前へ次へ
36/67

【10】『親心』


(ああ、なぜこうなった……)


 黒田屋敷の自邸で、左京はまたぼやく。

 ――今少し、私に時間をください!

 なぜあんな啖呵を、秀吉に向かって切ってしまったのか?


 確かに、織部の真意を確かめなければ、利休の名誉を守れないと思ったのは事実だ。

 そして、その思いを秀吉も共有していたというのも、思った通りだった。


 だがそれにしても、もっと言い方があったはずだ。

 まったく今考えれば、柄にもなく熱くなってしまったと、かなり後悔している。

 おかげでこの亡霊騒ぎは、是が非でも左京が解明しなくてはならなくなり――、一言でいえば、かなり面倒くさい展開になってしまった。


 それもすべて、


(こいつのせいだ――)


 と、左京は今も隣にいる長政を、ジトーっと睨みつける。


「――――?」


 だが長政はケロッとした顔で、左京を見つめ返すだけだ。

 長政にしてみれば、幼い頃から左京の半開きの目と、それによるジト目に耐性ができているという事もあったが、それにしても自然体――というより天然すぎる。


 それを、

 ――うっとおしい。

 と思っていた時期もあったが、今では違う感情を左京は抱いている。


(長政は、私一人ではできない事を、できる様にしてくれる……)


 有馬で藤堂高虎を捕縛した時も、聚楽第の奥御殿から傾奇者を装って脱出した時も、左京にはできない事を、長政はいつも自然とやってのけてくれた。

 そして自分に寄り添い、いつも陰から背中を押してくれてもいる。


 それを遅まきながら自覚し始めてもいるし、織部を捕縛すべし、という三成の正論に反論する事をためらっていた左京を、熱い視線で叱咤激励してくれたのもまた長政だった。


 だが、


(とはいえ、なぜ私まで熱くなる必要があった⁉︎)


 幼なじみで気兼ねがない分、左京は長政のペースに巻き込まれた事に、苦い顔になる。


「――――?」


 それにも長政は、やはりケロリとした顔で自然体であった。


(あーもー、まったくこいつはー)


 整理のつかない感情に左京が悶えていると、


「おお、お前ら――。やっぱりここにいたか」


 と、官兵衛が少し疲れた顔で、部屋に入ってくるなり、どかっと胡座をかいた。


「父上、今日も探索だったのですか?」


(探索――?)


 長政の問いに、左京の目つきが変わる。


「ああ――。だがさっぱりだ」


 官兵衛はそう言って苦笑すると、


「そういや、亡霊騒ぎを追ってたんで左京にゃ言ってなかったが――」


 そう前置きしてから、


「俺は俺で、今、殿下から不穏な火薬の動きを調べる様に命じられてるのさ」


 と、秀吉からの密命の内容を、左京に説明する。


「火薬ですか?」


「ああ。どうもこの数ヶ月、堺を通じて小刻みだが、全部合わせりゃ尋常じゃねえ量の火薬が流通しててな」


 官兵衛はそう言って苦い顔になる。

 まだ東北では九戸政実の乱が続いているが、昨年の小田原征伐と奥州仕置の完遂をもって天下は統一されたため、武具の流通は穏やかになるのが本来の姿のはずであった。

 だが、なぜ膨大な火薬が堺から動いているのか?


「殿下が唐入りを宣言されたので、大名衆がその準備に入っているのでしょうか?」


 左京は、当然考えられる可能性に言及する。


「まあ、確かにそうだな。俺ら九州勢や西国勢は、もし唐入りが始まれば、まず間違いなく渡海するだろうからな」


 官兵衛も一旦は、左京の正論に同意を示しながらも、


「だがな――。俺ら西国衆の商いは基本、博多を使う。堺じゃねえんだ」


 と、西国における現実を説明する。


「それに長崎まで手を伸ばせば、南蛮から質のいい火薬が手に入る――」


「という事は、火薬を集めているのは、まだ軍備が必要でない畿内の者たち――。それを殿下は怪しんでいらっしゃるという事ですね」


 左京にも官兵衛の意図が理解できた。

 だが問題は、まだ他にもあった。


「まあ、大名衆が買ってるんなら、値が高騰する前に先物買いしていると考えられなくもない――」


「――――⁉︎」


 思わせぶりな官兵衛の言い回しに、左京も長政も緊張する。


「実はな……、調べていくうちに、どうも火薬を買っていたのは、微禄の『茶人』たちらしかったんだよ」


「茶人⁉︎」


 思わず左京は声を上げてしまう。


「ああ、そうだ。たとえ唐入りがあったとしても、到底出陣しそうにない奴らがだ」


「…………」


 左京も美濃菩提山五千石の小禄のため、官兵衛の言う現実論が身をもって理解できる。


「そんで、そいつらを締め上げようと思ったんだが、先手を打って失踪していたり、捕らえても皆、口を割りゃしねえ……」


 官兵衛の口ぶりは、捜査が暗礁に乗り上げている事を、ありありと物語っていた。


(茶人……)


 左京は思わず織部の事を考えてしまうが、現時点では火薬との接点は見当たらなかった。


(だが茶人がなぜ――?)


 左京が新たな思案を始めていると、


「父上、私にも何かできる事はありますか?」


 と、長政が官兵衛に協力を申し出た。

 その時の顔が――、黒田十二万五千石を背負う凛とした当主の顔になっていた事に、左京は呆然と見入ってしまう。


 官兵衛もそれに気付いたのか、


「申し出はありがてえが、こりゃ殿下からの密命だからな――。お前は、もう少し左京と一緒にいてやれ」


 そう言いながら、左京を横目で意味深に見つめる。


「分かりました」


 長政も素直にそう答えると、左京の方に向き直る。


「――――⁉︎ ………………頼む」


 官兵衛に、いい様にあしらわれている様な気がするのが不満だったが、左京もここはそう言うしかなかった。


 そんな二人を見ながら、官兵衛はかつての自分と竹中半兵衛の姿を思い返す。

 とはいえ、その関係はここまで初心(うぶ)ではなかったが、と一人心の中でニヤリと笑ってしまう。


(ハハッ。親心とか、俺も歳をとったかねえ――。半兵衛殿?)


 齢四十四にして、官兵衛がそんな事を考えていると、


「失礼いたします。竹中様にお客人がいらしていますが――」


 もはや恒例行事になりつつある来訪者の登場を、黒田家中の者が告げにきた。


(またか……)


 もはや聞く気も起きない左京に代わって、


「今度は誰だい?」


 と、官兵衛がその名を尋ねてくれる。


「はっ。細川忠興様です」


「――――?」


 その意外な名前に、左京だけでなく官兵衛と長政も、揃って怪訝な顔をした。


前へ次へ目次