【09】『バディ』
報告を受けた左京と長政は、二条堀川橋に急行した。
現代では二条堀川橋は、西に隣接する二条城の目と鼻の先にあり交通量も多い。
だが、現在の二条城は慶長年間に徳川氏によって建造されたものであり、この時代の二条城(二条御所)跡は、二条堀川橋から北東に離れている。
つまり一条戻り橋に警戒を集中させていた豊臣政権は、南方の二条堀川橋という不意を突かれたのであった。
(いったい何が狙いなんだ……?)
左京も困惑する――。視点を一条から二条に南下させる狙いは何かと。
そして二条堀川橋に到着すると、奉行所管轄の兵が現場を封鎖していた。
身分を伝えて、左京と長政は中に入れてもらう。
(これは……)
橋の中央に置かれた木像に、左京は息を呑む。
実物を見た事はないが、かつて大徳寺山門の金毛閣に設置されたといわれる利休木像――。そのレプリカに間違いなかった。
天皇の勅使も通る山門上に、自身の像を置くなど不遜極まりなしと、木像の存在が利休切腹の一因となったと世上では噂されている。
しかも切腹の翌日に、利休の首と共に木像が一条戻り橋で磔にされた事が、噂にさらに拍車をかけた。
だが公表はされていないが、大徳寺側も事前に隠密裏に木像は撤去しており、豊臣政権も利休の遺体を丁重に葬っている。
すなわち首も木像も偽物だったが、政権側は先にも触れた様に、それに釈明する事なく事態の風化を待つ道を選んだ。
そんな政権側をあざ笑う様な、先日の一条戻り橋の亡霊騒動――。そして今回の二条堀川橋の木像の出現である。
しかも一条戻り橋の時は、周囲に粉々に砕かれた黒茶碗が散乱していたが、今、足元に散らばっているのは、子供の落書きが施された様な歪な陶器であった。
すなわち織部作の茶碗が、同じ様に粉砕され現場に残されていたのだ。
(これは織部殿が……?)
織部が一条戻り橋の犯行を認めていただけに、左京も一瞬そう思ったが、
(だが織部殿がこれで、なんの『得』をする?)
そう考えると、どうにも腑に落ちない。
どちらにしても、これでまた利休の亡霊騒ぎが再燃するのは間違いないだろう。
捜査はまったく進展していないのに、これで混迷がさらに深まった事に、左京は頭を抱えたくなる。
そんな時、
「おい左京。あれ、織部殿じゃないのか?」
と、長政が声をかけてくる。
「――――⁉︎」
長政の視線を追うと、この騒ぎを見守る見物人たちの中に、確かに編笠をかぶった織部の姿があった。
犯人は犯行現場に戻ってくる――。犯罪心理学のセオリーだが、これが織部に当てはまるとは到底考えられなかった。
それでも左京は、接触をはかるべく足を進めようとするが、織部もそれを感じ取るとスルリと群衆の中に姿を消してしまった。
「…………」
一度まかれているだけに、左京も追跡を断念する。
だが織部が、この件に無関係でない事は分かった。
「さて、長政――。聚楽第に行こう」
事件が動いたなら、その対応策を協議しなくてはならない。
それなら左京は、呼ばれる前に出向こうと思ったのだ。
「もうこれは、古田織部が犯人という事でよいのではないか⁉︎」
聚楽第での秀吉と官僚を交えた協議で、石田三成はそう主張してきた。
これまでは推測であったが、今回の事で物的証拠が出てきた。
それを三成は拠り所にしているのだろうが、
「先日も申し上げました様に、織部殿は茶道具を盗難されたと言っておりました。それを第三者が利用したとも考えられます」
左京はまだ織部が犯人というのは、推測の域を出ない事を主張する。
「なら、その第三者は誰なのだ? 織部はお前に茶道具が盗まれたと偽りを申し、己が潔白を偽装したのかもしれん――。つまり、お前は織部に利用されたのかもしれないのだぞ⁉︎」
「――――!」
三成の反論ももっともである。なので左京も、口をつぐんでしまう。
確かに織部は、茶道具の盗難を奉行所に申告はしていない。
もし二条堀川橋に、自作の茶器をばらまく隠れ蓑に左京の証言を用いる気であったのなら、これは計画的犯行であった。
(だが織部殿はそんな事をする男か――?)
これは左京の私見である。いうなれば私情であった。
捜査に私情を持ち込むのは禁物である――。それは分かっているが、ペースに巻き込まれたとはいえ、左京は織部という人間を知りすぎてしまった。
客観的な視点で考えれば、三成の主張の方が正論である。
それでも解せない――。どうしても『解策師』の勘が解せないと言っているのだ。
「殿下。織部は捕縛という事でよろしいですか?」
ついに三成が上段の秀吉に、裁可を仰ぐ。
だが秀吉は即答しない。まだ何かを考え込んでいる様子であった。
とはいえこのままでは大勢は決する――。織部は捕縛されてしまうのだ。
織部を捕縛して尋問すれば、それで済むのかもしれない。
だがなんだ――⁉︎ この割り切れない気持ちは⁉︎
左京が声にできない葛藤と戦っていると、
――クイ。
と、不意に袖を引っ張られる感触がした。
それは隣に座る長政によるものだった。
ふと視線を移すと、
(左京――!)
長政の目が力強く、そう訴えていた。
もちろん言葉を聞いた訳ではない――。だが左京には、長政の声がはっきり胸に届いていた。
同時に左京の頭脳に閃きが走る。
「殿下!」
次の瞬間、左京は叫んでいた。
「私に、今少しの時間をください!」
その気迫に一同が呆気に取られてしまう。
だが、長政が背中を押してくれたおかげで左京は分かったのだ――。割り切れない気持ちを、秀吉も共有している事に。
「な、なにを――?」
「殿下は仰いました――。織部殿は利休様が残した『爆弾』かもしれないと」
三成の声を遮り、左京は毅然と語り始める。
「そしてこうも仰いました――。これ以上、利休様の名誉を汚すなと」
秀吉はまだ迷っているに違いない――。織部という存在が、利休の残した何であるかに。
だから織部捕縛をすぐに決定できなかったのだ。
「殿下、まだ事件の全容は明らかになっておりません。もしこれが『策』なら――、『解策』せねば、利休様の名誉は守れません」
そして左京は『解策師』としての殺し文句で、その主張を締めくくる。
それから一息ついて隣を見ると、長政が静かに微笑んでいた。
(まったくこいつは――)
なんともおもはゆい気持ちであったが、左京も苦笑まじりに長政に微笑み返す。
この瞬間――、二人の間には目には見えないが、確かな絆が結ばれていた。
「殿下――」
三成が秀吉に決断を促す。
そして決定した織部への処分は、容疑不十分のため真相が明らかになるまで、閉門謹慎という比較的軽い処分におさまった。