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【03】『長政』


「でぇ、左京――。お前は本当に、毛利が黒幕だと思っているのか?」


「そんな訳はないでしょう。言いましたよね――、これは『陽動』だって」


 『軍師』黒田官兵衛からの問いに、『解策師(げさくし)』竹中左京が即答する。


「お、おい左京。いきなり、なんの話だ?」


 秀吉との謁見を終え御殿から出てくるなり、穏やかではない会話を始めた左京に、出迎えに来ていた青年武将が顔を曇らせる。


「ああ、長政――。別に大した事じゃない。気にするな」


「さ、左京……!」


 長政と呼ばれた男が、情けない声を上げる。

 黒田長政――。この時、二十一歳。

 黒田官兵衛孝高の嫡男であり、昨年父より家督を相続した彼は、この時点で歴とした豊前中津十二万五千石の領主であった。


 官位は従五位下甲斐守であり、左京の丹後守と同格ではあるが、石高では十二万石もの大差をつけていた。

 歳も十六歳の左京より五つも歳上――。なのに幼なじみとはいえ、左京の長政に対する態度は、いつもこの様にすげないものであったのだ。


 だが純朴を絵に描いたような長政は、この程度ではあきらめない。


「なあ、いったい何があったんだ? 今回だって、関白殿下直々の召集だと父上から聞いているぞ。いい加減、教えてくれてもいいじゃないか――。さてはお前、この前の小田原征伐で何かやらかしたのか?」


「…………。話したくない――」


 左京はそう答えると、その美しい顔をむすっとさせながら黙り込む。

 それは別に意地悪をしている訳ではなく、本心から話したくなかったのだ。

 だが、さすがにこのリアクションはきつかったらしく、


「さ、左京ーっ――!」


 長政はうろたえながら泣きそうな声を上げる。


「カッカッカッ!」


 見慣れた光景に、官兵衛は大笑すると、杖をつきながら二人の間に割って入る。


「まあ、やらかしたといえば、この前の小田原よりも、もっと前の長久手だな」


「親父殿⁉︎」


 長政の疑問に、答えを与えようとする官兵衛に、左京が慌て出す。


「まあいいじゃねえか、左京。長政だってお前の事が心配で、呼ばれてもいねえのに叱責覚悟で俺たちについてきたんだ。それにな――」


 そこまで言って、官兵衛はニヤリと笑う。


「どうせこうなっちゃ、遅かれ早かれお前が『解策師(げさくし)』っていうのはバレちまう。ならいっそ長政を味方につけておけ――。まっ、親の俺が言うのもなんだが、長政は頭が切れる。お前はこれから豊臣の闇と戦い続けるんだ。きっと黒田十二万五千石が、お前の役に立つ時が来る」


「…………」


 歴戦の軍師、官兵衛にそこまで言われては、もう左京も抗弁できない。


「じゃあ、長政。お前もこれから左京と運命を共にするんなら、よく聞いておけ――」


 そして官兵衛は長政に向かって、左京が解策師(げさくし)となった経緯を語り始めた。




 時は今より六年前――。小牧長久手の合戦まで遡る。

 本能寺の変を経て、一五八三年に柴田勝家を賤ヶ岳に破った羽柴秀吉は、その翌年に亡き信長の遺児織田信雄、そしてその同盟者であった徳川家康連合軍と尾張国で対陣していた。


 その時の戦況は、羽柴軍の三河急襲部隊が徳川軍によって撃破された後であり、織田徳川連合軍の士気が上がったまま、膠着戦の様相を呈していた。

 池田恒興、森長可といった勇将も討ち取られる大敗北――。そんな状況下、秀吉の本陣となっていた楽田城には、この戦役が初陣となる竹中左京がいた。


「どうだ左京――、本物の(いくさ)は?」


 ちょうど時を同じくして秀吉に召喚されていた黒田官兵衛が、十歳の左京に問いかける。


「…………。まあ、別にどうという事はありません」


「怖くないのか?」


「怖くないと言えば嘘になりますけど――。父上に松寿の身代わりに、信長公のところに送り込まれた時に比べれば、よっぽどマシですね」


「プッ――。ハッハッハッハッハッ!」


 気だるげに答える左京に、思わず官兵衛が吹き出してしまう。


「そうか、そうか。まあ、それに関しちゃ俺も長政も、お前には頭が上がらんな」


「ハア……。もう済んだ事ですから、別にいいですけどね……」


 左京が子供らしからぬ老成した顔付きで、遠い目をする。

 その時、二人のいる陣幕の後ろでは、偶然、羽柴秀吉が通りかかっていた。


「でぇ、左京よ。お前、この(いくさ)どう見る?」


「私は、父上の様な軍師ではありません。だから――」


「いやいやいや、俺は竹中半兵衛じゃねえ、お前の――。竹中左京の意見を聞きてえんだよ」


 面倒くさそうに半開きの目をそらす左京の言葉を遮り、官兵衛がニヤケ顔で詰め寄ってくる。


(…………。うっとおしいな)


 左京は内心そう思いながらも、この父親代わりの軍師にこう出られては、もはや逃れられないと判断すると、


「あくまで私の推測による予想ですよ――。まあ、羽柴軍の勝ちで決まりでしょうね」


 と、あっさり言い切った。


「ほう――。その根拠はなんだ?」


「羽柴方の方が得をしていて――、徳川方が損をしているからです」


「損得か。フフッ、お前らしいな」


 損得勘定――。それを基準に物事をはかる左京に、官兵衛は目を細める。

 官兵衛はわずか五歳で父を亡くした左京を、それから半ば親の様に見守り続けてきたが、その才の鋭さはまさに父親譲りだと確信していた。


 まずは視野が広く、物事を一局面だけで捉えない。そして過酷な幼年期を過ごしてきたせいか、人間の損得に非常に敏感だった。

 今も左京は、羽柴方と徳川方をそんな『損得勘定』ではかっている。

 それに軍師としての本能がうずいたのか官兵衛は、


「でもよ――。うちの軍はついちょっと前に、三河への中入りに失敗して、徳川にコテンパンにやられちまったんだぜ?」


 と、『見た目上』では劣勢に立たされている自軍の状況を、これみよがしに説明する――。もちろん、左京もそれを十分に理解していると分かった上でだ。


 そのあたり黒田官兵衛という男は、やはり人が悪い。

 だが、そんなやり取りにも慣れきってしまった左京は、事もなげに言い返す。


「確かに我が軍は、先の長久手で敗北しました。ですがそれが予定通りの行動――、いや『策』だったとしたら、当然、羽柴方は大きな得をした事になります」


「ほう――。で、徳川の損っていうのは何だ?」


 左京の明快な推理に、心躍る官兵衛は続きを促す。


「これはいたって簡単な話です。徳川は目先の勝ちを得たせいで。いや、我が軍の巧妙な策で、無理やり勝たされたせいで――、『続けたくない(いくさ)』を続けざるをえなくなりました」


「――――⁉︎」


 その時、左京と官兵衛のいる陣幕の外では、聞き耳を立てていた羽柴秀吉が顔面蒼白となっていた。


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