【15】『原点と根本』
細川忠興の協力により事態は進展したが、古田織部が犯人という前提が覆り、ある意味、捜査はリセットの状態となってしまった。
新たな容疑者として芝山監物が浮上したが、まだ確たる証拠がある訳でもない。
それ以前に監物は、織部と同時に失踪してしまっている。
織部、そして監物の不在は、それはそれで事件が暗礁に乗り上げている事を意味しており、左京は頭を抱えたくなった。
(そもそも、いったい何が事件だったんだ――?)
傘を手に、ふと左京は考え込んでしまう。
元々は、一条戻り橋に利休の亡霊が出るという、ちょっとした騒ぎだったはずだ。
それが模倣事件を経て、織部と監物が失踪し、今では茶人たちによる不可解な火薬の流れが問題になっている。
まさに視点がズレにズレてきたが、これは一本の線に繋がっていると考えられる。
つまり、この繋がりを解かなければ、真相には辿り着けないのだ。
だから梅雨の前触れの様な雨の中を、左京は長政と共に、まずは一条戻り橋から洗い直す事にしたのだった。
「特に変わった事はないな――」
傘を差した長政が、橋から堀川をのぞき込む。
事件の直後こそ二十四時態勢の警備を敷いていたが、容疑者とみられた織部の蟄居謹慎の直後から警備は解かれ、もうすっかり日常の往来が戻ってきている。
むしろ現在の警戒は二条堀川橋、それ以上に織部邸があった三条通り近辺が、中心となっている。
事件の進展具合からみて妥当な措置だが、都の人々の噂話への飽きの早さも、それを後押ししていると左京は考える。
監物はともかく、著名な織部の失踪は新たな噂となって、現在洛中を賑わしている。
だが事件の発端は、ここ一条戻り橋なのである。
(なぜ織部殿は、この一条戻り橋を選んだのだ……? それがなんの『得』になったんだ?)
根本を見直そうとするが、左京も何も思い浮かばない。
それよりも堀川の土木工事の音が、カンカンうるさくて思考に集中できない。
「まったく、堀の工事はいつ終わるんだ⁉︎」
八つ当たりまぎれに、左京が口走る。
「あと数日だろうな――。堀割り自体は終わっているし、あとはこの堀川から水を引くだけだから、大詰めなんだろう」
長政は馬鹿正直に、聚楽第の外堀増設工事の日程を、左京に細かく説明してやる。
それでも腹の虫がおさまらない左京は、
「次に行くぞ」
と、成果の得られなかった一条戻り橋を後にして、傘を振りながら二条堀川橋へと向かった。
だが二条堀川橋でも、さしたる発見はなかった。
ならばと三条通りの織部邸に向かうが、二条、三条と移動するごとに、警備の兵が目に見えて多くなり、行動が制限され苛立ちが募るばかりであった。
織部邸は蟄居謹慎の時よりも、さらに多くの兵で封鎖されている。
左京は秀吉より、引き続き全権を委任されているので、邸内に入る事はできたが、ここでも状況を覆す何かを得る事はできなかった。
織部邸に荒らされた形跡はなく、その事から織部は邸内で拉致された訳ではなく、監物に誘い出されて外に出たと推測されている。
左京もその見立てに異存はない――。だが納得はしていなかった。
(なぜ織部殿は、監物殿が危険だと分かっていて、わざわざ誘いに乗った?)
左京が納得できないのは、数寄者たちの心理であった。
(まったくもって、数寄者というものは『こじれて』いる!)
そう考えれば、亡き利休も十分にこじれていた。
己の『侘び』を守るために、秀吉を殺すのではなく、唐入りを断念させるなど、常人の精神で考えつく発想ではなかった。
(もっと私は、数寄者の心で事件を見返さなくては――)
左京は考え直す――。思考回路をこじらせ、通常の『損得勘定』を超えた、裏の裏にある『損得勘定』を。
(発端は、一条戻り橋――。いや、もっと前だ!)
一条戻り橋の亡霊騒ぎは、今回の事件の『原点』ではあった。
(だが原点じゃない――。『根本』を考えるんだ!)
亡霊騒ぎの前に、一条戻り橋には偽首事件があった。
(その前は――)
利休の切腹――。その前に、利休による織部の茶頭筆頭指名。
(まだ何かないか――)
左京は知り得るかぎりの、利休、織部、監物に関わる情報を思い出す。
(――――⁉︎)
そして左京は重大な事を思い出す。
(そういえば利休様は、切腹の前に監物殿に最期の手紙を出していた――)
そこに書かれていた、
――織部が進むなら、止めるべし。
という一文。
(――これだ!)
左京はようやく問題の『根本』を見つけたと確信すると、次の瞬間、織部邸を飛び出していく。
「おい、左京⁉︎」
降りしきる雨の中、慌てて長政が後を追うと、左京が向かったのは、芝山監物邸であった。
もちろん目的は、あの『利休の最期の手紙』である。
だが芝山家の家人たちは、左京が来訪するなり冷たい態度で門前払いを食らわせた。
「お引き取りを――」
何を言っても、その一点張りであった。
おそらく、これも監物の指示なのであろう。
家人たちの目には、一人一人に『反骨』の色がありありと滲み出していた。
これも細川忠興が言っていた、『貧しき茶人』の意地なのかもしれなかった。
容疑者として浮上はしたが、監物はまだ犯人と断定された訳ではない。
家人たちもそれを盾にしているのだろうが、この抵抗は予想外であった。
強権を発動して兵で踏み込む手もあるが、この気骨ある家人たちは、その前に屋敷ごと重要証拠を焼き払うだろう。
もうすでに、いくつかの証拠資料は消されているに違いないが、監物があれほど大事そうにしていた利休の手紙まで処分したとは思えない。
「………………。失礼いたしました」
少し考えてから、左京はすごすごと監物邸を後にする。
「左京……」
心配そうに声をかける長政に、左京は何も答えない。
それから芝山家の家人たちの目の届かない距離まで来ると、長政に目で合図をして、スッと民家の路地裏に入った。
そこで、
「イタチ――」
と、自身の従者兼忍びの者である不破イタチを小声で呼んだ。
「どうしたの、左京?」
イタチはいついかなる時も、姿を隠しながら左京のそばにいる。
そして、ひとたび左京が呼べば、この様に何食わぬ顔で主人の呼び出しに応え、風の様に姿を現すのである。
「イタチ――。お前は夜更けになったら、監物殿の屋敷に忍び込め」
「――――⁉︎」
これまでと百八十度違う左京のやり口に、長政は目を丸くする。
「その屋敷のどこかに、書状が詰まった大ぶりの漆塗りの文箱がある――。それを盗んでこい」
「了解」
イタチは短く答えると、またすぐに姿を消してしまう。
「左京……」
「利休様の最期の手紙を見るには、もうこうするしかない――」
心配そうに声をかける長政に、左京はそう言って己が決意を表明する。
もとより長政も、左京がそう決めたのなら、否を言う気は毛頭ない。
「おそらく監物殿は、逃走に文箱を持ち出してはいない――。数寄者っていうものは、きっとそのあたりが『こじれて』いるはずだ」
数寄者にさんざん振り回されてきた左京は、そう言って仕返しとばかりに不敵に笑った。
そして左京の予想通り――。深更、芝山邸に潜入したイタチが、漆塗りの文箱を奪取して帰還してきた。