【11】『忠興』
丹後宮津十八万石の当主ということもあり、細川忠興との面会は、官兵衛がわざわざ黒田屋敷の客間を用意してくれた。
「竹中殿――、いや左京殿。単刀直入に伺い申す。織部殿が、利休様の亡霊騒ぎの犯人なのですか?」
「――――⁉︎」
いきなりの忠興の指摘に、思わず左京もひるんでしまう。
しかもまだ二回の面識で通称呼びである。それもわざわざ言い直してである。
(まあ清正殿とかは、二回目でもう呼び捨てだったがな……)
だが問題はそこではない。
二条堀川橋の騒動は、今朝発覚したばかりである。
それでいて忠興は、そこから一条戻り橋の亡霊騒ぎの犯人を、織部かと問うてきた。
秀吉との今後への協議も、さっき終わったばかりだ。
なのに忠興は、明らかにその内容を前提にして話をしている。
つまり政権中枢の一部の人間しか知らないはずの情報が漏れているという事だ。
これは細川家が、官兵衛と同じく、独自の情報網を持っていると左京は推察した。
だからこそ官兵衛も左京邸ではなく、黒田の母屋に忠興を案内し、自身もこの場に立ち会ってくれているのであろう。
左京は注意深く、
「まだ断定はされていません」
と、曖昧に返答する。
おそらくだが、この細川忠興という男は頭が切れる。
下手な答えをしようものなら、そこから理詰めで突き崩される事も考えられたからだ。
「左様か――」
そう言ったっきり、忠興は押し黙る。
この間合いは御し難いと左京が警戒していると、
「で――、もし『古織』が犯人だったら、お前さんはどうするつもりなんだい?」
代わりに官兵衛が助け舟とばかりに、忠興に反問してくれた。
「無論――。斬り申す」
(やっぱり、そうくるかー)
予想通りの答えに、左京はドン引きする。
「だけどお前さんと古織は、利休門下の盟友だろ――。それでも斬るのか?」
歴戦の軍師の本領発揮とばかりに、官兵衛は続け様に忠興を揺さぶる。
さすがにこれには忠興も顔色を変えるが、
「公と私は、分けねばなりません」
と、すぐに彼らしい直情径行の真っすぐな答えが返ってきた。
「あまり事の真偽を見定めずに、即断すると後悔するぞ」
今度は諭す様な口調で、官兵衛はそう言った。
「まっ、おれも若え頃はそのせいで、荒木村重に幽閉されるわ、殿下から警戒されるわで、ひでえ目に会ってるから、人の事は言えねえがな」
このあたりの緩急の付け方は、官兵衛の十八番である。
実際、官兵衛はこの弁舌で数々の交渉を成功させているし、昨年も小田原征伐で後北条氏の小田原城を開城させてもいた。
「…………」
忠興は二の句が継げない。
おそらく忠興は左京を詰問して、織部の情報を引き出そうと思っていたのだろうが、ここまで官兵衛の巧みな話術に見事に押し込まれている。
「ところで話は変わるが、忠興殿――。ここんとこ茶人が火薬を買い漁っているらしいが、何か心当たりはねえか?」
切り返しで官兵衛は、今度は逆に忠興から情報を引き出そうとしている。
その鮮やかな手並みに、もちろんここにも同席している長政も、実の子ながら息を呑む。
「…………」
忠興が苦い顔になる。
話を逸らされたからではない。
「官兵衛様――。茶人たちの苦労をご存知ですか?」
「――――⁉︎」
静かに、だが確かな怒りをにじませる忠興の言葉に、左京と長政はドキリとする。
だが官兵衛は、それも平然と受けとめると、
「あいにく俺は茶人じゃねえんでな。だから正直、そこは理解していねえ」
と、裏表のない心で、正直に返答する。
(やっぱり知っていたか――)
官兵衛は、細川家独自の情報ネットワークの存在を確信する。
忠興の先代、細川幽斎は室町幕府十三代将軍、足利義輝に仕えてから、激動の戦国時代を潜り抜け、細川家を今に繋いでいる。
風見鶏とも揶揄される、的確に勝ち馬を見抜く幽斎の政治センスは、おそらく彼が持つ情報網によるものだろう。
