【02】『織部』
「これで私が、怪しい者ではない事がお分かりいただけたかな?」
名乗りを終えた織部が、そう言って左京を見つめてくる。
(確かに素性は分かった――)
だが、
(とはいえ、この男の怪しさはなんだ?)
左京はどうしても織部という男が醸し出す、なんとも言えない怪しさが拭いきれない。
古田重然――。従五位下織部助の官職名による『古田織部』の名で通っている彼は、この時四十八歳。
所領は山城と大和に一万石以下と、左京と同じく小領主の身ではあるが、茶人としての名は高く、利休七哲にあげられるほどの一流の数寄者でもあった。
茶の湯には興味のない左京も、彼が利休の後を継いで豊臣の茶頭筆頭となった事は知っている。
だから左京は、きっと織部はその職責のために、この騒動を視察に来ているのだろうと考えた。
なので、
「竹中丹後守重門にございます――。お初にお目にかかります」
一応、左京も同じ豊臣の臣下として、丁寧に頭を下げる。
同時にそれは、今も織部の背後にいるイタチに、警戒を解けという合図でもあった。
「いやー、もー、そんな堅苦しい挨拶は抜きでござるよー。左京殿ー」
そう言いながら、織部が肩を寄せてくる。
(な、なんなんだ⁉︎ このなれなれしさは⁉︎)
思わず左京は、腰が引けてしまう。
しかも、わざわざこちらも官職で名乗ったのに、いきなり左京という通称で呼ばれた。
(こ、これは早くこの場を離れねば――)
そんな左京の心を見透かした様に、
「まあまあ、もう少しゆっくりしていきなされ」
と、織部が今度は肩を掴んできた。
「――――⁉︎」
それに左京は、有無を言わせぬ気迫を感じた。
同時に、この織部という男がただの変人ではないと理解した。
おそらくそれは何かを極めた――織部においては数寄を極めたという、目に見えぬ威厳を感じたからであろう。
「――分かりました」
左京もそう言って、織部に応じる。
すると織部は左京の腕を取って、
「ささっ、では参ろうか」
と、橋の前に何重にもなっている人だかりに向けて進んでいく。
(ええい、もうどうにでもなれ)
左京も諦めると、織部の後に続いていく。
「あー、これこれ。いやー、すまんのう」
織部は群衆の中を、右に左にと滑稽なモーションを取りながら、巧みに人波を掻き分けていく。
だが人々は皆、それに嫌な顔一つせずに道をあけていった。
(これは……一種の才能だな)
左京は口にこそ出さないが、内心感嘆する。
イタチも同じ変わり者だけに織部の事が気に入ったらしく、楽しそうについてきている。
そんな中、左京はある事に気付く。
(最初は同じだと思ったが、織部殿の目は全然、利休様には似ていない)
目鼻立ちや骨格もさる事ながら、荘厳な佇まいの利休に比べて、織部はひょうきんそのものだ。
だが、初めて織部の顔を目にした時、左京はその眼光に利休を思い出した。
(いったいなぜ……)
そう思った時、
「さあ着きましたぞ」
織部の声に、左京は我に返る。
見れば一条戻り橋の袂まで来ていた。
動き出した時には、先も見えないほどの人だかりだったのにだ。
驚嘆する左京に、
「ほれ、ご覧なされ」
と織部が橋の中を指差す。
言われるがまま目を移すと、橋の両端を封鎖した役人が、何かを懸命に拾い集めていた。
(――――? 黒いカケラ?)
左京が首をかしげていると、
「あれはのう――、黒茶碗でござるよ」
織部がその正体を耳打ちで教えてくれる。
黒茶碗――。それは茶の湯を極めた利休が、最後に到達した『侘び』の極致であった。
それが粉々に粉砕されたものを、役人は拾い集めていたのだった。
「世上では、侘びを理解せぬ関白殿下に怒った、利休様の亡霊の仕業と言われておる」
「…………」
織部の言葉に、左京はこれが何者かの陰謀であると思わざるをえない。
愉快犯であるなら、連日都に貼り出される、秀吉を揶揄する落首と同じだと考えられなくもない。
だが、これはあまりにタチが悪い――。一人の人間の生涯をかけた『思想』が絡んでいる。
そんな左京の思考を妨げる様に、
「あー、たとえ亡霊であろうと利休様に会えるのなら、会いたいものよなー」
織部が大げさに悲しんでみせる。
それから織部がニヤリと笑った事に、左京は猛烈に嫌な予感がする。
「おそらく日をおかず、関白殿下からお呼びがかかるでしょうな――。『解策師』殿」
織部がさらに声をひそめて、そう言ってきた。
(やはりこれは何かの陰謀なのか……?)
左京がそれを問いただそうとすると、
「それでは左京殿。また会いましょうぞ」
織部はそう言い残し、また群衆の中をスルリスルリと巧みに抜けながら、去っていく。
「ちょっ、待――」
左京もその後を追おうとするが、人波に阻まれて思う様に進めなかった。
「…………。まかれちゃったね」
笑顔でそう言ってくるイタチが、なんとも憎らしいと左京は思った。
それから織部の予告通り、左京が秀吉に召喚されたのはその数日後の事だった。