【16】『曲解』
降りしきる雨の中、深夜にもかかわらず、左京邸では長政と官兵衛を交えて、密談が行われていた。
左京が、問題の『根本』と予想した利休最期の手紙――。それをイタチが芝山監物邸から盗み出してきたからだ。
「文箱は床の間に、普通に置かれていたよ」
左京からの質問に、イタチは事もなげにそう答える。
(やはり監物殿は、手紙を持ち出してはいなかった――)
逃走中の紛失を恐れたのか、はたまたそれが数寄者としての矜持だったのか、ともかく左京の予想通りであった。
(やはり監物殿も、相当に『こじれて』いる)
そう思いながら左京は文箱を開けると、日付から利休の切腹直前の手紙を見つけ出す。
ここまでの経緯は官兵衛にもあらかじめ話してあったので、左京は長政と頷き合うと手紙を開き、それを床に広げた。
他人の手紙を盗み見るなど、けっして趣味がいいとは言えないが、これも真実を知るためには必要な事である。
皆で文面に目で走らせると、そこに書き連ねてあったのは、自身が切腹に至るまでの経緯と、多くの門人たちへの遺言ともいえる内容であった。
まず驚いたのは、利休が秀吉への恨み言をまったく述べていない事だった。
それは、最終的に『侘び寂び』をめぐる争いに発展しながらも、秀吉と利休が固い絆で結ばれていた事を表していると左京は思った。
――別に誰が犯人でもええ。何が真実でもええ。ただこれ以上……、利休の名誉を汚すな。
秀吉がそう言って胸を痛めていた事もまた、嘘偽りのない事実だったのだろう。
だが今は、そんな感傷に浸っている場合ではない。
――織部が進むなら、止めるべし。
その一文の謎を解くために、左京はこんな盗っ人まがいの事までしたのである。
だから左京は、さらに手紙を読み進める。
文面には七哲たちや、その他の門人たちの今後についてが記されていた。
その内容は大きく分けて、蒲生氏郷や細川忠興ら、大封を得た者たちへの立ち回りと、微禄の者たちへの、その身の丈に合った生き方についてであった。
「…………」
茶の湯ばかりでなく、門人たちの人生の師でもあった利休の、まさに最後のアドバイスに、左京たちは息を呑む。
問題の、
――織部が進むなら、止めるべし。
の文言は、その最後に記されてあった。
それから後は、監物への温かい言葉と共に、後を託す様なメッセージをもって、あっさりと手紙は締められていた。
(これで…………終わり?)
左京は呆然とする――。これでは特に事件の確信には何も触れていない。
長政も同じ感想だったらしく、ポカーンと口を開けている。
この手紙さえ奪えば、事件の根本が分かる――。そう思っていただけに、左京はショックが隠せなかった。
だが、
「なるほどな――。こりゃ確かに『こじれて』やがる」
官兵衛がそう言った事に、左京は目を見張る。
「親父殿、何か分かったのですか⁉︎」
「いや――。お前らと同じで、てんで意味が分からねえ」
「…………」
さすがは黒田官兵衛と思っただけに、左京は思わずジト目になる。
だが歴戦の軍師には、二の手があった。
「だからよ――」
官兵衛は左京の反応にニヤリと笑ってから、
「ここは同じく『こじれた』奴の意見を聞こうぜ」
と、この手紙を細川忠興に解読させる事を提案した。
翌日、左京邸に招かれた忠興は、利休の手紙を目にすると、
「利休様……」
と、まずはさめざめと、かなりの時間むせび泣いた。
(面倒くさい奴だな……)
左京はそう思いながらも、ここは忠興が頼りなだけに、黙って泣きやむのを待った。
「失礼いたした――」
忠興がそう言って、ようやく手紙に目を通し始めたので、左京はホッとする。
だが手紙を読み終えた忠興が、
「利休様……」
と、またさめざめと泣き始めたので、左京はいい加減にしてくれと思った。
「なあ忠興殿よ――」
官兵衛が落ち着いた口調で、忠興に問いかける。
「この、『織部が進むなら、止めるべし』って意味が、お前さんには分かるかい?」
「…………」
官兵衛の質問に忠興は我に返ると、懐紙でもって丁寧に涙を拭う。
それから、
「ええ」
なんと、あっさりそう言い切った。
「――――⁉︎」
あまりの事に長政は絶句してしまうが、
「意味を、意味を教えてください!」
左京は身を乗り出すと、掴みかからんばかりの勢いで忠興に説明を求める。
「何をそんなに――」
「いいから早く!」
左京の剣幕に、忠興は顔を歪めながらも、一旦居住まいを正す。
そして名門細川家の貴公子の顔付きになると、
「簡単な事だ。織部殿は進み続ければ、必ずいつか利休様の様に、殿下と衝突する日が来る。だからそうなる前に止めてやれ――。そういう事だ」
と、才子らしい簡潔な言葉でもって、利休の意図を解き明かしてくれた。
「――――!」
これには左京や長政だけでなく、官兵衛までもが膝を打つ。
確かに言われてみれば、まったくもって筋が通っていた。
天下人の意思に反してでも、己の独創性を貫いた利休――。織部にはその気骨が、脈々と受け継がれていたからだ。
(なら、おそらく監物殿は……、利休様の意図を曲解している!)
眠りかけていた『解策師』の頭脳――。それをフル回転させると、左京は事件の根本をそう推測した。