【03】『死者の名誉』
聚楽第、謁見の間――。その上段に、いつになく苦い顔をした関白秀吉がいた。
対面する左京の両側には、石田三成をはじめ豊臣政権の官僚たちが、ズラリと並んでいる。
左京はこの状況だけで、今回の案件が国家レベルの重大なものである事を悟り、今すぐにでも帰りたくなった。
「一条戻り橋の件は……、知っておるな?」
しばしの沈黙の後、秀吉が重い口調で左京に問いかける。
(あー、やっぱりそうきますよねー……)
そう思いながらも、
「利休様の――、亡霊騒ぎの件ですね」
左京も、ここは重々しい口調で返答する。
それから、またしばらく秀吉は口を開かない。
こうなると、いったい秀吉が何を考えているのかと、左京も先が読めない。
チラリと横に目をやると、三成もなにやら心配そうにソワソワとしていた。
「利休め……。死んでも儂を困らせおるわ」
秀吉が吐き捨てる様に――、まるで独り言の様に呟いた。
だが左京は、その口調に憎しみではなく、愛情を感じた。
(まあ、これは可愛さ余って――というやつか)
秀吉は『人たらし』と呼ばれるほどの人心掌握の達人だが、それだけに本人の精神構造は複雑なのであろう。
またそれが天下人ともなれば、自身の本心さえ公私の区別をつけなければならない――。余談であるが、それができなければ『暴君』である。
ともあれいまだ秀吉が利休に対して、複雑な愛情を抱いている事はわかった。
秀吉も秀吉なりに、偽の晒し首事件からの、今回の亡霊騒動に胸を痛めているらしい。
「黒幕を……突きとめられるか?」
(なぜ『突きとめろ』と言ってこない?)
秀吉の言葉に、左京は違和感を感じる。
左京は秀吉の直臣である。主君が命じれば、臣下はそれに従わざるをえない。
しかも秀吉は天下人なのだ。もはや治天の君を除いて、その命に逆らえる者はいない。
なのに、そう言ってくるという事は、
(おそらく、殿下は真実を知るのが怖いのだろう)
左京は、秀吉の真意をそう推測した。
(さてさて、どう答えたものか……)
左京が思案していると、
「確かに儂と利休は、道を違えた――」
また秀吉が独白の様に、口を開き始めた。
「儂が黄金の茶室を作れば、奴は黒い茶碗を作りおったし、唐入りにも奴は命をかけて反対してきおった……」
聞き方によっては、弱音に聞こえなくもない――。だからこそ、三成はそんな秀吉にハラハラしているのだろう。
「利休が腹を切る前に会ったのよ――」
これは左京も初めて聞く話であった。
「その時、奴は自分の後継の茶頭筆頭に、古田織部を薦めてきよった――。織部なら安心じゃと」
(――――⁉︎)
ここで出てきた織部の名に、左京は表情こそ変えないがドキッとする。
自分が織部に接触した事を、暗に指摘しているのかとも思ったが、今回はどうやらそうではないらしい。
「正直、儂は意外じゃった――」
秀吉の独白は続く。
「織部は優れた数寄者よ。だが利休とはまったく違う。侘びに傾倒はしておるが、それを飲み込んだ上で、己の数寄を追求しておる」
織部の奇人変人ぶりを身をもって体験しただけに、左京には秀吉の言葉がひどく理解できた。
「利休の『侘び』を、もっと理解しておる者も他におったに……。なのになんで織部じゃったのか」
そして秀吉は、ついに本心を吐露する。
「もしや利休は――、織部という『爆弾』を残していきよったのかもしれん」
(なるほど、そういう事か)
左京には合点がいった。
秀吉は――織部を疑っている。だが確証はない。
しかも千利休という、かつての盟友を今も信じているし、信じられなくなってもいる。
死してなお、天下人の心をこれだけ煩わせるとは、
(やはり利休様は、すごいお人だ)
と、左京も思わず感心する。
だが問題はそこではない――。今、考えなければならないのは、利休の亡霊騒ぎだ。
その犯人として、茶頭筆頭である古田織部が疑われている。
おそらく織部はそれを知った上で、左京に接触し、それだけでなく秀吉からの召喚まで予言してきたのだ――。まさに大胆不敵と言わざるをえない。
(だが、織部殿が犯人として、いったい何の『得』をする――?)
動き出した『損得勘定』――。そこに秀吉の最後の『本音』が聞こえてくる。
「別に誰が犯人でもええ。何が真実でもええ――。ただこれ以上……、利休の名誉を汚すな」
「――――!」
不覚にも左京は感動を覚える。
秀吉が口にしたのは『死者の名誉』を――、利休の名誉を守りたいという、心からの友情であった。
まわりくどい言い回しであったが、秀吉としては盟友の死が、亡霊騒ぎのネタなどに使われている事が許せなかったのであろう。
その思いにほだされた訳ではないが、
「殿下――。竹中左京、ご下命お受け奉りまする」
左京はそう言って頭を下げた。
正直、利休の件は自分にとっても他人事ではない。
それに先般の淀殿の件で独断専行した『借り』を、ここで返しておこうという計算もあった。
「おお、やってくれるか」
秀吉が上機嫌にそう言ってくる。
もとより呼ばれた時点で、拒否権がなかった事も事実だ。
(やれやれ、なぜこうなった……)
いつもの様に、己の運命を嘆きながら左京は思う。
(おそらく織部殿は、何かを知っている)
思い返せば、左京を亡霊騒ぎの現場にエスコートする様に振る舞いながら、その態度はどこか挑戦的でもあった。
(これは思わぬ強敵かもしれない)
左京は思いがけず始まった、新たな謎解きに身の引き締まる思いがした。