官兵衛と同じく隠居したとはいえ、幽斎もいまだ秀吉に仕え、政権内での確固たる地位を築いている。
なので現当主である忠興が、織部事件と同様に、官兵衛が茶人を捜査している事を知っていても不思議ではない。
「官兵衛様――。茶人のほとんどは貧しく、慎ましやかな暮らしの中で、皆、己の『数寄』を極めんともがいているのです」
茶の湯というのは、言うなれば贅沢な娯楽である――。名物ともなれば、それ一つで城が買える。
そんな世界で茶人は、それに魅せられた業を背負い、時には命さえもかけている事実を、忠興は切々と訴える。
「だから貧しい茶人たちは、数寄にかける銭を捻出するために、いずれ始まる唐入りを見込んで、大名衆に売りつける火薬を買っている――。お前さんは、そう言いてえんだろ?」
官兵衛は忠興の遠回しの抗議を、一気に結論まで引っ張り出す。
「そうです! 彼らのやっている事は、あくまで商いなのに、それをいたずらに締め上げるなど――、それこそ早計です!」
忠興はさっき官兵衛が、『即断』と言った事を引き合いに出して、今度ははっきりと抗議してきた。
「なら、どうしてその茶人たちは、そう言って弁明しない? なぜ姿をくらます様な真似をする?」
「それは……」
官兵衛の正論に、忠興は何も言い返せない。
「いいか、細川忠興――。よく聞け」
さらに官兵衛はたたみかけていく。
「お前ら細川も、あの天王山で豊臣につくと決めたんなら、腹ぁ括れ――。お前の親父も、そう思っているぞ」
「――――くっ!」
かつて秀吉と明智光秀が雌雄を決した天王山の戦い――。そこで細川家は、縁戚関係にあった光秀を見限り、秀吉方についた。
その時、忠興は最愛の妻であった光秀の娘――、玉子ことガラシャを幽閉した苦渋の過去がある。
それだけでなく、幽斎の血に滲む様な苦労があって、今の細川十八万石がある――。だがそれも秀吉の存念一つで、塵の様に消し飛ぶのである。
その覚悟を官兵衛は、第二世代である忠興に諭したのであった。
「…………失礼いたします」
官兵衛の言葉が身に染みたが、負けを認めたくないのか、忠興はそう言って席を立つ。
去り際に、
「いいか左京殿――。何か分かったら必ず知らせてくれ。必ずだぞ」
と言い残す事を忘れずに。
(………………。な、なんて面倒くさい奴なんだ)
緊張感から解放され。左京はドッと疲れが押し寄せてくる。
「まったく。二代目がきかん坊で、幽斎殿も苦労するな……」
実際、幽斎が忠興に手を焼いている事を知っている官兵衛は、そう言って苦笑する。
それから長政に、にじり寄ると、
「だが俺は――、いい息子に恵まれたな」
と、今度はニヤケ顔になりながら、我が子の頭を子供の様になでる。
「ち、父上……⁉︎」
子供扱いされた長政が、顔を赤くして動揺する。
そんな微笑ましい光景を見ながら、左京は官兵衛の言葉がけっして世辞ではない事を理解していた。
長政は人のいい男だが、黒田十二万五千石の当主としては非の打ち所がない。
虫も殺さぬ様な純朴で温厚な顔をしているが、長政が領国の豊前中津を統制するために、在地勢力を騙し討ちにして一掃した過去も、左京は知っている。
つまり長政は腹が括れている――。黒田官兵衛の息子として。
そして、ふと左京は考えてしまう。
(私は――)
竹中半兵衛の息子でいられているのかと。
左京は口にこそ出さないが、自分が長政や忠興と同じ『第二世代』である事を自覚する。
だがそのネームバリューのおかげで、秀吉に才を見抜かれてしまった事も、また事実であった。
だからまた思う。
(やれやれ、なぜこうなった……)
それから長政と官兵衛に気付かれない様に、チラリと天を仰ぐと、
(父上――。私はいい息子ですか?)
と、返ってくるはずもない問いを、亡き父に向かって投げかけるのだった。