから低きに流れる――。そんな事は子供でも分かる道理だ。


 だが聚楽第は平城であり、しかも帝をいただく洛中のど真ん中である。

 かつて官兵衛が秀吉の指揮のもと大成功させた、備中高松城の水攻めとは状況がまるっきり逆であった。


 そんな条件下で官兵衛は、水攻めという左京からの無茶振りに、「やってみる」と言ってくれたのである。

 きっとそこには官兵衛ならではの、奇策と計算があるのだろうが、やはり圧倒的に時間が限られていた。


 宵の口には終わるであろう長雨――。それをもって地下の火薬に火がつけられるのだ。

 時刻は昼を大きく回っている。

 雨足もどんどん弱まっているし、予定外に雨が早くあがる事も考えられた。


「さて、俺も現場に行く――。左京、お前は長政と一緒に、お前のやるべき事をやり遂げろ」


 そう言って官兵衛は、不自由な足を引きずりながら部屋を後にする。


「――――」


 それから左京も長政と頷き合うと、織部が休んでいる部屋へと向かった。



 

「いやー、すいぶんとお屋敷内が慌ただしくなりましたな――」


 自分で献策しておきながら、白々しい織部に左京は分かっていながらジト目になってしまう。

 それでも気を取り直すと、


「織部殿、これをご覧ください」


 と、懐から一通の書状を取り出し、織部に差し出した。


「これは――?」


「利休様の遺言状です――。監物殿宛の」


「――――⁉︎」


 さすがに織部も顔色を変える。


「拝見いたします」


 それから織部は恭しい所作で書状を受け取ると、さらさらとその内容に目を通した。


「利休様……」


 さすがの織部も、涙が抑え切れない。

 そこに左京は、有馬における利休の秀吉暗殺予告事件の真意、そしてそれを自分が解策(げさく)した事を説明した。


「………………。クックックッ――。ハッハッハッ!」


 突然、笑い始めた織部に、左京も長政もギョッとするが、もう免疫ができたのか、さほどは驚かなかった。


「いやー、さすが利休様らしい。いや、利休様にしかできぬ事でござるな」


 織部の目が、うっとりとした羨望の眼差しとなっていた。


「織部殿――。利休様は、そんなあなたを心配なさっていたのですよ」


 ――織部が進むなら、止めるべし。


 当然、そこにも目を通したであろう織部に、左京はそう言って念を押す。


「止めるべし――、ですか……」


「監物殿は、それを曲解したのです。それがこの事件の根本です」


「…………なるほど」


 織部も思うところがあるらしく、そっと目を伏せた。


「織部殿――。殿下は、『織部は利休が残した『爆弾』かもしれない』と仰っていました」


「ほお」


「そしてこうも仰いました――。『これ以上、利休の名誉を汚すな』と」


「むむむ――」


 これには織部も、口を真一文字に結んで考え込む。


「織部殿、私はこう考えました――。織部殿は利休様の『動』の後継者、監物殿は『静』の後継者だと」


「…………」


「織部殿、私たちは監物殿を止めます――。今度こそ、それにちゃんと協力してくれますか?」


「――――。承知しました」


 その顔には、これまでの織部らしからぬ並々ならぬ決意が表れていた。


「して――、この手紙は、それがしがお預かりしてよろしいかの?」


「お任せします」


 左京がそう答えると、織部は利休の書状を折りたたみ、懐にしまい込んだ。


「では、行きましょう――」


 そして左京は夕闇の迫る空を見上げると、長政と織部を伴って、官兵衛たちのいる利休屋敷の裏手へと向かった。


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